【 付 録 ・ 最 後 の 合 鍵 と 白 衣 】
時は少し巻き戻る 穏やかに流れていた日々へ ――――
3年になって人間関係はかなり変化した。
タカさんは相変わらず改造制服を着ているが不良活動を控えて勉強熱心。オレの脳味噌にも若干の化学反応があったのか、ユーキと友人になって彼の家に入り浸りゲーム三昧の日々を過ごした。
人目に付かない場所で独り読書を楽しんでいたオレが、3階になった教室へ戻ると、運動部すら粗方撤収した時間帯なのに、窓際で青木さんが独り校庭を見詰めていた。生徒会長になった良子さんと一緒に帰るために待っていたのだろう。
物音に振り向き、退屈していたのか嬉しそうに笑った。
「あっ! いたんだー、小山内君」
「個室で一人静かに読書をしてた」
「また、あそこの女子トイレで?」
常識外れの理解者になっている。
頷きながら本を渡すと「宮沢賢治だね」と数頁捲る。
青木さんは「ケンジ、漢字が一文字違う」と囁いた。
そして自分の鞄に入れた、もう返ってこないだろう。
時々本を渡す、せがまれれば目を閉じて印象的な頁を想い浮かべ朗読していく。この異常な脳味噌の一部が他人に露呈する切っ掛けはいつだって本、本が嫌いだ、自分の声はそれこそ大嫌いだ。
青木さんはそれを使ってその声で聴きたいと言うが、断ると本を返却してくる。嫌いなものが部屋に溜まるのは困るから渋々朗読して、「続き忘れた」で「そー」と小声で呟いて、終了。その程度の関係。
青木さんと会話する機会は少なくなった。
長い時間を共にするのは、ひと気のない暮合いの校舎。
あの部屋にオレの好きな本が並んでいくのは、素敵だ。
「理科準備室の棚の上に、埃を被った模造紙を見つけた」
青木さんは少し目を見開いて静止した。
落ち着き払って「そー」と言った声は、少し震えていた。
「あの学級新聞、や……壁新聞?」
「早いねーあれから1年も経つよ」
「これさ、先輩から貰った最後の合鍵なんだ。それと白衣」
まるで自分だけの特権だと言わんばかりに普段は瞳の奥の奥まで覗き込んでくる青木さんが、初めて目をそらしたまま「私に渡せなんて」と呟いた。
オレは目を見て話すのを苦手としている、目と目を合わせられるのは3人だけ。もっともそのうち一人とは「目を見て話す」関係ではなくなってしまった。
強烈な寂寥感に蓋われた。
「あの……青木さん」
「なぁーにっかなぁ」
「どうして目を合わせてくれないの?」
一重瞼をぎゅっと瞑り眉間に皺を刻んだ青木さんは、「あそこしかなかった」と呻き声にも似た声で呟いたっきり何も言わない。少し沈黙が流れていたが、続きは聞けないようだったので質問した。
「あそこ……棚の上?」
青木さんが置いたのか。
チラリと目を合わせた。
またすぐに下を向いた。
「そーじゃなく」
「アレ。どういうこと?」
「どうって、なにがー?」
「裏移りしないように持ってった白い紙だった」
「失敗したのかもー なぁんも受賞してないよ」
「失敗って……どういう」
「違うの書いたかも……」
そこまで言ってチラリと目を合わせた。
違う壁新聞を制作したのかもしれない。
それが……疑問形?
