0 プロローグ
序盤(1−1)で拙作「最果てから来た少女」と似た魔法理論が出てきますが、本作は独立した世界を舞台としています。それでも共通の魔法理論を持つのは、単にこの作品世界は普通の3次元世界を舞台としており、死んだらお仕舞いの世界なので主人公は死にもの狂いで生きている、そしてご都合主義の主人公救済は無いと宣言しているだけです。
キャサリンにも誰かに手を引かれて歩いた記憶はある。
誰に手を引かれていたのかは記憶にないのだけれど。
幸せな家族だった事もあるのだ。
それが壊れたのは5才になる年だった。
スチュアート王国は王都の南側に中央山脈が東西200マイルに広がる国である。
その山々は夏季以外は冠雪する高度を持ち、踏破は不可能だった。
つまり最後に国家に加わったのが中央山脈の南側であり、
その南側にプリムローズ伯爵領がある。
そういう訳でこの家は国内での地位は高くなかった。
山すそに広がる領地であり、水はきれいだが耕作面積は大きくなかった。
そういう訳で経済的にもあまり恵まれていなかった。
だから領主もあまりやる事がなく、先々代、先代、当代とやる気のない領主が続いた。
危機感を抱いた陪臣達は、領主を切り離して陪臣だけで領政を行う様になった。
領地は領地で財政を成立させ、領主一家には毎年同額の領主家予算を差し出す様にした。
何もしないで伯爵家予算だけ入手出来るから、
領主もそれを受け入れていた。
キャサリンが5才になる年、長女のアレクシアが8才になる年に、
嫡男のアンソニーが7才になるので家庭教師を雇い、
アレクシアとアンソニーに教育を受けさせた。
この家系には珍しくアレクシアは利発だったので、家庭教師は長女を絶賛した。
一方を絶賛すれば当然一方が「それに比べて…」という見方になる。
下に見られて面白い人間はいない。長男はそのはけ口を二人の妹に求めた。
長女を除いて3人で遊ぶ事にしたのだ。
当然男の子で一番年上の長男が無双する事になり、
勝てない二人の妹をひたすら馬鹿にして鬱憤を晴らす様になったのだ。
それが4年続いたが、アレクシアが12才、アンソニーが11才になる年に
アレクシアの進学準備の為、領主夫妻、長女と長男は王都に移動し、
二度と帰ってこなかった。
また、領主夫妻は領主家予算を全て王都のタウンハウスに使い、
領地の領主館の維持と2人の娘には一切予算を振らなかった。
陪臣達は領主の無責任を呪ったが、
何かあった時に責任を取らされるのは嫌だったので
仕方なく最低限の予算を領主館に充てた。
ほぼ10才であった次女のブレンダは両親のいる間に
茶会で一応近隣の貴族子女と友達になれたので
時々遊びに行く事が出来たが、
まだ9才になっていないキャサリンは友人もなく、一人放置された。
それでもキャサリンなりの遊び方があったので暇は潰せた。
キャサリンには家族には明かしていない特別な能力があったのだ。
中央山脈の南側の山すそをじっと見つめる。
するとその地の光景が詳細に頭に浮かぶ。
(周りに人影はなし。地面も濡れていないよね。
じゃあ、行きますか。ジャンプ!)
次の瞬間、キャサリンはその頭に浮かんだ風景の中にいた。
キャサリンには瞬間移動の能力があったのだ。
それに気付いたのは8才の時。
兄達とかくれんぼをしている時に兄に見つかりそうになり、
また馬鹿にされるのは嫌だな、と思った時、
視線の先にあった場所に移動していたのだ。
(これ、あの嫌な兄に知られたらずるしている、
と怒られるよね?)
と思ったキャサリンはこれを皆に黙っておく事にしたのだ。
家族の目が無くなった時から、
こうして行ったことのない場所へ遊びに行き、時間を潰す様になった。
そうして毎日、東西の山すそを見て移動している間に、
数回の移動を経れば山脈の西の端にも東の端にも
半日で移動して帰ってこれる事が分かった。
要するに見える場所なら移動出来るのだから、
中央山脈の麓に住んでいる事は彼女の能力を活かす良い点だった。
ところで、この国の貴族の多くは魔力を持ち魔法が使える。
だから10才になると魔力と属性を調べる検査をするが、
キャサリンにはそういう話が無かった。
貴族なら普通は検査官を領地に呼んで検査してもらうのだが、
誰もその予算を払いたがらなかったのだ。
11才になってもそういう話がなく、
領主館に勤める侍従長と侍女長は
(これ、何かあった時に自分達に責任を押し付ける気じゃないか?)
という事に気付いた。
貴族は13才になる年から王都の魔法学院に通うのが義務だが、
魔力がない貴族は通う義務がなかった。
平民の魔力持ちは王都の魔法学院か
上位貴族の領地内の魔法教育機関に通えば良いが、
魔力持ち貴族を王都の魔法学院に通わせない場合は罰せられるのだ。
そういう訳で領主館の侍従長と侍女長が職を賭して
キャサリンの魔力検査を訴えた。
そういう公式の申し出があったのに領政側が対応しなければ
今度は領政側の責任になる。
渋々、陪臣達は予算を出した。
隣の領地の子爵家の検査に便乗する事にしたのだ。
斯くしてキャサリンの魔法属性は風魔法と判断された。
陪臣から王都の領主に知らせが行ったが、
「12才になる年の秋に娘を王都に向かわせろ」
と連絡が来ただけでそれまでの魔法指導に関する指示は無かった。
仕方がないので陪臣の中で風魔法が一応使える者が週一で指導する事になった。
勿論、指導する方にやる気はなく、そういう実績を残す為だけに時間をとった。
キャサリンにもやる気はなかった。
指導を受けても大した事が出来ない風魔法より、
移動能力の方が自分の本当の魔法だと気付いていたからだ。
そうして王都に移動する事が決まっていた11才の春、
もうこの景色も見納めか、と思って中央山脈の春の花々を見て回っていた。
山脈の南西部で桃色の花を見つめていた時、
遠くに人工物らしき色が見えた。
じっと見つめると、人の様だった。
高そうな鮮やかな色を使った服を着た人物。
山には不似合いの人物だったので、さらに見つめると、
どうやら倒れている様だった。
何も出来ないけれど一応今際の言葉くらい聞いてやるか、と考えた。
(3本位、木を間に挟んだところを確認。
木が視界を隠してくれそうだね。
じゃあ、ジャンプ!)
