3−1 冬休みのある日
しばらく女官試験の勉強をしていなかったから、
平民服を着て北図書館に向かう。
しばらくテキストの内容を書き写していた筈だが、
気づくと頭が机にくっついていた。
…多分、家族のいないところだからリラックスしているのだろう。
家族の事は気にしていないつもりだったのに、
自分の事を認めてくれない人達の近くにいる事に負担を感じているのだろう。
やるせなくなった。今日は帰ろう。
気まぐれで平民街と貴族街の間にある公園を通って帰る。
貴族街側に出ようとしたところで、声をかけられる。
「キャサリン…」
次女のブレンダだった。後ろに侍女を連れている。
「家で見ないと思ったら、そんな格好で出歩いていたのね。
あなたの評判なんて無いに等しいからどうでも良いけど、
我が家の評判を貶める事は止めてくれない?
迷惑だから。
出来損ないなら出来損ないなりに、
大人しくしていてくれない?」
言いたいことだけ言うと、ぷい、と向きを変えて歩き去る。
こちらも思わず逆を向き、公園の中に走り出した。
今は葉の落ちきった、枝を横に広げている木に向かい、
我慢出来ずに幹を蹴ってしまう。
何あれ!
何あれ!?
あんただって馬車を使う許可も貰えず歩いて外に出かける立場じゃないか!
私と立場なんて変わらないじゃないか!
それでも平気なのはあんな親達をとっくに見切っているからかと思えば、
見下す事が出来る私という人間がいたから我慢出来たって言うの!?
あんた何様!?
私は2組であんたは3組で、
それなのに私の事を出来損ないって言う資格があると思ってるの!?
馬鹿じゃないの!?
怒りが体を突き動かしていた。
思い切り体を動かしていないと気が変になりそうだった。
思い切り歯を食いしばっていないと心が落ちていきそうだった。
瞳から零れそうなものを抑えるには体を動かすしかなかった。
だから幹を蹴り続けていたが、
興奮して周囲に注意を配れなくなっていたのは不覚だった。
「木は公園の備品扱いだから、
壊すと捕まるぞ。」
振り向かないでも誰かは分かった。
私は目で見ていない物でも近くにある物なら能力で見る事が出来るんだ。
だから、グレアムとエディと護衛達が近づけばいつもなら分かる筈なのに…
興奮して注意を怠るなんて…
駄目だ。落ち着くまで外出は避けるべきだ。
「ご忠告ありがとう。」
振り向きもせずに立ち去ろうと思ったが…
エディが声をかけてくる。
「そんなに興奮する様な事なら、誰かに相談した方が良いんじゃないかな?
誰にも話さないと約束するから、
少し話をしないか?」
…そう、これはシェリルやアイリーンには相談出来ない事だ。
私の事なんて調べ尽くしているこいつらくらいにしか話せない事だろう…
くるっと振り返って愛想笑いを浮かべて口を開いた。
「男らしくお茶でも奢ってくれる?」
「うん、個室の方が話しやすいよね?」
連れられて来たのは平民向け商店街の中でも
裕福な商人しか入れない様な高級レストランの個室だった。
私なら就職した後でも入れない様なランクの店だ。
くそう、金持ちめ。
お茶とお茶菓子が出たところでエディが切り出す。
「まあ、何でも話したい事を話してごらんよ。
アドバイスが必要ならするけど、
まず話してごらん。」
…
「そうね。
ご存知かと思うけど、うちには両親と1男3女がいて、
親は長女と長男しか育ててないの。
次女と私は領地に取り残されたし、
王都に来ても食事を一緒に取るだけで次女と私はおまけなのね。
だから無意識にこの家族は長男と次女の間に境界線があるのかな、
と思っていたんだけど、
先ほど次女と顔を合わせて、
その時に言われたの。
家を貶める様な事は止めてもらえる、
出来損ないなら出来損ないなりに大人しくしてなさいって。
だから、分かったの。
次女にとって境界線は次女と私の間にあるって。
次女は味方とまでは思ってなかったけど、
少なくとも敵ではないと思っていたのに…」
グレアムから見れば、自分以外家族は全員敵、
なんてことは貴族ならよくある事だと思っている。
只、犯罪組織だろうが貴族だろうが何とも思ってない様に振舞うこいつが
心の拠り所が一つ無くなって傷ついているのには言葉が無かった。
エディは、プリムローズ家を調べていたので、
この家の構造が彼女を傷つけている事には同情していた。
当代のプリムローズ伯爵夫妻が学院に通っていた時は2組だった。
親は子どもの教育に興味がなく、その所為で2組になったと思った当主は、
長男には良い教育を受けさせようと思っていた。
長男にだけは。
長男が特別で、その他の子供は放置するのが普通と思っていたんだ。
長女は優秀だったので長男と一緒に教育を受けられた。
そんな長女の調査結果は「隙がない女」だった。
そつなく振る舞い短所は見せないが、逆に凶器の爪も見せない注意深さだった。
外部に見せている成績は、
傑出した点はないが総合点で上位に入っていた。
南部の伯爵令嬢風情が良い成績を取る事を良く思わない
北部の上位貴族からの敵意も上手く受け流していた。
ただ、悲しいかな、あの両親から生まれた所為で魔力が並だった。
魔力がもっとあったら北部の上位貴族とも結婚出来たかもしれない。
だから、長女はキャサリンの味方になる程の力は無い。
長男は凡庸そのものだった。
1組の上位貴族からはいじめもあった。
結局教えられた事は分かるが、応用が利かない不器用な人間だった。
そして、この男は地位が下の人間を見下すタイプだった。
下を見て現状を我慢しているのだ。キャサリンにとっては敵そのものだろう。
次女に至っては3組なのだから、貴族子女としては劣等生と言って良かった。
3組の半分は平民なのだ、そこに下位貴族に交じって伯爵令嬢がいるのだから。
3組は貴族と平民に2分されている為、彼女は平民を敵視していた。
だから平民の格好をするキャサリンに神経質になったんだろう。
それでも、次女が今親しくしている男性は男爵家の次男だ。
結婚したら平民になるのに、平民を敵視して上手く生きていけると思っているのか。
平民に紛れて平然としているキャサリンの方が正しい生き方なのではないか。
尤も、キャサリンが平民として生きていくのなら、の話だが。
「ありがとう。話して少し冷静になれた。」
グレアムは腕を組んで黙っていた。
エディが一言応えた。
「何かアドバイスが必要かな?」
「いらない。卒業したら家を出て女官になるのは既定の路線だから。」
「何なら侍女見習いとかの口を紹介出来るかもしれないけど?」
「侍女見習いが表向きの仕事で裏の仕事が付きそうだからいらない。
…今日はありがとう。
このお礼に何か怪しい事で話せる事があったら教えるからね。」
グレアムが思わず一言言い出す。
「怪しい事は何でも教えろよ!
大事になってから話されても何も出来ないだろ!」
「好奇心は猫を殺すからね。
殺されそうにない事だけ伝えるよ。」
エディが一言告げる。
「危ない事には首を突っ込まないで欲しいね。」
「勿論、余計な事はしないよ。」
そうは言っても、君の中の「余計な事」の定義が怪しいと思うんだ、
とエディは思っていた。
どうせこの辺に知り合いなんていないから、と周りを見ていないと、
知り合いに見られてた、なんて事は時々ありますよね。
一方、あの両親から生まれたのに特殊能力があるのは…
ただの運です。