15.入るだけでいい
器の大きさ。心の広さとも言うのだろうか。
広義の意味では才気あふれる人のことを差す言葉としても使われるそうだ。
我ながら寛大と大声で言えるほど大きいとは思ってないが、小さすぎるとも言い切れない……あくまでも主観の話だが。
往々にして苛立ちを覚えることだってあるし、くだらないと思ってしまえばしばしば盲目的になってしまうこともある。
事実若い頃は、新しい文化を否定するタイプの老人とは決して相容れないだろう、こうはならないようにしたい、と思っていたものだ。
なにせ今、地味に片足を突っ込みかけてたことに自己嫌悪を覚えているところだから。
それはさておき、かといって才気があると言えばそうでもない始末だ。
物覚えは自覚している内でも悪い方だし、先天的な才能を持つわけでもない。
せめて自負しているものといえば、反復して習得したものを最適化していくことくらいか?
器は広くない。入るものは自分と、数少ない大事なものだけ。
生きるため口に糊するための仕事と、生けるしかばねにならぬようと見つけた趣味と、両手で十二分に足りるだけの大事な人。
それくらいの実にせまっ苦しい、狭量な器。
けれど、器の固さはどうだろうか?
器に求められるものは広さだけではない。
当然広ければいいものである、何でも入るのだから。
だが果たして、その広い器は溶岩をも超えるぐつぐつと、どろどろと、煮えたぎるようなものまで受け入れることができるだろうか。
広い器だ。綺麗な焼の入った陶器製で、文様は鮮やかだ。
しかし脆かったら何の意味もなさないのだ。
注げる量が多かろうと少なかろうと、器が壊れては元も子もない。
覆水盆に返らず、朱に交われば赤くなる、時すでに遅し……なんとやら。
だから俺は少なくていい。
小さくていい。
入るだけでいい。
俺は入るだけの、受け入れるだけの数少ないものを、頑強で堅牢な器で決して取りこぼさない。
さながらお猪口に注いだ熱燗のように、特別なものだけをしっかりと支えていくのだ。
ついには一つだけになってもいいのだ。
その一つさえ、砕けぬ器で受け止めれば、それでいいのだ。
ぐびり。
「……ぷはぁ」
そうして一つ、男は呷った。
百均の安物だが、間違いないお猪口と徳利から注いだ、地元の日本酒を。
「で? この場合、なにがどろどろと熱いものなの?」
「……んぁ?」
食卓で体面に向き合っている女は、脚の無いワイングラス片手に紅潮した顔で嗤う。
「んー……お前かな?」
「……へー」
「ははは。酔ってる酔ってる。テキトーなことばかり言う性分よ」
「ふーん」
まんざらでもない顔で、女は白ワインを飲み干した。