5−3 平民街から
クンルン王国の王族、と言う言い方になるのには事情がある。
乙殿下はクンルン王国の現王の子供ではないのだ。
しかし、クンルン王国では有力な王族の家と
有力ではないが子供が優秀な者達を見比べて優れた者が王太子に
なるというルールがあった。
乙殿下は有力な家の次男なので王位継承を争う一人だ。
「彼の留学が急遽決まったのは、
上水道に巣を作った例の巨大生物の調査員を入国させる為の
隠れ蓑とする為なんだ。
そういう理由もあって、君以外の人間を乙殿下に近づけさせたく
ないんだ。」
別に私が近づく必要もないぞ。
だってグレアムとエディがいれば殿下にその時の事を
回答出来るんだから。
私はその場にはいなかった筈の人間だ。
「あれはクンルン王国で管理している生き物なの?」
「いや、クンルン王国の伝説の生き物に似ている、
というだけだよ。
伝説の詳細と調査結果を共有させてもらう条件で、
調査をお願いしているんだ。」
「って事は、あの蛾の出どころは分からないって事?」
「どこから国内に入って来たかは現時点では分からないね。」
現時点で分からないって事は未来永劫分からないよね。
ハミルトン公の手下が喋れば兎も角。
多分、みんな主人に殉じているんじゃないかな。
そうなると、再発する事もあるのかな?
ファントム卿がグレンヴィルとフィンストンを使って
ゴードン家を揺るがせた理由が分からない以上、
可能性はゼロではないんだけれど…
それはそれこそ王家や騎士団が何とかする問題だ。
私にはどうしようも無い。
そうして乙殿下が平民街にやって来る日が来た。
北の平民街は今ひとつ治安が安定していない。
それでも東にも平民街があるのだが、
よりにもよって西の平民街にやって来ると言う。
そういう訳で、プリムローズ家のある下級貴族街の近くの
西公園で殿下達は馬車を降りて歩くと言う。
公園近くのわりと上級なレストランが1日借し切りになり、
そこが護衛本部となった。
公園入口近くに平民服を着ているとはいえ、我々と護衛達が
ずらりと並んでいる。
お忍びの意味があるのかよと言いたくなるところだが、
まあ礼儀を示している訳ではある。
やって来た馬車は普通にアーガイル公爵家の馬車だった…
貴族が平民街に遊びに来ている事を隠す気ないよ、こいつら。
降りてきた少年は黒髪、目の色は分からない。
目を細めて笑っている様にも見えるが、
同じく弧を描いている口と合わせて作り笑いを貼り付けていると分かる。
高貴な子供が外国に来て羽目を外して平民街を歩きたい、
という体ではない。
何か目的があって来たんだろう。
嫌だな。
関わりたくない。
まあ目を付けられなければ下っ端にしか見えない私だ。
頭を下げて礼を示したら、後は列の後ろの方に付いていこう。
「今日はみなさん、お手間をかけて頂きすみませんが、
ご案内をお願いします。」
クンルン王国は言語が違うとも聞いたが、
普通に国際公用語を話している。
頭は良いのだろう。
なおさら近づきたくない。
口先三寸で騙されそうだ。
そうして行列の後ろの方を歩いてついて行く。
私が周囲を監視する必要あるのか?
進行方向の角には数人ずつ平民服を着ているものの、
雰囲気から護衛と思える人が数人いる。
ルートは決まっている様だ。
市民向け手工芸品の店、八百屋などに寄っていく。
「グレアム、あれ、止めなくて良いの?」
視線で殿下と公爵子息を示す。
「果物ジュースがどうかしたか?」
「平民街だと水で薄めるんだよ。
だから水が合わないと腹を壊す。」
「そういうの平気そうに見えるが。」
がさつと言いたいんだな?
