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二、魔法少女ピリィ

 その手の夢を全く見なくなって、ひと月ほどたった。小学一年生になったKは、クラスのBといういじめっ子に当然のように好かれ、ある日の学校帰りに家までついてきた。門の中で髪を引っ張られ引き回され、どう見てもいじめられている姿をさらしていると、窓から祖母がじっと見ているのが見えた。むろん出てきて助けるでもなく窓をあけて怒るでもなく、ただじっと見ているだけだったが、それはKには失望の目に見えた。実際、こういう男らしくない場面では、いつも彼女はただがっかりと冷たい目をそむけるだけだったので、今度もそうだろうと思った。


 Bがほとんど勝手に玄関に上がると、祖母は出てきて二人を自分の部屋まであげた。そしてBに家族のことや学校でのことなどいろいろ質問したが、その受け答えにいちいち目を見開いて感動し、なんてはきはきした礼儀正しいいい子だろうねえ、などと嬉しそうに褒めちぎった。Bもまんざらでなく喜んで答えていた。Kのことはそっちのけだった。

 見るうちKは、やはりさっき窓から見ていたのは自分への失望だったのだとわかり、だがいつもの「見捨てられ不安」や恐怖よりも、むしろ腹に汚物のどろっとたまるような不快を感じ、これは初めてのことかもしれないと、いささかKを驚かせた。今までは、理不尽な扱いを受けてもただ恐れのみが彼を強固に捕らえ、ただじっと我慢させるしかなく、こういう不満や怒りのような「負の感情ではあるが、どこか力強くポジティブなもの」を感じるというささやかな「自由」など、この身が感じる余裕はみじんもなかった。それが今、べた褒めされるいじめっ子を見ながら、心の奥にひしひしと感じている。

 はっと気づいた。

(これはもしや)(ピリィのおかげなのではないか……?)

 夢の中に現れ、自分を助けてくれた魔法少女ピリィ。この世で唯一彼の味方をしてくれた女。彼女が奇跡のように、まるでどうでもよかった、いなくてもいいゴミクズのような自分のことでムカつく、という力を与えてくれたのだ。まるでこんな自分のことを大事に思うかのように。


 もちろん夢の中のことで、彼女は実在するわけではない。すべては彼が頭の中で勝手に作ったことだろう。だが、ピリィが言った「もう大丈夫」という言葉は、Kの脳裏からいつまでも離れなかった。ピリィは彼を助けると言った。たとえ勘違いだろうと嘘だろうと、彼にはもうそれで充分だった。また今の祖母がまるで変っていないところを見ると、ピリィはまだ彼女にとりついている悪と戦っている最中なのだろう、などと冗談めかして思ったりした。

 そしてそのころから、Kは祖母のことをただ恐れるだけでなく、不快と軽蔑の目で見るようになった。



 Kの描く絵が変調をきたしたので、家族に緊張が走った。それまでは簡素な絵柄で無難なギャグマンガを描いていたのが、突然画用紙いっぱいに水彩絵の具で本格的な絵画をやるようになったのだが、その題材が問題だった。明るいコメディから一転し、暗く不気味なホラー系のお化けや妖怪、身の毛もよだつ化け物を好んで描くようになったのである。それは既存の有名な妖怪からオリジナルまで幅広かったが、特に見るものをぞっとさせたのは、女性の幽霊や妖怪の類だった。

 その中に、和服を着たろくろっ首があった。長い首が、青黒い雨雲のうねるような不気味な背景を塗った画用紙の上半分をぐるぐると舞い、中央に来ると、ちょうど蛇が木から垂れ下がるようにして、日本髪を結った白塗りの頭があってこっちを見ているのだが、そのふやけた丸顔はどう見ても祖母がモデルとしか思えなかった。垂れ気味だが執念を感じさせる細く鋭い目の恐ろしさなど、まるで同じだった。

 Kはそれを祖母に見せはしなかった。彼女は今はKに反抗心が起きていることを感じ取っており、以前のようにべたべたしなくなり、そっけない態度が増え、時に冷たくした。すげない態度は以前もあったが、あとで猫なで声で甘やかしてフォローみたいなことをしてほっとさせてはいた。が、それもしなくなった。家族は二人の仲が悪くなったとみなし、とばっちりを恐れた。


 ある日、めったに近寄ってこない母親が来て、Kにそういう悪い絵は描くなと言った。前みたいなマンガをなぜ描かないのか、おばあちゃんはあんたが最近冷たいからしょげてるよ、もうちょっと大人になりなさい、などといろいろ説得し、やっと了解にこぎつけた。