すぐに下を向いた。
「根本的に違うの……良子が一人でできる?」
「それ、どういうこと?」
「本や資料を書き写したんじゃない、調べ尽くして教材にした。そうよね?」
「そっ……そうなるかな」
「異常な記憶力、それ模造紙一面に書き上げてしまう常軌を逸した集中力、行動、一人で賞でもなんでも取った。そりゃ先生だって気味悪がってここに置くでしょ?監視でもなんでもつける。教師の立場をおびやかす予測不可能な逸脱者、怪物よ、バケモノ! ……違う?」
窓際、教壇の上にあるオレの席をパンと叩いた。
見抜いてたのか……。
この指摘は2度目、冷静に受け止められた。
でも妖精さんがバケモノ呼ばわりは、酷い。
ちょっぴり傷ついた。
「そう、オレはバケモンかもなぁ」
「だよねー」
「でもなんで、良子さんだけが?」
青木さんは教壇にガコンと椅子を置き、向かい合わせに座った。
頬杖をつき「フ ―――― 」と鼻から息を吐いて、瞼を開いた。
目が合う、すぐ退屈そうに窓の外を眺めた。
「2年でクラスが変わってさー。同じ色の瞳を見つけた。ぼんやり遠くを見てて、綺麗だった……初めて自分の目が好きになれた。でも違う、遠くなんて見てない。ずーっと一箇所だけ見詰めてた」
「それ、なんの話?」
「良子の近くなら視界に入れた。違う?」
「えっ……?」
「茶色い目、髪、蒼白い肌、いくら食べてもガリガリ。病気みたい、大嫌い」
「ぇ……え?」
「こんな私が大ッ嫌い!!」
容姿にコンプレックス?
妖精さん……青木さんが?
「ここしかない、ずっと自分に言い聞かせて立ってた!」
「それが、あそこしかない」
「可愛い綺麗って褒められた、嬉しくって……絶望した」
「絶望……?」
「痩せたいなんてバカらしい?綺麗なんてよく言うよ!」
「や、青木さんホント綺麗だし ――
「すぐ良子を本気で叱った、そんっなに魅力ないかな!」
「ひとつだけ質問していい?これもしや……オレの話?」
「良子のパンツよりオッパイないかな!!」
「や、ちょっと、話が……青木さん冷静に」
「色仕掛けまでしてみたのに、戻った良子見て終わったーって。学校指定の制服でダサい髪形、ゼェゼェ息吐いて気色悪いったらない!裏のラブホの喘ぎ声みたい、なにそれ勘弁してぇ~って思ったよ!!」
天板を「バン!」とかなり強く叩いた。
普段ニコニコ感情的になる人じゃない。
良子さんと喧嘩……でもしたのか?
「あの。良子さん病気?それなんの話……ゼェゼェ?」
「作業止めてーって。全力疾走してきたんでしょー?」
「学級新聞の話だよね?」
「そうよー あの後の話」
「でも。あそこに……やってない?」
「 全 部 持 っ て っ た よ …… 全 部 !! 」
幽霊メンバーだから聞いてないんじゃない。
そもそも提出していないのか?
じゃあ……あそこにあった模造紙はなんだ?
白い紙に油性ペン、裏移りは酷似していた。
あぁ……そうか。
「全部引き上げて、良子さん一人でやって提出したの?」
「だからー それ、中……まだ見てないの?」
「いや、どうして違う用紙に書いたのかなぁ~? って」
「学校なんかに渡したくないからよ。決まってるでしょ」
「それは、どういう?」
青木さんは椅子から尻を浮かせて胸倉を掴んできた。
学生服の襟が下顎骨の内側に刺さる。
右腕を押さえ込んで下げると、立ち上がってさらに持ち上げた。
気道を圧迫されて生理的に反論できない体勢。
そのままの状態で、一気に捲くし立ててきた。
「自分でなに書いてたのか気付いてなかったー?だよねー、そういう奴だもんね。好きな人が模造紙一杯ラブレター書いてきたら触るなって普通そう思うでしょ?!あれを3日で書いてきた、絶句した……まさにバケモン!!」
「ラヴッ? や! そんっ な、つもり……」