後で気づかれない様に一回後ろから蹴ってやる。
「最近は水に馴れたけど、最初は沸かした物しか飲まなかったよ。」
「まあ、前もって調査済の店だから大丈夫だろ。」
良いのかね。あの殿下は曲者だと思うから、
こちらの不備を見せない方が良いと思うが。
見ているとどうやら二人は私より腹が丈夫らしい。
特に問題は無かった。
しかし、周囲がそろそろ戻ろうかという行動を見せた頃、
殿下は狙いを明らかにした。
「せっかくここまで来たのだから、
上水道の取水口を見せて頂けませんか?」
そら、来た。
グレアムや護衛達は困惑してしまったが、
エディが護衛に囁き、護衛が先導する事になった。
「少し歩きますが、こちらです。」
取水口には、以前と違って金網が張ってあった。
物理的には再発防止をしているのだが、
結局役人が貴族から命令されれば腰砕けで
従ってしまう様なら意味が無い。
殿下が口を開く。
「巨大蛾がどの様に行動したか、
見知っている人に説明を受けたいのですが?」
不意打ちで制御されていない言葉を聞きたいのだろうが、
こちらにも曲者のエディがいるからうまく話してくれるだろう。
そのエディだが。
「私が現場に居合わせましたが、
危険なので取水口の横側から見ていたのでそこまで詳しくは分かりません。」
「出てきた時はどの位の大きさだったのですか?」
「40ftくらいだったと思いますね。」
「それであの取水口から出てきたんですか?」
「当時は水を止めていましたから。」
「冬の朝に出てきたと聞きましたが、
虫類が真冬に繭から出てくるとは思えません。
何があって繭から出てきたんですか?」
「光魔法で光を当てまして、
その光と温度上昇で刺激を受けて出てきた様ですよ。」
「ここから中の繭に光を当てたんですか?
普段、中に光は当たるんですか?」
「中の貯水池に異物を投げ込まれない様に、
直接は光も当たらない様になっています。
経路が曲がっていましてね。
でも、光魔法師は上手に光を曲げて貯水池の上に作られた繭に
光を当てた様ですよ。」
「当てた、と言い切れない状況だったんですか?」
「なにせ巨大生物が出てきて犠牲者を出す訳にはいかないので、
皆、外に出ていたので実際はどうなっていたかは分かりませんね。」
「なるほど、それで取水口から出てきた時は虫はどうだったんです?
寒くて動けないと思いますが。」
「また光魔法師が光を集めて温めたんですよ。
それで羽根が段々伸びて、飛び立って行ったんです。」
「光を当てて温めるというのは誰かが指示したのですか?」
「私は近くで見ていなかったのでよく分かりませんが。
魔法師が考えてやったのではないでしょうか。」
「その魔法師は魔獣に詳しい人なのですか?」
「私は魔法院の人間ではないので、よく知らないですね。」
「そうですか…ところで、飛び立った巨大蛾はどの様に飛んで行ったのですか?」
「上空へ飛び上がった後、王都のこちら側を半周ほどしたところで
北に向かって飛んでいってしまいました。」
「それを他所から見ていた人はここにいますか?」
護衛達は誰も名乗り出なかった。
護衛の顔なんて覚えてないから本当に誰も見ていないか不明だ。
ここで殿下が私の方を向いた。
「そこの貴女、巨大蛾が飛んだところを見ましたか?」
「申し訳ありませんが、見ておりません。
その場に居合わせなかったし、
日の出直後なのでまだ部屋の中にいましたから。」
飛び立って上空を飛んでいる頃には私は逃げ出していたからね。
空を見る余裕なんてなかったよ。
「そうですか…ありがとうございます。」
「いえ、お役に立てず申し訳ありません。」
そうして殿下御一行は帰っていった。
殿下は場違いな私が混じっている事から、
ここを突けば何か出ると思ったんだろうが、
そんなのとっくに予測していたから回答は用意していたんだよ。
黒髪で目が細い殿下…
客寄せには向かないタイプかな。