3.あなたの時間を頂戴いたしました
基本、基礎。
物事を成立させるため、どのようなことにおいても必須となる大本、土台、根幹。
序破急、守破離。
様々な言葉で表されるそれは、文武の分野においてはことさら重要だ。
誰かが言った。
型破りと形無しはまるで違うものだと言った。
基本の型を会得しないままにいきなり個性や独創性を求めるの「形無し」。
「型破り」になれるのは、基本の型がそもそも無ければ破る型もへったくれもないのだ。
そして人はその基本、基礎を。
序破急、守破離のなんたるかを。
時間をかけて、大げさに言えば己が命の残量を少しずつ減らしながら会得していく。
それゆえに基本と基礎は大事だ。
序破急、守破離を覚えることが肝要だ。
人に与えられた百年程度の年月は、時間は、思いがけずちっぽけで、途方もない速さで終わってしまうのだから――。
「とまあ、さんざ語ってたけど、これ無着成恭の格言だな」
いつものカフェテリア。熱弁を続けてた男は、スマホに目を落としている女にそう言った。
「型がある人間が型を破ると『型破り』、型がない人間が型を破ったら『形無し』」――未だ存命の日本の教育者が過去に語った弁だ。
さらには十八代目中村勘三郎の座右の銘「型があるから型破り、型が無ければ形無し」としても知られている。こちらのエピソードの方がテレビや本で取り上げられるから、割と知っている人も多いかもしれない。
そんな男の教養をひけらかす行為には、やっぱり女は興味が無かったようで。
「急に小難しいことくっちゃべりだしたから、とうとう頭イカれたのかと思ったわ」
「そんな俺、普段から学の無いことばかり喋ってっか?」
「省みる心を憶えなさい」
「引きません! こびへつらいません! 反省しませんっ!」
「反省しろ」
北痘神げんこつの社友者を知らない人にはちっとも伝わらないモノマネをしながら、普段の行いを省みる気はさらさらない男をとうとうツッコむ女。やっと構えてもらえたのか、男はむしろ気を良くしていたが。
「それで? その教養自慢の着地点はそこなの? アンタが反省しないで無駄話を繰り返す、世間話においても形無し男っていう証明をしたかったの?」
「んーにゃ。ちゃうてちゃうて。俺が文字書きをしてるのは知ってるだろ?」
「ええまあ。PV数が上がらなくて何作もエタらせて、思いつきで書いてエタらせてを繰り返してる底辺作家ってことは知ってるわ」
「否定もできない評価をありがとうありがとう」
非難もできない。事実故、致し方ないことだ。
「実際のところ、俺は「形無し」だと思うんだよ。自虐でもなくて、実際問題な」
「省みれてるじゃない」
「って考えたらじゃあ、小説書き……特にライトノベルにおいて「型」ってのは一体なんだって思ってな」
どうやら男は今日もまた自問自答を繰り返していたようだ。
朝、ぼけらーっと歯を磨いてる間。昼、ぼやーっとした時間の中。夜、眠てーっとふらついた脳内で。この男はいつもいつも実りも無ければ、どうでもいいことばかり心中で問答しているのだ。
「文章系の学校出ればいいのか? 起承転結をキチンと意識して文章を構成しているか? 三点リーダとダッシュを偶数個にしているか? 伝えたいこと、売り出したいことを明確に表せているか? エトセトラーって考えてみると、はてさてどこまで知ってれば「型」を知ったと言えるのだろうか?」
「……さあね。考えたことないわ。書き手側に触れることなんて、一度たりとてなかったもの」
「一般人が書く文章なんざ、作文か始末書くらいだもんな」
苦い思い出が蘇る人は多いだろう。男の同級生はだいたいが作文を蛇蝎の如く嫌っていた。習っているはずの漢字をわざわざひらがなに直して文字を稼ぐのは、たぶん皆やってたと思う。始末書は……まあ、縁が無い方がいいのだろうが、ねぇ。
「んで、俺の物書きの世界入りは、小さいころに読んだとある小説に触発されてからでな」
「どんな小説?」
「「都会のトム&ソーヤ」って小説と、「№6」って小説」
リアルに存在する小説を題材に、男は小学生の時分の自分を思い出していた。
「前者は最高のゲームを作ろうって男子中学生二人の冒険もので、主人公は平凡だけどサバイバル技能が常人離れしてる中学生と、頭脳明晰だけどエプロンを後ろで結べない財閥の御曹司。しかも舞台は魔法の介在しない現代日本。下水道の中だったり、テレビ局だったり、深夜の学校だったり……オコチャマで探検大好きだった子供の時分にはそそる題材だろ?」
