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第一話 2-1


 2


 シンが所有する屋敷は町の高台の端にあるという。

 地図を開くと、ルヴィリアは羽を広げた鷲のかたちをしている。その嘴にあたる位置、富裕層の中でもとくに格が高い、昔ながらの貴族しか住めない区画だ。


 夜の路地を歩く中、アルフレッドは内心でほくそ笑む。

 このままうまくシンに取りいることができれば、錬金術師としての成功は約束されたようなものだ。もはや居候どころか、新たな工房を借りるための資金をかすめ取ろうという算段である。


 セーブル以外の諸外国──とくに東の海を挟んだカレドアなどは神秘や怪異を迷信と断じ、錬金術の貢献すら科学の範疇として人々の認識を塗り替えようとしている。

 そういった狂信者が幅をきかせる昨今、お貴族様の支援を得るのはたやすいことではない。他所では迫害されがちな錬金術師がこうも尊ばれるのは、迷信深いルヴィリアの土地柄ゆえだろう。シンならばマエッセンのように冷笑することなく、不老不死の探究にジャブジャブと金を貢いでくれそうだ。


 しかし通りを外れあぜ道に差しかかるころになると、アルフレッドはひとつ問題が発生していることに気づいた。

 ……シンとの距離がやけに近い。

 並んで歩いているというより、べったりと張りつかれていると表現したほうが適切なくらいだ。やたらと長い銀髪が歩くたびに触れ、くすぐったいったらありゃしない。相手が貴婦人なら歓迎すべきところだが、若い男となるとぞわっとした嫌悪感を抱いてしまう。


 男が好きという男に、偏見があるわけではない。寄宿学校時代にも何人かいたし、中には自分に言い寄ってくるものさえいた。しかしアルフレッドにそちらの趣味はなく、どころか女好きがたたって学友に殴られるほどである。

 気に入られる程度なら支障はないが、それ以上になってしまうと誘いをかわすのに難儀する。現にシンは馴れ馴れしく肩に手を置き、薔薇のような芳しい匂いが漂ってくるほどの距離で、こんなふうに話しかけてくるのだ。


「この先は舗装されていないし、ガス灯がないから夜は危ない。君がうっかり転んでしまわないように、手をつなごうじゃないか」

「いうほど暗くないから大丈夫だ。そういや今日は満月だったな」


 夜魔の群れを目撃したときの記憶がぶり返し、夜空をあおぎながら眉根を寄せる。頭上にばかり注意を払っていたからか、言われたそばから雑草に足を取られて派手にすっ転んでしまった。

 静かな夜道に響き渡る、シンの笑い声。


「ほら意地を張らないで。お嬢さん、お手をどうぞ」

「気色の悪いことを言うな。……ってお前、なんでこんなに手が冷たいんだ」

「そのぶん心がぽかぽかと温かいからね。胸を触って確認してみるかい?」


 アルフレッドは無言で起きあがると、握っていた手を払って再び歩きだす。

 うっとうしくておべっかを使うのを忘れていたが、シンはこちらのぞんざいな反応すら楽しんでいるようだ。なおも挑戦的な目つきでクスクスと笑っている。

 この様子では、金目当てで近寄ったことすら見透かされているかもしれない。


 アルフレッドは今になってようやく、この銀髪の青年が厄介な存在であることを察しはじめていた。知らず識らずのうちに狩りをする側から、狩られる側に変わっていたような気分である。

