3−5 羽化
この小説、女性読者は何人いるのかな…
女性読者は想像すると鳥肌が立つかもしれません。
王都の西取水口近くでは、
天幕を張って役人達が交代で仮眠を取っていた。
グレアムもエディも仮眠を取ろうとしたが、
とても眠れるものではなかった。
巨大生物の行く末が心配で仕方なかったんだ。
暗い屋内貯水池では役人が交代で繭を監視していたが、
何度か振動が伝わってきて恐怖を感じていた。
そんな中、怪しいフードの女が近づいてきた。
役人達は何か言いたかったが、
護衛達もグレアム達も何も言わないので黙っていた。
不機嫌な声でグレアムが声をかけた。
「…何しに来た?」
「どうするか決まったの?」
「静観するしかないだろ?」
エディが尋ねる。
「何か分かった?」
もちろん何か分かったから来た訳では無い。
夢見が悪くて駆け出して来たんだ。
でも、キャサリンは現実を生きる女だし、今を生きる女だった。
夢の事なんてまるっと忘れていた。
「朝日が出たらさ、大きな鏡で貯水池を照らして、
朝だよって分からせたら起きて来ないかな?」
グレアムのみならずエディも落胆した。現実的では無い。
「そんな大きい鏡を何枚も用意出来ないよ。」
鼻まで覆ったフードの下から覗いた口が山型になる。
日本語で言えばへの字の口だ。
グレアムもエディもフードの女、キャサリンが何を言いたいのか分かった。
役立たずだなお前ら。
「女がいつまでもこんな朝に外歩いてんじゃねぇよ!
役に立たないからさっさと帰れ!」
グレアムは徹夜で怒りっぽくなっていた。
徹夜でなくても怒りっぽい男だが。
フードの女は土手に座り込んだ。
その口が今度ははっきりと尖っていた。
二人共キャサリンが何を言いたいのか良く分かった。
お前らだって役に立ってないじゃん。
エディも徹夜でハイになっていた。
でもグレアムとは違う方向にハイになっていた。
キャサリンのフードの下から覗く口と頬、顎に見とれていたんだ。
普段、平民の服で歩く時は日焼けした顔に見せる化粧をしていた。
今は素顔で出てきている。
女は化粧一つで変わるし、
上位貴族の令嬢はコーディネートも徹底している。
それなりの顔でもそうすれば上等に見える。
同じ条件なら、この娘ならずっと上等な女に見えるだろう。
何でこの娘の親はこんな綺麗な娘を見捨てられるんだろう、と思った。
でもキャサリンの両親はキャサリンの顔なんて見ていない。
自分の都合の方が大事なんだ。
彼等のピントの合わない目には、
この娘はのっぺらぼうに「役立たず」のラベルが貼られて見えるんだ。
人はそんな風にどうでもいいものは見切っているんだ。
しばらく沈黙が世界を支配していた。
やがてここから遠く離れた場所には朝日が当たる様になった。
ここでは壁の西側に取水口があり、まだ朝日は当たらなかったが。
そんな時、キャサリンが口を開いた。
「ねぇ、役人を下がらせて。
もう動くよ!」
「分かるのかよ!?」
グレアムが応えるが。
「早くして!
こんな事で犠牲者を出したくないでしょ!」
エディが役人達に指示した。
「全員、取水口から出る様に指示してくれ。」
その指示を聞くや否や、役人達は外に大急ぎで出てきた。
みんないつこの繭の中身が出てくるか気が気でなかったんだ。
グレアムが役人に声をかける。
「全員出たか点呼しろ!」
中を見ているキャサリンにはもう全員が出てきた事は分かった。
上唇に人差し指を、
顎に親指を当てているキャサリンの横顔に見とれていたエディは、
水が無くなり地面が露出している取水口が明るく輝いているのに気付いた。
「何だ?」
役人達も急に明るくなった取水口に驚いた。
ここは取水口付近の壁のお陰で日が高くなるまで朝日は当たらない筈だ。
明るさを増した取水口前は、突如明るさを失った。
その代わりに取水口から中の方が明るくなった。
グレアムもエディもキャサリンを見た。
キャサリンが光を曲げて照らしているのか!?
取水口から貯水池への導水路はクランク状になっており、
外側から何か投げ込もうとしても貯水池には届かない様になっていた。
貯水池に光を届けるには、
そのクランク状の角のところ2箇所で更に光を屈折させる必要があった。
光を曲げる度に光の減衰を感じていたキャサリンは、
最初に取水口に集める光の集光規模を二倍に大きくした。
取水口の中の導水路の明るさは真夏の炎天下に近づいた。
繭の近くに届いた光は、貯水池の温度を上げ、
底に溜まっていた多少の水が蒸発して陽炎を生じさせた。
そんな温度上昇は繭の中を刺激した。
「ぎゃー!!」
「どうした!?」
「でっかい虫!」
「そりゃあ、30ftの繭にはでかい虫が入ってるだろうよ。」
「だって、人間の胴体より大きい顔してるんだよ!?」
「見えるのかよ!?」
「そのうち出てくるからみんな見えるよ!」
「今はお前以外にゃ見えねぇよ!」
エディはキャサリンの能力を見誤っていた事に気付いた。
フードを深く被っているのに前が見える事、
物陰の馬車が見える事、隠された書面の写しが取れる事(多分)。
そして今、巨大な鏡と同様に光を曲げるものを何箇所も作って光を暗闇に届ける事、
彼女の能力はマイル単位で光を操る能力、つまり光魔法だったのか。
では何故それを隠す必要があるのか?
