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夢幻の如くなり

作者: 相浦アキラ

 夢を見ました。

 夢の中で私は椅子を作っていました。

 アルミの脚立のような骨組みがあって、上の方に腰かける部分を追加して椅子にしなければなりませんでした。私はマンガ雑誌にガムテープを付けて、骨組みに取り付けようと必死になっていました。しかし粘着力が足りないのかうまく貼りつける事ができません。透明テープも使って貼り付けようとしますが、結局すぐ剥がれてしまいました。何故私が躍起になって椅子を作ろうとしていたのかはよく分かりませんが、とにかく私は椅子を作らなければなりませんでした。誰か偉い人が座る予定があったので、絶対に作らなければなりませんでした。とにかく私は取りつかれたように椅子を作っていました。


 目が覚めて「変な夢を見たな」と苦笑しました。突っ込み出したらキリがないほどバカバカしい夢です。まず安っぽい脚立に漫画雑誌をガムテープで貼り付けて椅子にしようと言う発想が馬鹿げていて、そんな椅子を作ったところで座ったらすぐ壊れるに決まっています。何故思い至らなかったのでしょうか。そもそも、何故あんなに必死になって椅子を作ろうとしていたのかもよく分かりません。偉い人が座る予定があったのは確かですが、別に誰かから強制された訳でも、私が椅子を作る事に誇りを感じている訳でも、私が偉い人を尊敬している訳でもありません。ただ絶対に椅子を作らなければならないという強迫観念があって、私はそれにずっと囚われていました。私に少しでも冷静な心があれば樹脂の板と強力な接着剤を用意してまともな椅子を作るくらいの事は出来たかもしれませんが、それすらもせず、ただ私は椅子を作り続ける事だけに囚われていました。最早、行為そのものが目的化していたのかも知れません。ただの夢とはいえバカバカしい話です。自分に呆れながらも朝の準備をして仕事にいきました。


 しかしいつもの仕事をこなしているうちにふと思いました。私の人生もあの夢と大して変わらないのではないかと。私が死ぬ直前になって、今の私を思い返してみれば、ひたすらにチンケな椅子を作り続けている姿と大して変わらないのではないか。年を取って情熱も希望も喪ってしまえば、生活に躍起になる事自体がバカバカしくなってしまうのではないか。「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり」とは織田信長も好んだ敦盛の一節ですが、私としては「まあそんなもんだろうな」という気はしつつも、俗世で生活にかかずらっているだけあってどうしても納得出来ていなかったのですが、少しだけ腑に落ちた気がしました。死ぬ直前から人生を見下ろして見れば、何もかもが支離滅裂な夢のように思えるのでしょう。


 もちろん私としても今を必死に生きる事を全否定はしたくはありません。バカバカしい強迫観念に囚われて何も見据えていなかったとはいえ、夢の中の私が必死になって椅子を作っていたのは確かです。その努力は評価したいです。でもどうせ作るならもっとちゃんとした椅子を作ろうとするなり、座る人の事を考えるなり、何か自分の思想や構想を椅子に向けるなりすべきでした。折角人間に生まれたので、すべてが夢のようにはかなく消えていくとしても、すべてに意味が無かったとしても、それでも醒める直前にでも価値を見出せるような、そんな人生を送りたいところです。


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