7−8 それぞれの視点
時間を少し遡る。
キャサリンが医務室の奥の休憩室に窓から戻って来た時の事だ。
外套の右腕側が真っ赤に染まっているのを見たジョディーは、
「すぐ止血致します。」
と言って棚から包帯や消毒液を持ち出した。
キャサリンは外套を脱ぎ、ブラウスの右腕を捲り上げた。
そこは血に染まってはいたが、
既に血は固まり、乾燥していた。
ジョディーが消毒液で血を拭うと、
素肌が露出するだけで傷跡は無かった。
「どの程度の傷口だったのでしょうか?」
「左手で押さえていないと血が滴りそうな勢いで
血が出ていたんですが…」
「治癒魔法をお使いで?」
「そんなものは習っていませんよ。」
とはいえ、左手で押さえていた箇所に治癒魔法がかかったとしか
考えられなかった。血の跡はあるんだ。
「ただ、この血まみれで切られたブラウスを何とかしないと、
連中が押し寄せて、護衛が取り押さえようとした暴漢、とか
因縁を付けられてしまいますが…」
「ブラウスとスカートは着替えを用意しております。
これをお召下さい。」
…差し出されたブラウスは私の体にぴったりだった。
グレアム!あんた一目見たら女のスリーサイズが分かる変態だったんだな!
と罵りたいところだが、
あいつにそんな甲斐性はないだろう。甲斐性かな?
ともかく時間がないのでブラウスを着て、制服の上着を着る。
湯冷ましを一杯、ジョディーが差し出すので、
ひと息に飲み干す。走ったからねぇ。
水分が必要だった。
そうしている間に休憩室の外が騒がしくなったのだ。
一方、王宮に戻った第2王子フレドリックは即座に王の謁見室に通された。
「言い訳があれば申してみよ。」
「言い訳をする様な事はありません。」
ふぅ、と王はため息をついた。
「では、1ヶ月の間、王宮を出ることを禁ずる。
お前のストラス伯爵への臣籍降下の儀式をもってその処分は終了とする。」
「何も尋ねずに処分ですか!
それはあまりにご無体ではありませんか!」
「お前が言い訳が無いと言ったから処分を告げただけだ。
言い訳はしないのだろう?」
「…ゴードンの手の者の言う事のみ信じると言うのですか!
実の息子より!」
「あの女には監視を付けてあった。
だからこの処分は第3者視点の報告に基づく正当なものだ。」
王の目を担う隠密は独立した組織であり、
一切の貴族・省庁の影響を受けない様になっている。
その報告に基づく判断を疑う者は、王の判断を疑う者だ。
異論は認められない。
フレドリックは俯いて悔しがった。
「臣籍降下すればもう王族として特権を使うことも出来ん。
権力の乱用など考えぬ事だ。」
「その様な事は考えた事もありません。」
「本当にそうなら、こんなに早く懲罰として王籍を失う事も無かった。
少しは反省しろ。」
「反省すべき事をした覚えはありません。」
はぁ、と王は大きなため息をついた。
「もう良い。下がれ。」
そうして第2王子フレドリックは下がっていった。
今までの数々の陰謀も、証拠がなければ良いというものでも無い。
段々と疑惑が深まり、監視が付く様な事態になるのだ。
それでも前向きな努力であれば切り捨てられる事もなかっただろうに、
と頭は回るが気性が暗い次男の人となりを嘆いた。
「では、報告を続けよ。」
そこには完全に気配を消した2人が控えていた。
王の目となる者達は、この国最高の隠密なのだ。
「キャサリン・プリムローズはフレドリック殿下の到着を事前に察した通り、
遠視・透視の能力を持つのみならず、
多数の人間に幻の映像を見させる能力、
更に光を操る能力を持っております。
音を操ってもおりましたが、これが風属性か否かは判然としません。」
もう一人が言葉を継いだ。
「遠視・透視の能力は使用のタイミングを確認出来ませんでしたが、