 自然と歩幅が広くなり、捕食者の目をした同行者から距離を取ろうとする。最初のうちはにこにことしていたシンも次第に顔つきが険しくなり、


「からかって悪かったよ。その先の道は本当に危ないから、足を止めてくれ」

「そんなふうには見えないけどな。蛇か猪でも出るっていうのか?」

「いや。待ち伏せしているものたちがいる」


 意味がわからず、アルフレッドはきょとんとした顔を向ける。

 シンが口を開きかけた直後、あぜ道の先から物音が響く。

 脇に広がる雑木林からぞろぞろと現れる、怪しげな人影。


 その数、ざっと四人。

 一糸乱れぬ動きだが、ダンスのお誘いでないことは確かだった。全員が真っ黒な外套と頭巾をまとい、幅広のナイフを構えている。 


 こういうとき、アルフレッドの判断は早い。

 すぐさまシンのそばまで駆けより、不穏きわまりない連中に声を張りあげる。


「こいつが狙いなら好きにしろ。俺はここで起きたことは誰にも言わない」

「清々しいほど薄情だね君は。しかし自分のほうがご指名されている可能性だってあるんじゃないかな?」


 馬鹿げた話だ。他人に命を狙われるような真似をした覚えはない。

 いや、ゴルドック商会の連中がいたな。電話機の発明を盗用するだけではあきたらず、訴えられないようにあとから口封じしにきたって可能性はある。

 嫌な予感がして向き直ると、リーダー格らしき男は感情のない声で告げた。


「そっちの貴族に用はない。だが眼鏡野郎、お前は死んでもらう」

「ああ、もうっ! 今日はなにやってもうまくいかねえなっ!」


 刺客たちはシンに目も向けず、まっすぐ迫ってくる。

 アルフレッドは舌打ちしつつ踵を返す。そして腰に下げていた懐中時計のリューズを引っ張り、思いきり地面に投げつけた。


 次の瞬間、まばゆい閃光がほとばしる。

 周囲は真っ白に染まり、刺客たちはたまらずよろめいた。その隙にアルフレッドは脱兎のごとく走りだす。隣を見ればシンが飄々とした笑みを浮かべながらついてきていた。


「さすがは錬金術師。あんな魔法が使えるなんて驚いた」

「マグネシウムを使った炸薬だ。派手に光るだけで殺傷力はない」


 より正確には、マグネシウムと硝酸ナトリウムの燃焼反応を利用した代物である。火にまつわる神秘を探究する過程で、先人たちが発見した現象。しかし最近ではこういう錬金術の産物でさえ、『科学』と断じたがる連中がいるのだから世も末だ。


 護身用だし、逃げる時間さえ確保できれば十分。そう踏んでいたものの、刺客たちはすぐさま立ち直ると一気に距離を詰めてくる。背中に蒸気タービンでも積んでいるのかと思うほど足が速い。いっそ全身を吹っ飛ばせるような爆弾を仕込んでおいたほうがよかったかもしれない。


「せめてほかに武器があればな。お前、ナイフかなんか持ってないか」

「銃ならあるけど。汚れると嫌だから使いたくはないかな」


 問答無用で引ったくる。

 これでもかというくらい宝石が散りばめられた代物で、呆れるほど重い。

 実用性皆無のちゃちなやつかと思いきや、中身はしっかりシングルアクションの回転式拳銃。アルフレッドは振り向きざまに狙いを定め、間近に迫っていた刺客に向けて発砲する。


 バタバタバタバタと、地に伏せる音。

 脅威が去ったとみるや足を止め、アルフレッドは片手で眼鏡の位置を直す。


「軍人の家系だったもんでな。ガキの頃から死ぬほど鍛えられてきたのさ」

「なるほど。知れば知るほど興味深いひとだ。とはいえ気を抜くのはすこし早いかもね。彼らはまだまだ遊び足りないようだから」


 アルフレッドがぎくりとして向き直る。刺客たちはのそのそと起きあがろうとしていた。狙いは正確、頭に命中したやつだっていたはずなのに。

 恐怖を後押しするように冷たい夜風が吹き、真っ黒な頭巾がめくれていく。

 そこにあったのは、人相の悪い男たちの顔ではなかった。 


 灰色の毛に包まれた──獣の頭。


「冗談じゃないぞ……。なんでこんな連中に狙われなくちゃならないんだ!」

「忘れたわけじゃないだろ? ここはルヴィリア、神様以外ならなんでもいる」


 人狼たちはくぐもった笑い声をあげる。

 本で得た知識が正しければ、彼らに普通の鉛玉は効かない。純銀製の銃弾でなければ、魔性を帯びた毛皮に弾かれてしまうのだ。


 とはいえそんな代物が都合よくこの場にあるはずがない。向こうもそれがわかっているからか、一転して余裕たっぷりに構えている。

 アルフレッドはだめもとでシンに問いかける。


「この場を切り抜ける手はないか。人狼に腹を裂かれて死ぬなんてまっぴらだ」

「君が泣き叫びながら食われる姿を、見たくないかといわれたら嘘になる」

「冗談はやめてくれ。いや、本気でいっているのかお前は」


 見ればシンは心底、今の状況を楽しんでいるようだった。

 倒錯趣味のクズ貴族め……と罵りたいところではあるが、最初にこの男を見捨てようとしただけに文句もいえない。所詮は知り合ったばかりの間柄。断頭台に向かう罪人を救いだそうとするほど、絆を育んでいるようには思えなかった。


「だがどうしても、というなら助けてあげるよ。もちろん対価はいただくけど」

「この期に及んで贅沢はいわん。命以外ならなんでもくれてやるさ」

「いい子だ。君にとっても幸福な選択になるよう心がけよう」


 シンは優しく頭を撫でてくる。気色の悪さに身震いしてしまいそうだ。

 あとでどうなろうと命が助かるなら安いもの……と思いたいが、とんでもない間違いをおかしたのでは、という不安のほうがおおきい。目の前にあるのは子犬をプレゼントしてもらった少年のような、嬉しくてたまらないといった表情だ。


 アルフレッドの戸惑いをよそに、シンは羽織っていたカフタンを脱ぐ。タイトな黒いスーツだけの姿になると、背丈は自分と変わらないのにずっと手足が長く、肩幅も広いことがわかった。

 同じ人間とは思えない──そう感じさせるほどの引き締まった体躯。


 ほかに武器を隠しているようには見えないが、この窮地をどう切り抜けるつもりなのか。

 丸腰のまま、人狼の群れを退治できるわけもあるまいに。


「君たちはよそから流れてきた若い群れのようだね。金のためにはるばるルヴィリアまで越してきたとなると、気高き人狼たちもよほど困窮しているように見える」

「なぜそこまでわかる?」

「私の顔を見ても呑気に構えているからさ。礼儀を知らぬものは、長生きできない」


 シンがすっと腕を伸ばす。直後、人狼たちがぐっとうめき声をあげた。

見えない手に頭を押さえつけられているかのように、片膝をついてぷるぷると震えている。

 この世ならざる存在である人狼たちが、得体の知れないものに出会ったような顔で相手を見つめている。アルフレッドにいたっては恐怖を通り越して、よくできた演劇を見せられているような気分だった。 


 シンの瞳が爛々と光っている。血のような赤、燃えるような赤。スーツに施されたきらびやかな刺繍も呼応するように輝きはじめ、全身が蛍火のごとく淡い光に包まれている。マグネシウムなどの物質を用いたものではないはずだ。ああいった輪郭のくっきりした現象ではなく、もっと曖昧かつ不可解で、近寄りがたい印象を与える輝きだ。


 ひとことで表現するなら──神秘。あるいは怪異。

 よくもまあ、物事の本質を見抜くなんて言えたものである。

 コーヒーハウスで意気投合し、チョコレートドリンクを奢ってくれた青年は、気前のいい貴族などではなかったのだから。


「この地にすまうすべては頭を垂れよ。ひとであれ怪異であれ、あるいは草木の一本にいたるまで、王である我が身の恩恵を受けていないものはいないのだから」


 銀髪の貴公子は、月明かりを一身に浴びながら高らかに笑う。その姿を眺めるアルフレッドの脳裏に、ルヴィリアの領主にまつわる噂がよぎる。

 あの話が真実で、目の前にいるのがご本人様だったとしたら──。


 シンは、人間ではない。

 どころか、ただの怪異ですらない。


 吸血鬼。

 ある意味では錬金術師の理想を体現する、不老不死の化け物だ。

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