今でもあの日の時のよう、と思い出せる本の内容を語りながら、楽し気に男は離し続ける。
「後者はSFものなんだが、所謂ディストピア小説でな。主人公は快適な環境に調整された市街に住むエリート……高等市民だったんだが、とあるきっかけで出会った少年に惹かれていく。それから自分が住んでいた理想都市「№6」の暗部を見て、大事な人を喪い、自身も死にかけて……。ながらも……まあ、いろいろと……」
「レビュアーとして大失格ね」
実は二冊目はかなりの少年期に読んだためやや忘れ気味だったりしている。なにせ題材が題材だし、小学生だった。ふりがな振ってあって辛うじて読める字も意味が分からない文字もあったし、それを字引を引きながら読んでたしで、学校の勉強くらい頭と辞書を使ってたかもしれない。
「それでも、だ。あの二本を読んでる時、俺は時間を忘れてたんだよ」
「夢中になってれば、そりゃあ時間を忘れるわね」
「人生九十年、時間にして788,400時間。一冊読んでる間、少なくとも俺の生きてる時間の内訳で5時間程度は消費しているってことになる。……だけど俺はその消費した時間をまるで無駄だと思ったことは無かった。むしろこれほどまでに充実した時間は無かったと思うくらいだね」
「……確かにね。本だけには限らないけど。漫画に音楽、映画、アニメ……いろいろあるわね。良いものに出会った時の充実感って」
「そう、そこでそいつらが対比に上がるわけだ」
ずびしっ。男は女を指さして、邪険に指を逆方向に曲げられる。
「そして話は一歩横に逸れる。今度は俺が唯一、物書きの講義を受けた先生の言葉なんだが、俺はそれがかなり心に残ってるんだ」
「なんて言ったの?」
「『文字を読むことって面倒なこと』なんだよ」
「……ふぅん?」
得心を得たような、分かったようで曖昧な、よく分からない表情で女はため息に似た声を出す。
「例えば、漫画は文字だけじゃない、絵が合わさってこそ漫画だ。音楽はメロディーに加えて声の質感とか込めた心が合わさる。映画やアニメはさらに映像、エフェクト、最近じゃあ4DXなんかでにおいや衝撃とかも合わさるようになったよな」
「時代の進歩の目覚ましさ、ね」
「視覚で読み取った文字の情報だけじゃない。絵の情報、聴覚で聞き取った声や音、嗅覚で嗅ぎ取ったにおい、触覚で捉えた振動……つまり感覚から得られる情報がほぼ自動的に入ってくる。能動的じゃなくて、受動的にな」
「……小説は自発的に、能動的に読まなければ、情報として得られなくて。音楽とかは受動的に聴いててもある程度伝わるってこと?」
「……ってことかなぁ? いやぁそこら辺俺も結構言語化し難いとこあってな。まあ流し見流し聴きできるじゃんか。時間の節約とかで何かやりながら映画見るとか音楽聴くとか、まあ雰囲気伝わればいいや」
諦めてる。他人に説明しているクセに。
「そう前提とすれば、小説を読むという行為が途端に考えられるものとなる。駄作を読んだ、自分には到底価値の無いと思える作品に5時間ほどの時間を割かれた、エトセトラ、と。そう考えてしまえば、自分の作品に考えさせられることができてしまった」
珍しく神妙な顔つきで、男はコーヒーを啜って目をつぶった。
「この作品が、果たして読者たちの時間を無駄にしてないだろうか?」
「……はたまた、面白いと思ってもらえたか?」
「そゆこと」
男は目を開けて、達観したような顔つきで、虚空に視線を彷徨わす。
「どうせなら、俺が書いた小説を読んでもらうために使った時間――無駄だったなって後悔してもらいたくないからな」
「……殊勝な心掛けで、いいんじゃないかしら」
「それなら良かった」
ゆっくりと。彷徨わせてた視線を女に戻す。
いつも目を見て話す時より、じっと、女のことをよく見ている。
不思議そうに、女の紅い瞳が、男の茶色の瞳を見つめ返す。
「そう。だから俺は今、時間を頂戴したわけだ」
「誰の?」
「話を聞いてたお前の。ひいてはお前らの」
「……お前、ら?」
「この物語を見ているかもしれない第三者の、な」
「……アンタは、その貴重な時間を頂戴したお礼とかはしないわけ?」
「ありがとう」
「それでいいのよ」
ありがとうございました。
読了時間約10分くらいでしょうか?
1時間換算にすれば、約0.2時間ほどでしょうね。
たしかに、頂戴いたしました。
あなたの人生の貴重な10分、0.2時間を。
あなたの時間を頂戴いたしました。