「堪えてよ?今度こそ!全部これは自分のせいで起きたの!」
「 オ レ の せ い で 起 き …… な に ? 」
ハッとした顔で手を放して、「ガタン!」と椅子に座った。
失敗、そういう顔で「やっちゃった……」と小声で呟いた。
下を向いたきり動かない。
教室は、静かになった。
「話しが飛びすぎてて……理科準備室の棚の上に、埃を被った模造紙を見つけた。4人でやった最後の思い出がゴミ同然の扱いで放置されてて、なんだかガッカリしちゃって。取ってきたいけどオレは学校ウケが最悪だから、青木さんならどうかと思ったんだけど。先輩に貰った合鍵は1本ずつしか残ってない、ついでに長いこと着てない白衣も返却してきてほしい、ただ、それだけだったんだけど ――
「良子どうして生徒会?」
「これ、模造紙の話し?」
「合ってる、どうして?」
「いや、話してないから」
「良子にあれができるって?同じく書いて出したらバレる、夏休みに苦手な歴史を頑張りましたって1年も証明してるよ、見てらんない!これは以上やめてくれって直談判だってしてた!戻ってきてなんて言ったか聞く? ……教えよっか?!」
「青木さん……待って?」
「聞きたくないよねー!」
「少し冷静に、座って?」
「聞きなよ、聞いてっ!」
「聞くよ、聞くから……」
「 裏 取 引 …… 意 味 わ か る よ ね ? 」
裏取引。
どこに掛かってる……直談判、歴史、模造紙。
「2年、最後の席替え。覚えてる?」
2年の終わり頃、担任が唐突に席替えを提案した。
無意味なタイミングに不満タラタラでも強行した。
あの時、オレの席を教壇から降ろそうとしていた。
良子さんが、相応の対価を支払ったとしたら……
「生徒会 …… 生 徒 会 長 ? 」
今年は誰もやりたがらなかったという噂はあった。
立候補者がいない場合どうするか揉めているとも聞いていた。
後々になって立候補者があらわれ、信任投票もなく決定した。
壇上で紹介されたのは、良子さんだ。
勉強時間が惜しいと部活すらやってない、それじゃ受験に不利とオレは言った。3年からできる生徒会役員を始めたという流れとばかり思っていた …… 違 う ?
目立つようなことをする子じゃなかった。
今ならわかる。
まるで自由に使えない映像記憶ですら学校は憎んだ。
妖怪みたいな能力が露呈することを恐れていたのだ。
これがバレたら、正当な評価など受けられっこない。
他人の頭を覗ける、相手はそれこそ恐怖しただろう。
なのに、オレの身代わりに生け贄になった……?
「二人とも完全黙秘だからマジメッ子が媚び売ってるって評判最悪よ、特に女子。でもね、あれじゃセンセー達だって手が出せなくなった、良子を無視する連中も、もちろん良子本人にもね」
「 オ レ 、 と ん ッ で も な い こ と …… 」
「良子を守るって言った……そうなんでしょ、違う?」
「 聞 い た の か ! 」
「 見 て た だ け よ 」
「 ど し て …… ? 」
「どこでだれが聞いてるか、わっかんないからよ!!」
「自宅で……そう、電話なら!」
「親はPTA役員だし信用できないでしょ。学校ぐるみで生徒2人もイジメてる、良かれと思ってポロッと漏らして大問題、そんな危機的状況になってる自覚ある?すぐ近くで中学生が歩道橋から車道に飛び降りて自殺してる、あれの謝罪会見からピリッピリになってるよ。お次はなんですか …… 心 中 事 件 ? 」
「うち、実家アレだから、全然」
「断れる?これって中3でできる辛抱なの?」
「オレのせいなのか……」
「良子に誘われて断れるかって聞いてんの!」
「……それは」
「答えてよ!」
「聞けば後悔する、知らないほうがいいよ?」
「死んで後悔しない?簡単に言わないでよ!」