「がーっ出てきたー…」
「お前、その令嬢らしからぬ話し方は何とかならないのかよ…」
「体裁整えてる場合じゃないんだよ。
あんたと公式に話してる時にはそれなりに礼儀に気を使ってるでしょ?」
「それなりにしか気を使ってないのは分かってるよ…」
この二人の気安さに負けてる気がするエディだった…
巨大昆虫は前脚で繭をかき分けて頭を出していたが、
前脚は完全に繭の外に出し、中脚を繭の外に出し始めた。
何せ繭が宙に浮いているから、
前脚で地面を引っ掻いて体を引っ張り出す事が出来なかった。
暫く悪戦苦闘をしていたが、
漸く中脚を2本共外に出し、繭の中の後脚で蹴り出しながら
中脚で繭の外側を押して体をずるずると引き出せる様になった。
前脚で地面を触りながら後脚で繭を蹴り、
叩きつけられる事なく着地した。
そして、どことなく覚束ない足取りで光の方向に進み出した。
「ぐはー、擦ってる擦ってる!
後で上水道しっかり掃除してよね!」
「まだ見えねえよ!
何があった!?」
「水路の曲がり角で思いっきりお腹を擦ってるの!
体液は出てないみたいだけど、
体の表皮の破片がちょっと落ちたよ。」
「まあ、どっちにしろ繭と糸をしっかり掃除するから、
その時に水の中に落ちてる物は掃除するだろうよ。」
「うん、とりあえず、あれ、アップが怖いよ。」
「そりゃ良かったな。
こっちは何も見えないから怖くも何ともねぇよ。」
「はっはっは。
あと一回曲がれば見えるって。
思いっきり腰抜かしても知らないよ?」
「お前よりは根性据わってるから大丈夫だ。」
「お後が楽しみだよ。」
キャサリンとしてはこれで光の屈折場所が2箇所となったから
制御が楽になった。
曲げる度に光の収束方向を調整するのには気を使っていたんだ。
巨大昆虫は顔面にくるくる回った口吻があるため蝶の様だが、
胴体が少し太いため、蛾に見えた。
それがあと一回曲がれば顔がこちらから見える様になる…
あれ、目を付けられると不味くないか?
キャサリンは立ち上がって、取水口から昆虫が顔を出すまで
こちらが見えない位置まで横に移動した。
「どうした?」
「いや、あんたはそこで出てくるのを見てると良いと思うよ。」
「何か問題があるのか?」
「いや、直線に出たら急にあいつが飛び出したりして危険かな、と思って。」
グレアムもエディもキャサリンの近くまで横に移動した。
エディが指示を出す。
「取水口正面近くに立つな!
両側から一人ずつ中が見える場所で出てくる虫の動向を監視しろ!」
気の毒な騎士と役人一人ずつが取水口正面近くに監視に立った。
そして、導水路の角から巨大昆虫が顔を見せた。
騎士の方は少し逃げ腰になっただけで踏みとどまったが、
役人の方は腰を抜かして後ずさった。
それでも、そのこちらから見える角を巨大昆虫が曲がるのには
少し時間がかかった。
また胴を擦って曲がり難かったんだ。
そして、巨大な前脚を細かく動かすのは騎士から見ても
おぞましい動作だった。
「抜けるよ。
前に立たない方が良いと思うよ。」
「全員正面から30ft以上横に離れろ!」
キャサリンの報告にエディが指示を出した。
それでも、昆虫はゆっくりと脚を進めた。
取水口から顔を出した昆虫は、
一度キャサリンを見た。複眼だから何にピントがあっているか不明だが。
(ああ、あんなに魔力を持つ生き物だから、
誰が光を操っているのか分かるんだね…
いや、恨まれる覚えは無いんだけど。)
そして、取水口付近の壁によじ登った。
体を止めてもう一度キャサリンを見た。
(もっと光を?
何者だよあんたは。)
仕方がないのでその蝶だか蛾だか不明な生き物に
先ほどと同じ規模の光を集めた。
普通に考えれば変温動物である昆虫はこの温度で動ける訳がなかった。
だから光で体を温めたかったんだ。
段々、胴体が伸びてきた。
また、背中の羽根が伸びてきた。
白い羽根が伸びてきたが、羽根の形状が蝶の様に丸くなりそうになかった。
見ている者達はこれは巨大蛾なのか、と思っていた。
一方、キャサリンは
(こいつがこの後暴れたら私の所為にならないか?
光はそのままで適当なところで逃げた方がいいんじゃない?)
と我が身の危険に気付いていた。
役人なんてものは自分達に被害が及ばない様に他人の所為にするものだ。
やがて羽根が伸び切った巨大蛾は、
鱗粉を撒き散らしながら上空へ飛び立ち、
王都の西半分の上空でくるりと半周した後、
北へ飛び立って行った。
その巨大蛾を目で追っていたその場の人達は、
フードの女が消えた瞬間を見ていなかった。
恋愛小説を書いてる筈なのに…
何が悲しくて虫の拡大図を見ながら文章を書いているのか。
本編メインイベントの日に関係ない話題を書くのは何ですが…
競馬中継を見るのが好きです。たまにしか見ませんが。
今日のレースは本命をさして人気の低い馬が勝ちました。
後で録画を見直すと、
素人目に見ても完璧なレース。
本命が馬なりに勝つのも素敵なショウでしょうが、
勝因のある勝ちの方が格好良いですね。