 が、家族は翌日に彼の新作を見て、さらに顔をしかめることになった。広い画用紙の真ん中、まっしろな空間の中心に、ぽつんと小さい一筆書きの人型が描いてある。その孤立無援、ひとりぼっちの記号でしかない人間が、今のKの素直な心情だったのだが、家族はこれは祖母へのあてつけだと判断した。

 ある日の夕方、Kが学校から帰ると、引き出しの中に作品はなかった。捨てられたとすぐわかった。顔をあげると、ドアの向こうにすっと顔が引っ込んだ。祖母は様子を見に来てしたり顔をしていた。一瞬だったが、口元は完全に笑っていた。

 とたんKは息が苦しくなり、さらに胸が刃物で切り裂かれたようにズキズキと痛んだ。こんなちっぽけな自分すらも、ここにいてはいけないんだと絶望した。

 といって家族に反抗して戦うような気力はなかった。そして、いくら眠っても、あの夢を見ることはもうなかった。

(なにも変わらない)(このまま、これから先もずっと……)

 夜中に窓から外に出て、スリッパのまま星空の下をさまよった。歩くほどに落ち込み、涙がぼろぼろと出た。

(きっとピリィは負けたんだ)(だから、悪がずっと栄えて、ぼくを苦しめ続ける)

 だが永遠に変わらない未来を変える方法が、一つだけあった。



 近所の建設現場に、深い穴があいているのを知っていた。地下深くまで部屋を作るのか、下水管でも通すのかはわからないが、遠巻きに見ても数メートルの幅のあるくぼみの下はどこまでも続いていそうだった。もちろん入れないよう四方を金網で覆っているが、周ってみると一部に隙間があって子供なら入れた。四つん這いで体を押し込み、穴まで行って上からのぞく。星と月明かりしかないので、まっくらで何も見えない。石を投げこむと、かなり時間がしてからカン、と小さく音がした。少なくとも十メートルはありそうだ。これならすべてを終わらすに十分である。


 せめてピリィにもう一度会いたかったが、それは無理な相談だから顔を振った。彼女は実在しない。夢の中に現れた存在、ぼくの頭が勝手に作り上げた、ただのまぼろし。きっと誰かに助けてほしくて、無意識にそんなヒーローを求めたのだ。

 だからもういい。おかあさんは、もっと大人になれと言った。だからそうする。子供みたいに夢だの希望だのを追いかけるのは、もうやめる。この先無駄に何十年も苦しみ続けるなら、ここで消えたほうがよほど有意義だ。

 そう覚悟したKは穴の下を見下ろすと、そのまま頭から静かに落ちた。まっくらやみのトンネルを、冷たい風を受けてパジャマをなびかせ、子供の頭は硬く無慈悲な土の上に迫った。



 とそこへ、何かが脇から、猛禽が獲物をさらうように彼をさっとすくい取り、天へ向けて一直線に飛び出した。身にぬくもりを感じたKが驚いて見れば、彼は満天の星空を誰かの腕に抱かれて飛んでいた。振り向いて見えたその顔に、彼は目を見張った。

「ピリィ?!」

「間にあってよかったぁ」

 ピリィはにこにこと笑って言い、大きなきらきらの瞳で彼を見つめた。その姿は現実だというのに、やはり塗り絵で描かれたアニメキャラそのもので、星明かりで美麗な肌がまばゆいほどにきらめいている。


 彼女はつづけた。

「わたしを雇ってる神様みたいな人がいるんだけど、そこにずっと頼んでたの、助手が欲しいって。やっと許可が下りたんで、こうして迎えにきたんだ。Kくん、なってくれるかな?」

「ぼ、ぼくが?」

 一瞬戸惑ったが、むろん断る理由などない。死ぬための命を、彼女がこうして拾ってくれたのだ。すぐに「はい」と返事すると、ピリィは嬉しそうにうなずいた。

「うん、君もうちに来てアイテムをもらえば、私みたいに飛んだりできるようになるよ」


 ふと、おばあちゃんにとりついている悪はどうなったかと聞くと、ピリィは遠くを見た。

「かなり長いこと生きてるやつだから、しぶとくてね。でもいつかは倒して、君の家族みんなを救ってみせるよ。ううん、わたしじゃなくて」

 彼を向き、強気の笑みを浮かべる。

「きっとKくん、君がやれるはずだよ」




 Kにはたちまち生きる理由ができた。自分の家族だけではない。この世にはびこる無数の「悪」を葬り、不幸にあえぐおびただしい人たちを救うこと。それが彼の使命である。

 魔法少女ピリィの助手、エンジェルKはこうして誕生した。(終)

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