「 簡 単 に ? 」
「ぁ! ……そうじゃ、なくって……」
「歩道橋から飛び降りたそいつ何年生贄をやったんだ。オレはここに何年座った?主な失敗の原因は迷い、歩道橋のガキより確実にやってのける知識と自信がある。5年考えた、何手かある、手段まで聞いて後悔するか?」
「ごめん……でも!」
「良子さんが相応しいと考える人物……オレ達の最後を選ぶのは?」
「ごめん、待って!」
「生贄は1人でいい、なんの後遺症も残さず生還させることも……」
「 待 っ て !! 待って! ……だから! ……ごめんって」
「合鍵は3本あるな?理科室、理科準備室、もう1本小さい鍵は?」
「それ……嘘っ」
「目的は鍵のかかる薬品庫、消えた科学部に在籍する本当の理由だ」
「嘘よね? 嘘って――」
「 心 外 だ !! ……青木さんにだけは嘘ついたことない」
薄茶色の美しい瞳が震える。
湧き出した液体が表面で波打ち、表面張力はすぐに限界をこえた。
「怒って……くれたの?」
頬を流れていく前に、急いで親指で拭った。
「後悔しちゃった?」
「うん……ごめんね」
椅子に座りながら「心中事件か。それもいいかもなぁ」と呟くと、「ほんと……お似合いよ」と苦笑いしながらオレの机の端を掴んだ。
教壇からオレの机を「ガラン!」と力任せに撤去したので驚いて茫然と見ているうちに、椅子に座った青木さんにグイッと引き寄せられて頭を抱きかかえられた。机がガランガランと転がっていく。
どういう状況なのか混乱する。
心臓の音が心地好く左耳にトク、トク、トク、トクと聞こえる。
そのまま全身が虚脱して、ぼんやりと瞼を閉じた。
心が、凪いでいくのを感じる。
「これ、なにやってんの?」
「良子に頼まれてんのーぉ」
「なんて言ってたの……?」
「胸を貸してやれってさー」
「それ……こういう意味じゃなかった?」
「いいの。私が好きでやってるんだから」
長いこと、そうしていた。
青木さんは思い出したように頭や背中をポン、ポン、ポンと叩く。
眠気が襲ってきたので、質問してみた。
「相変わらず制服ブカブカ」
「うっせー 静かにしてろ」
「いいかおり、たまんない」
「ライオンから買ってんの」
「いいの?これブラが直で」
「それこそ触ったことあるでしょー? その中を直に」
「青木さん」
「なによー」
「青木さんさぁ」
「だからなによ」
「次からさ、好きな人の前だけ猫被るのやめたら一撃」
「それを先に言っとけー。でもありがと、覚えとくー」
少し楽な体勢に座り直して、オレの椅子を引っ張って、身を屈めるようにして、また頭を抱き抱えられた。
そのまま二人でぼんやり窓の外が青黒く染まっていくのを眺める。
「戻ってきた良子見てねー」
「ん? ……あぁ全力疾走」
「憎かった!二人とも嫌いになれなくて……悔しくって」
「じっくり観察してたらね、もっと凄い人が見つかるよ?オレみたいんじゃなく。青木さんて狡賢くって性格ヒン曲がってて可愛いんだから」
「褒めてなーい、それ」
「褒めてるよ、そこが可愛いって」
「ほんとはねぇ?」
「ショック……オレに嘘ついた?」
青木さんは「嘘ついても今もう意味ないでしょー」と口を尖らせた。
やはり、見抜いていたか……相変わらずの観察眼、思わず苦笑する。
「ほっぺた赤くて、うっすら汗ばんでて、膝なんて震えててね。壁に寄りかかって懇願する声なんて途切れ途切れで、ほんとーに綺麗だったなー! どう、見える?」
あの日、公園で譲り受けた、超能力。
たまぁに、ポン! と浮かんでくる。
今は、見えない。
軽く首を振った。
「どれも中途半端、ざまーみろ」
「ざまみろ、とか。言うかなぁ」
「自分醜い化物ですって告白されて、良子、ほんとーに幸せそうで……私あれ見て怖いって思っちