一、からくりばばあ
Kの行くところ行くところ、からくりばばあが立っている。からくりばばあはずんぐりした体型の木彫りの人形で、現実の人間の老婆とほぼ同じ大きさである。Kが道とを通ろうとするや、こいつはいつでも目の前に現れ、ガッと道をふさぐ。何を言っても願っても怒っても、人形だから聞く耳を持たない。無理に通ろうとすると、体を押し付けて妨害し、押しのけようとすれば、逆に腕を突き出してこっちを押し倒す。見た目はばばあでも、体は木製の強固な筒なので、Kのような幼い子供にはとても太刀打ちできない。蹴ろうなどとすれば、木のこぶしが飛んで殴りつけられ、ボコボコにされる。対話しようと必死に話しかけると、向こうは突如くるっと背を向けてガン無視を決め込む。
「お、俺はただ、向こうに行きてえだけなんだよ!」
涙をためた目開く目でそう必死に懇願しても、ばばあはいっさい相手にしない。
「な、なんで邪魔すんだよ。あんた、なんか困るのかよ、なあ?」
泣いてひざまづいて尋ねると、ばばあの背はいきなり突進してきて彼を弾き飛ばす。空のかなたへ飛んで、Kは星になる。
このようなマンガをKは幼少期にいくつも描いた。悲惨な内容だが、単純な絵でコミカルなドタバタ調に描いていて、笑えるギャグマンガのつもりだった。が、見た者はみな一様に苦笑するだけで受けはよくなかった。だが、Kはこういうのが普通に笑える普通のコメディだと思っていたので、読者が時に自分に対し変な哀れむような目をする意味が分からなかった。読んだのは親戚や学校の友達だった。親とは同居していたとはいえ、ほとんど関わらなかったので、読ませることはなかった。いつも一緒にいた祖母がこれを知っていたかは分からない。仮に知って、これは自分のことだと思っても、面倒だからそのことには蓋をし、関係ないと無視しただろう。
Kは生まれてすぐ、この父方の祖母がほぼ母親代わりのように世話をして、両親にはほとんど会えなかった。祖母は、姑にはよくあることだが、最愛の息子がよそから勝手に連れてきた嫁を嫌い、孫を独占することでエゴを満足させた。彼女は親から虐待を受けて育ったため、その仏のような優しげな笑みの裏に人生への恨みつらみが澱のように何層もたまっており、やさしさを知らなかった。人を気遣うかと思えば、いきなり情け容赦ない仕打ちに出た。近づく者はことごとく彼女を恐れ避けた。
それでもうわべは「優しく温かいおばあちゃん」を演じているので、Kはそれに自分を合わせるしかなかった。子が保護者に従うのはある程度は当たり前だが、自分を殺し、意思を捻じ曲げてまで言うとおりに行動するのは至難の業のように思える。が、Kは(失敗は多くとも)かなりそれを無難にこなした。生まれつきわがままを通す力がなく、自分らしく生きる才能がなかった。
Kは自分の描いたマンガそっくりの夢をよく見た。内容はアニメ化された映像のように色つきの同じキャラ絵がよく動き、まるで同じように彼が虐待され続けるだけの悪夢だった。ただ元とちがって主人公目線なので、自分がはたからどう見えているのかは分からない。
セリフまで同じだった。「俺はただ、向こうに行きてえだけなんだよ」「なんで邪魔すんだよ」という悲痛の叫びを彼は夢の中で何度も発し、苦しみが頂点に達して、からくりばばあの背がいきなり突進してアップになると、そこで目が覚める。空に跳ね飛ばされる直前のシーンである。胸は激しく鼓動し、汗だくだ。
実際に叫んでいたかは分からない。が、もしそうだとしても、ことなかれ主義の家族が気にすることはなかったろう。この家庭は、Kが歯をわざとボロボロにしても何も言わずに済ませたほど、彼のことに無関心だった。それほどに祖母を恐れていたからだ。
ちなみに虫歯だらけにしたのは、祖母がいじめる母を自分が助けられないので、せめて強くなりたがったせいだった。原始人のようにワイルドにならなくては母を守れないと思った彼は、バーバリアンが歯など磨くわけがないと単純に考えて、そんな所業に向かったのだった。Kは朝昼晩と歯を磨くふりだけして済ませた。ひと月で虫歯だらけになった。普通なら子供がそんな行動をとれば親か誰かがわけを聞くだろうが、そんな愛のある家庭のようなことは起きなかった。周りの大人たちは、それほどに祖母のことが面倒で怖かったのである。みんな、家庭内に波風さえ立たなければそれでよく、Kのこのことは、単に生活のために必要な犠牲の一つに過ぎなかった。
祖母を糾弾するようなマンガを描いているから、同じ夢を見るんだと思ったKは、この手のものはもう描かないことにしたが、既存の数篇を捨てる気にはなれなかった。べつに禁止もされなかった。だがそのせいか、毎晩のように同じ悪夢にうなされるようになった。むろん誰も助けないし気にもされないので、彼は一人で耐え続けるしかなかった。相談などありえない。一番言いやすそうな父に話したところで、きっと邪険にされるに決まっているので怖かった。Kにとっては、苦しみからは逃げるよりも我慢するほうがまだ楽だった。
小学校に上がる直前の、ある寒い晩だった。いつものように夢の中でからくりばばあに懇願するたびに硬い木の腕で殴られ、泣いてひれ伏したとき、目先の路面に二本の細長い影を見た。見上げれば、それは女の子の足だった。彼の前に、からくりばばあに立ちはだかるようにして、一人の少女が対峙している。それは豊富なピンクの髪をして、袖からスカートから、あらゆる場所にフリフリのついたドレスのような服を着て、足元はこれもピンクのブーツという、完全にアニメに出てくる魔法少女そのものの外見だった。彼女はKに横目を向け、力強い笑みでうなずいて言った。
「君、もう大丈夫だよ」
夢の中だからか、それは完全に萌え系のアニメキャラなので、目も大きく、ガラス玉のようにきらきらしている。そしてまた前を向くと、勇ましい口調で言った。
「私はピリィ。魔法少女よ。君を助けにきたの」
すると、今まで一切無言だったばばあが、突如低いけだもののような耳障りな声でわめきだした。どう聞いても老婆のそれではない、悪魔か豚の化け物の咆哮だった。
「なんだキサマ、いきなり来やがって、邪魔しようというのか! この俺さまをどうこうできるものなら、してみるがいい!」
「お、おばあちゃん……?」
Kが驚いて漏らすと、ピリィはつづけた。
「あれは君のおばあちゃんじゃない。その親のまた親の、君の家系のずーっとずーっと昔からとりついてきた、邪悪なものなんだ。あの悪が今、おばあちゃんをのっとって支配して、恨みや怒りや悲しみで苦しめているの。それを取り除くのが私の仕事」
「ふん、そんなことできるもんか!」と下品に笑うばばあ。「こいつらは、ずっと俺のもんだ! これからも永遠にずっとな! そのガキも、とうに受け入れて諦めているさ!」
「そんなことさせない!」
ピリィは先端に赤い薔薇のついた白いステッキを取り出し、ばばあに向けた。これが彼女の使う魔法のアイテムである。
「わたしが、おまえを葬り去る!」
するとばばあが奇声を発して飛びかかったので、彼女は胸にパンチを食らわせた。敵がひっくり返ったところで、Kは目が覚めた。動悸も寝汗もなく、落ち着いて起きたのは初めてだった。が、その後は眠っても朝まで夢を見ることはなかった。
だがKは、思いかけず夢で出会えた、あの不思議でかっこいい少女戦士のことを思い、胸が熱くなった。