10.少女の存在は男の心を融かすか
珍しくラインをよこしたのはそもそもなぜだろうか。
普段自分からなにかを発信するのは、Twitterくらいのクソネット人間なのだが。
インスタグラムはそもそもインストールして放置しているから、まあおきれいな投稿を見ることの無いゴミだめなんだが。
「アンタ意外と冷蔵庫綺麗に整理してるわね。大量のパックめかぶとハイボール缶ばっかりだけど」
「……めかぶうまいじゃん?」
「賞味期限切れるわよ」
「消費じゃないから平気だろ」
ぐつぐつ沸騰したお湯にパスタを二束入れて、同時にフライパンでにんにくを炒め始める。背格好は同じくらいなので男のエプロンがぴったりサイズだ。
「ネイルってしたまま飯作れるもんなん?」
「ものによるのと、人の感性によるわね」
「衛生面とかな」
「だから手袋、借りてるわよ」
着飾っている女に百均のジーンズ生地エプロンは果たしてあっているのか。少なくとも男は何とも言えない面持ちで女の料理する姿を眺めていた。
「……常々思うんだけどよ」
「なにを?」
「男が料理できるとモテるって言うけど、だいたいそのスキルが役に立つことは無いってこと」
「……? 自活力ある人はカッコいいじゃない」
「だいたい振る舞いたい人は料理がすこぶるできたもんでね」
「それは残念」
「…………」
じゅうじゅう、と調理の音が、無音の部屋の中でBGMとなって聴こえる。この数年、実家にすら帰らない男が聴くことの無かった、他人の調理する音だ。
菜箸の音、フライパンの音、皿の音。
あれはトング、フォーク、そして刻んでいるのは赤唐辛子か。
ぱらぱらと、たぶんブラックペッパーを追いがけしている音も聴こえる。
完成したのだろう。出来栄えを一口食べたのか、女は微かに笑っている。
「どこでアンタは普段ごはん食べてるのか、部屋を見てるとわかりやすいわね」
と言ってキッチンで立ち食いを始める。行儀悪い云々を抜いて、たしかに食べる場所はそこくらいしかないだろう。男は寝てるわけであるから。
「食べないの? せっかく作ったんだから、温かいまま食べてほしいのだけれど」
「ラップかけといて……どーせ動けん」
「鎮痛剤飲むのにすきっ腹じゃ胃を傷めるわよ」
「わかってるけどさぁ……」
器用に、それでいて綺麗に、行儀よく食べる女をちらと見て、男は匂いだけ堪能しながらうつぶせになる。ため息をついて女がラップを取り出す音を聴いて、男はぼそっと呟いた。
「……わっかんねぇなぁ」
――こんな男を好きになるかね?
人に対する「好き」も「嫌い」も男は分からなかった。
いつからか他者に対して関心を抱くことが無くなったからだ。
自分が望もうと望まなかろうと、そこいらにいて、自分と同じような種類で、骨に肉と皮をくっつけた、ただそれだけのもの。自分の周りを取り巻くありとあらゆるものを回すだけの、言ってしまえば世界の歯車そのもの。
だから、特別は特になかった。
特別が数瞬で普通に変わる日々だった。
いつかこの関係も無味ななにかになるはずだ。
――まあ、互いが飽きるまでかな。
そんな不実なことを考えた。
――いつか、飽きる日が、来る、よな。
そして過ぎった。
「来る、よな」
「? なにが?」
「……いや、べつに」
――……来る、よな?
いつか来るだろう、当然のはずの別れに、少しだけ怖がってる自分に。