16.飲んで、呑まれて
お酒、御酒、御神酒、アルコール飲料、ソフトドリンクの対義語としてのハードドリンク。
適度な量なら百薬の長だが、過分に飲めば人体に有害な影響を及ぼす、そんな酒の魔力はとても恐ろしい。
まあ酒に限らず世間一般で有名な栄養素たるビタミンにも過剰症は存在するのだが。
曰くアルコールの効能は、「食欲増進、ストレスの解消、コミュニケーションの円滑化」などなど、ここだけ切り抜けばとても良いものなのだろう。
反面、「二日酔い、生活習慣病、アルコール依存症」などなど、悪影響を及ぼすこともあれば飲酒が原因の事故や事件も存在する。
とはいえこれらは個々人の用法用量、それに道徳や価値観などが関わってくる。
そもそも体質的に飲める人、飲めない人もいる。
飲むことを強要するものでもなければ、体を労わらずに無理して飲むものでもあらず。
「人は相当多量の酒が飲める。しかしいくら飲んでも満足することはない」のだ。
一人でも、複数でも、楽しんで飲むこと、それが肝要なのだ。
午前五時。梅雨時だがエアコンのドライ機能がつきっぱなしの部屋、御多分に漏れず酒を多飲した男はばっちりと目を覚ました。酒を限界超越手前のラインでキメた次の日は、こうして覚醒するかのように綺麗に目覚めるのだ。
女が「どうせ引きっぱなしならベッドにすれば?」と提案したので新しく買ったベッドは実に寝心地が良い。新しいマットレスと夏用の冷感カバーの組み合わせは素晴らしく、長年患っている慢性腰痛にも優しいのが有難い。
「ん……水……」
一人で暮らしていると意図せずとも漏れ出る独り言を呟き、男が水、と言いながら冷蔵庫の麦茶を取りに行こうとすると――ふと、「なにかが傍にあること」に気付く。
ただでさえ狭い部屋なのに「安くなってるから」という理由で買ったダブルサイズのベッド。遮るものがあるとすれば、隣に幽霊でも寝てるか抱き枕でも置いてるかの二択。
――いや、あるいは。
……そっと、視線を下にずらす。
「…………」
隣で寝ている、髪をほどいた女の姿。
「……ん」
すうすうと寝息を立てる女があられもない姿……つまり全裸であることに気付くに数瞬の時を要した。
「……なにが」
「あった」のか、それは男にも分からなかった。
男の自慢は酒の飲み合わせにもよるが、並大抵の量の酒では二日酔いにはならないことだった。
だが、決まって寝る前の一時間前後の記憶が無くなるのだ。
そして、目覚めた後に頭を抱えるものだ。
「……どういうことなの?」
こうなるからだ。好事にせよ悪事にせよ、きれいさっぱり忘れてしまうのがとても困る。
たぶんだ。たぶん、一線は超えたのだろう。
だって、自分だって一枚の布切れを着ていないのだから。
さあさあ、ここから一個ずつ思い出していこう。
まず一緒に酒を飲む前に当然の権利のように風呂を借り、セカンド童貞の男を無駄に焦らせたことが記憶の彼方から蘇ってきた。
次に部屋を見回すとちっちゃな折り畳みテーブルの側に5本以上も転がっているワインと日本酒の瓶が目についた。
そしてその隣……仕事兼ゲーム兼映画動画その他もろもろ鑑賞用のPCデスクにまで広がった、脱ぎ捨てたであろう男女の衣服には、確かに見覚えがあった。
男はとうとう顔を手で覆う。
「……ぜってぇ俺キモかっただろ……」
曰く、酒に酔った男は、とても面倒くさい。
数少ない友人が連れてくれたバー。厳密に言えばガールズバーでベロベロに酔った時、バカみたいな声量でカラオケを占拠したり、隣のおじさんと煙草の話で盛り上がった挙句名刺を交換するまで至ったり、さらに次の店舗でも思いっきり羽目を外して他人の家で目を覚ましたりetc……。
他人であればその様は面白いだろうが、ふらとどこかに消えて知らん誰かの家で一泊しているような男だ。知人としては要らぬ心配はしてしまうだろう。スマホに電話とメッセージが山のように来ていることだって珍しくもない。
そんな自分の負の一面、酔うと解放される秘めた側面を男は抑えるべく、飲む量は家でも外でもかなり控えることにしていた。というかするようになっってしまった。だってその時の言動を思い出した時にこうやって自己嫌悪に陥るのだから。
こうして一通り過去の自分に悪態をついた後、顔を覆った掌の隙間から女の寝顔をじっと見る。
妙に満足げで、安心しきって寝ている女の長い銀髪を撫でた。さらりと指通った髪の間にちらりと見えた首筋に、つい最近できたような赤い痣が男の自己嫌悪をさらに加速させるのだった。
――「百薬の長とはいへど、よろづの病は酒よりこそ起これ」。
なにはともあれ、お酒はほどほどに。
……少なくとも、行動の責任を取る必要が出てくるほど飲まないことをお勧めする。