木の間をなるべく音を立てずに近づき、倒れている男の子の顔を覗き込んだ。
「身投げ?」
金髪の男の子は、苦しそうに顔を歪めて言った。
「だ、だれだ…」
「通りすがりの者でーす。
御用がないなら失礼しまーす。」
女の子がたった一言で機嫌を損ねたのに気付いた男の子は、
素直に助けを求める事にした。
「す、すまない。怪我をして動けないんだ。」
キャサリンは男の子の服の汚れ具合を見た。
土で汚れていたが血の跡は無い様だ。
「骨が折れたの?
崖から落ちたとか?」
「ま、前をあるく者とぶつかって、足を滑らせて滑落したんだ。
多分、あばらと足を折っている。」
ぶつかって足を滑らせて、しかもぶつかった相手が探しに来てくれない。
大分間抜けな上に大事にされていない…
間抜けはともかく、周囲に大事にされていないのには同情した。
身につまされる…
「足って太もも?それとも脛?」
「み、右の脛がひどく痛むんだ。」
あばらってお腹の骨だよね。それで喋る時に苦し気なんだ。
「待ってて、お腹はどうしようも無いけど、
足は木で固定すると良いって聞いたことがある。」
キャサリンは背負った背嚢から鉈を取り出した。
視界確保はキャサリンにとって重要な為、鉈は必需品なのだ。
それでも腕力のないキャサリンにはあまり太い枝は切れない。
出来る範囲で太い枝を落として、細い枝を短刀で落とす。
山で見つけた木の実の枝などをまとめる用途で持っていた麻紐を使って
男の子の足を枝に固定する。
「いたい、いたい!」
「男でしょ、我慢して。」
他人事である。自分の事なら3倍は騒ぐキャサリンである。
なんとか固定したが、当然歩けそうにない。
木の葉の生えた木の枝を下に敷いて、引いて運ぶか…
更に枝を落として、男の子の下に敷く。
いたいいたいと煩いが無視して枝に乗せた。
そうして引っ張ろうとするが。
「いや、これ絶対痛いやつだろう、やめてくれ!」
私がこんなにやる気出してるのに、文句を言うとは何事か。
「御用がないなら帰りまーす。」
「…すまない、運んでもらえないか…」
そういう訳で、荒れた地面を引きずられて折れた骨に響く痛みに、
男の子は堪えた。涙は止めどなく流れていたが。
キャサリンも体力が無い為、度々休みながら進んだ。
木の根を越える時には荒っぽい風魔法で持ち上げて乗り越えた。
「いたい、いたい」
「我慢してよ。ろくに指導してもらえない風魔法を無理に使ってるんだから。」
「し、指導してもらえないって?」
「教師がいないの。田舎だから。」
この領地なら風魔法の教師がいる筈だから、
領地外の住人なんだろうか、と男の子は推測した。
休憩の度に
(帰りが遅くなっちゃうな…もう逃げようか…)
とキャサリンは思ったが、
察した男の子が縋るような目でキャサリンを見つめる為、
一応1時間ほどは運んだ。
そうした時、遠くから声が聞こえた。
キャサリンはそちらを見たが、人影は見えなかった。
だが、
「若ぁー」
という声は聞こえた。
キャサリンは見た場所の光学情報だけでなく、
音声も把握する事が出来るのだ。
「若、って呼んでる人がいるみたいだけど、知り合い?」
「た、多分、同行していた者だ。」
「声出して呼んだ方が良い?」
「そ、そうした方が良いだろう。」
「おおおおーいっ、こっちだよぉー。」
遠くで声が聞こえる「…どっちだー?」
「だからぁぁぁー、こっちだよぉー。」
何度も声を出し合い、漸く騎士らしき者達が合流したが…
「貴様、若に何をしている!」
「え、助けて運んでるんだけど…」
「何という無礼を!」
どうやら騎士はこちらを無礼討ちにするつもりらしい。
流石に気付いたキャサリンはさっと木陰に逃げ込んだ。
その木の陰に回り込んだ騎士は、キャサリンを見つける事が出来なかった。
霞の様に消えたのだ。
「探せ、どこへ行った!?」
「ま、待て、彼女は私を助けてくれたのだ…」
少年の言葉を騎士達は無視した。
彼等が探しに来るのも遅かった。何かおかしい事に少年も気付いた。
騎士達はキャサリンを探して時間を浪費した。
それが少年を救った。
ゴードン家騎士団の先鋒が騒ぎに気付いてやってきたのだ。
「若、ご無事でしたか!」
「あ、あの者達を捕えよ。刺客だ。」
次々と増勢するゴードン家騎士団を前に、
護衛として少年に近づいていた刺客達は逃げていった。
彼等を探して一昼夜をかけて山狩りが行われたが、
刺客も少女も見つからなかった。
ご飯は出ている様なので、決して主人公は虐待等はされていません。虐待ってエネルギー使うから、本当に無関心ならそんな事されないと思うんです。