旅行の怖さ
私の妹は旅行が好きだ。
パンフレットを見て、次はここ。この地域ならここへは行きたい! と楽しそうに話している。
その後少しすると、いつの間にか行ってきたようで、ここはやっぱり素敵だったとか、予想よりずっとキレイだったと話してくれる。物のお土産はないものの、良い思い出話を時間いっぱいにしてくれる。
『お姉ちゃん、この間ね、わたし東京に行ったの。
浅草下町のおじちゃんおばちゃんたちはやさしくて、わたしが一人なのすごく心配してくれてね。ショッピングモールのソラマチでのおすすめのお店を教えてもらったのよ。スカイツリーをのぼろうとしたらすごく高いからやめちゃった! 下から見上げると首が痛いっていうか、見上げたまま倒れそうになっちゃったから、やっぱりちょっと離れたところから見たほうがいいかもしれないよ。
お土産は買い忘れちゃったんだけど、東京ひよこの紅茶味が美味しそうだったよ。限定品なんだって。
あ、でも東京タワーは行ってきたよ! ででーん! と立っている感じで、鉄骨がすごくきれいな赤だった。でも足元が斜めっていうか、坂なんだよね。だからなんか不思議な気分だったな。東京タワーの中には神社もあったから、今度はお姉ちゃんと来られますようにってお願い事しておいたよ。お仕事忙しいんでしょ? 無理しちゃだめだよ!』
『お姉ちゃん! 聞いて聞いて! わたしこの間京都へ行ってきたの!!
すごいんだよ、京都って道が真っすぐで四角がいっぱいなの! まぁお姉ちゃんは知ってるかもしれないけど、わたし初めて見たから思わずキャー!って叫んじゃった。京都駅の京都タワーから見たんだけど、周りの人もはしゃいでたし、あらあらって笑ってくれてたからまぁいっかなって。
金閣寺はピカピカしてたけど、銀閣寺は普通だったね。渋い感じ。空気がきれいで、お庭が見える廊下で抹茶アイス食べたら、きっと美味しいんだろうね。お部屋から池が見えるって最高だよね。すごい気分転換できそう。あと白い砂のお山も見た! 風が強い日とか台風とかどうなっちゃうんだろ……。わたしは夜入れなかったけど、お月さまといっしょに見られたら銀色に光るのかな? わたしとしてはピカピカの金閣寺で一晩はなんか目立ちそうで怖いけど、銀閣寺だったらひいお祖母ちゃんのお家みたいだなって思ったんだけど、お姉ちゃんはひいお祖母ちゃんのお家覚えてる?』
ふと、なんとなく不思議に思い、母にこの話をしてみた。
妹が旅行するなら、両親か、少なくともどちらかが付き添っているはずだ。でもどちらからもそんな話はされなかった。一緒に行く? とも聞かれたことはない。妹は子供だ。子どもの一人旅は無理だし、お金を持っていないはず。何よりも外出許可が降りていないだろう。
だけど母の返答はそのどれでもなかった。
「そうなのよ。あの子、お父さんにも私にも楽しそうに話してくれるのよ。少しずつ元気になっているみたいで。ただ看護師さんが困っていたわ。夢の中で旅行をするようになってから、前よりちょっとずつお寝坊さんになっているんですって」
それからは妹の話を、夢の中の話なんだと割り切って聞くようになった。
だけど少しだけ、不安が残る。あの子は本当に、『見てきた』と話すのだ。
『お姉ちゃん、わたしとうとう沖縄へ行ったんだよ! 常夏の青い海だったよ! 海でも三段くらい色が違うところがあって、深いところはそれだけ濃い色なんだって。本当はみんなで行きたかったんだけど、つい行っちゃった。ちょっと潜っただけでサンゴ礁があって、クマノミが泳いでて、もうサイコーだったの。本当に楽しかったなぁ。
美ら海水族館もちょっとだけ行ったけど、もう海だったよね。ジンベエザメが優雅に泳いでる姿も、他の小さな魚も。ウミガメものんびり泳いでて、これはずっとここに居たくなるなってすごい思ったわ。きっと時間がたつのを忘れられる空間だよね。
国際通りってところは見るものが多くて目が回りそうだったけど、なんとかこらえたの。えらい? いろんな物があって、食べてみたいものもあったんだけど、なんでだろ。帰ってきちゃったの。だからお姉ちゃん、今度は一緒に行ってくれる?』
『お姉ちゃん、ヤバい。北海道やばかった!! 何あの雪。転んでも全然痛くないの。すごくまぶしくて、目が痛くなっちゃったよ。ただひたすら大の字になって倒れ込んでたら、スノボやる人たちに大丈夫? って言われちゃった! そしたら急に恥ずかしくなって逃げてきちゃった!
旭山動物園はすごくいいところだよね。ペンギンのお散歩とかシロクマダイブとか、もうずーっと見ていたかったなぁ。シロクマのしっぽがかわいくてかわいくて。ふわふわのぬいぐるみ欲しくなっちゃった。シロフクロウは雪にうもれてるのか、見つけるのちょっとがんばったけど、フクロウもふわふわだった。ちょっと目が怖かったけど。
でも時計台はちょっとだけしょんぼりしちゃった。パンフレットで見ててもすごく憧れというか、大好きだったんだけど、まさかビルの間にあるなんて……。いやぁ、大好きなんだけど、勝手に憧れちゃいけないんだなって思ったよ。わたしちょっとおとなになったと思う。
でもほんとに北海道ってすごいよね。夏も冬も両方行って幸せなんてサイコーが過ぎるよ!』
北海道の時計台も、パンフレットでみた印象と実物とでは大きさがぜんぜん違う。私も始めてみたときは勝手にがっかりしたほどだ。あの子もそれは言っていた。
そして今、私は恐怖している。あの子はひどいとき、正午を過ぎてやっと起きる時がある。お見舞いへ行っても、ずっと寝ているのだ。
最初は近所の話だったはずだ。角の駄菓子屋さんが閉まっちゃった話から、少しずつ範囲を広げて京都や東京へ行ってしまった。そのあと本州を出て北海道や沖縄へ行ってしまった。……次は外国かもしれない。
いつあの子が、雲の国や川の話、天国や地獄の話をしだしたらどうしようと思っている。行かないように言いたいけれど、なんで? と聞かれたらうまく返せる自信がない。
両親はそこまで考えていないのか、次はどこへ行くつもり? なんて会話している。
もし夢の中じゃなく、魂が外へ出ていたら、妹は、あの子はどこへ行ってしまうのだろう。どこかへ行っても、ちゃんと帰ってきてくれるのだろうか……。
ちゃんと起きて、こんな夢を見たんだよと、今度こそ話してくれるのだろうか……。
ありがとございました!