幻影を示す能力、光を操る能力は光属性の魔法であった事は確かです。
音を操った際の属性は風属性と推測はされるのですが、
光以外の属性は判別出来ませんでした。」
つまり、今回の監視チームは事実を視認する一人と
魔法属性を判定する一人で構成されていた。
情報収集の能力がある事が判明しているキャサリンに対し、
その能力の仔細を調査するのが今回の任務であり、
陰のトラブルメーカーであるフレドリック王子の処分はついでであった。
「闇属性でないのなら問題ない。
攻撃能力の有無はどう考える?」
王の問いに監視役は答えた。
「剣で斬りかかられてまで攻撃魔法を使わなかったという事は、
攻撃的な魔法は存在しないと考えます。」
「分かった。
今回はご苦労だった。
次の任務に備えよ。」
「はっ、失礼します。」
一方、ゴードン侯爵家でも
侍女のジョディーからエドワード・ゴードン侯爵に報告がされていた。
侯爵は反乱鎮圧後もフィンストン男爵の捜査を行っていたが、
タウンハウスに対する破壊活動の情報を受けて急遽王都に戻ってきたのだ。
「フレドリック殿下の来訪を事前に察知した点、
私の存在を見る前に察知していた点、
離れた教室での出来事を察知出来る点等、
遠視・透視の能力は再確認出来たと考えます。
今回新たに明らかになったのは、切創を治癒する能力です。
乾燥していたとは言え、
かなりの出血があった腕の傷跡が跡形もなかった事から、
高度の治癒魔法の能力を有していると推測されます。」
ハミルトン公の反乱時の機密情報の遠視は侯爵も見ているから
それは重要情報ではないが、
治癒魔法は今まで報告が無かった。
「それは遠視・透視能力が光魔法であり、
同じ光魔法系の治癒魔法も使えるという理解で良いか?」
「属性については私からは一般的な事しか申し上げられません。
魔法院など専門家の考察にお任せしたいと考えます。」
さて、治癒魔法については王の付けた監視が察知出来ただろうか、
属性観察はそちらの任務と聞いている。
こちらからは視認出来た事のみ報告すれば良いか、
と侯爵は結論付けた。
そして、フレドリックである。
人は話を聞いて欲しいものである。
嘘しか言わないとしても。
だから話を聞かれずに一方的な処分を受けた事は
彼にとって耐え難い事であった。
とは言え権力主義者である彼が権力的に上の者に反抗する事は出来ず、
その代償行為は当然目下の者に向けられる。
「あの馬鹿娘め…」
自分で手を出して上手くいかず処分されてその対象に怒る。
正真正銘逆恨みだが、
彼の精神構造的には怒りはキャサリンに向けるしか無かった。
パワハラ体質と言われる人がいます。
高圧的で人の話を聞かず、自分の意見を他人に押し付ける人です。
昨今のハラスメント意識の高まりでそういう人は居なくなったのかと言えば、
居なくなったりしません。
声が小さくなっただけです。
相変わらず人の意見は聞かず、自分の意見だけ押し付けるでしょう。
職場からそういう人が居なくならないのは、パワハラ、という言葉から分かる通り、
立場的に力、つまり権力のある人なので、
ヒラの人よりも組織のトップの人にとって価値があるからです。
そしてそういう人は上の人には当然そういう話し方をしません。
だから「自分から見てそういう人間には見えない」という擁護は
人間の多面性を知らない者のただの印象論ですね。
さて、パワハラ体質の人、というのはつまり上下関係を重視し、
下の者には意見を言わせない、言ったところでその意見を重視しない人です。
フレドリックの場合は周囲の意見を聞かない事で、
自分が他者からどう見えるか、という重要情報が入らなくなっている、
その点が彼の今の状況を作っています。
「疑われているよ」と言ってくれる人が一人いればこうはならなかったのではないかと。