≪下≫
いつも通りの時間に、彼女に会いにわざわざ来てやった。
見ると、クーラーが効いた部屋で気持ち良さそうに眠っている。それにしても、悩みなきお方だ。その点だけは羨ましくも思う。
早速、僕は冷蔵庫の中からバナナを取り出した。そして、その皮の上から注射器でもって液を注入した。毒薬なんかではなく、麻酔薬だ。簡単にあの世に行かせるなど、そんな気なんてさらさらない。今までの分のお返しに、今日まとめて殴りたくってやるつもりだ。性格の強さから何から相手の方が上回ってはいるが、知恵だけはこちらの方が上に決まっている――僕には、この自負がある。
早速目を覚まし、すぐにバナナを平らげ、もはや再び寝付いてしまった。やはり、お話にならないくらいの単純なやつである。何の苦労も要らない。
僕は彼女の上に、馬乗りになってみた。そして、予め用意していたメリケンサックを両方の拳にはめた。思いっきり殴るのはいいが、こちらの骨が折れる訳にはいかない。
とりあえず、五分くらいの力でその左頬を殴ってみた。予想通りに厚い面の皮だったが、やはり眼下の相手は微動だにしない。僕はほくそ笑むと同時に両拳に目をやり、自分の用意周到さを自画自賛した。
次は七分程度で殴ってみた。同様に反応は見られない。
調子に乗った僕は、次々に思いっきり顔面を連打してみる――まるで、ゲームセンターに来ているみたいに。唯一つだけ違ったのは――目を閉じたままで、という点だけだ。
息が切れたので、打つ手を止めて目を開けてみた。
顔のあちこちが腫れ上がっている。元々へちゃなところから、鼻血も流れ出てきている。
「フン、ざまあみろ!」
こう吐き捨てた瞬間――ギロッと相手の左目が開いた。
転げ落ちそうになった僕は、思わずそこへ拳を振り下ろした。
おかげで左目は、見えなくなるくらいにめり込んでしまったが、その反動で右目が眼球もろとも飛び出してきた。僕は何か叫びながら、無我夢中でその揺れているものを目指して殴りまくった。
数十発を浴びせた後、恐る恐る再び目を開けてみた。
右眼球は――すでに、失敗した目玉焼きのようになっていた。
ホッと一息したのも束の間、今度は何やら音が聞こえてくる。すぐに口元を見たが、そこにはすでに口がなく、右頬辺りまで移動していた。そして、そこから――
「あっ、あっ……」
やはり、コイツは人間じゃない!
――もうその後の事なんて、覚えていない。
どれくらい経ったのか?
我に返った僕は、相手の様子を覗っていた。
その顔は、すでに無数の窪みで覆われてしまっている。今にも、そこから蜜蜂でも飛び出てきそうだ。
二、三分の間、何ら動きも音もなかった。
ようやく息を引き取ってくれた事に感謝した僕は、バッグの中からノコギリを取り出した。この場で切り刻むしか他にない。
相当量の返り血を浴びる事くらいはわかっているので、雨合羽も身に着けた。
血の代わりに汗が噴出してきた。全く切れない――まさしく、歯が立たないのだ。こんな冗談なんて言う暇はないが、本当なんで仕方ない。
――想定外、だ。どうしよう?
歯を、もっとも細そうな左腕に当ててみた。だが、やはり切れてはくれない。
その内、恐ろしくも歯の方がこぼれてきた。切り刻んだ屍を数ヶ所に分けて埋めるつもりだったが、もう無理だと判断した。
明日も明後日も、何食わぬ顔で生活してゆく事を希望していたが、どうやらそれも許してくれそうにもない。
――逃げるしかない。
最後の最後まで抵抗してくるのにムカついた僕は、ペナルティキック如くその頭を思いっきり蹴飛ばした。
だが、やはりボールは飛んで行ってはくれなかった。
その足でアパートに戻った僕は、必要最低限の物をバッグに詰めて、再び外出を図った。
ドアの前で振り返ってみる。
――マンガやゲームやCDは、どうなるんだろう?
断腸の思いで、部屋を後にした。まあ、いずれは戻って来れるだろう。
僕は駅のホームで一夜を過ごした。電車に揺られて、夕べの内にすでに県の最西端の町まで来ている。いつでも隣の県に行ける位置だ。
ここに留まっているのには理由があった。どうしても、朝刊の県内版を確認しておく必要があるからだ。
早速、売店で朝刊を手に入れた僕は、お目当てのページに目をやった。
はたして、そこに記事があった。思っていた通り、それも僅か数行だ。だがタイトルだけやけに目立っているのが、どうもいただけない。
――“動物園の人気者、雌ゴリラのミネルバちゃん殺される”
――了――
前回頂戴しました評価になります。
※りきてっくす++様 2009年 08月 13日
文章評価: ★★★★★ 作品評価: ★★★★★
物語を構成する上での基本は、やはり起・承・転・結だと思います。ただSSや掌編の場合、とかく”結”の部分、つまり話のオチにばかり神経がいって、そこに至るまでの展開に無理を強いたり、綻びが生じたりしがちです。イボヤギさんのすごいところは、冒頭部分から完璧にストーリーが練られていることです。もちろん前半の語りは、後半へ向けての伏線によって骨子が形成されるわけですが、それはオチへ向けた準備ではなく、創作がもたらす非日常への入り口なわけで、ミステリー作家の強みは、この部分を上手に作ることが出来る構成力にあると思いますね。ようするに、冒頭部分から話にすっと引き込むテクニックを賞賛しているわけです。
★以上です。誠に有難うございました。byイボヤギ




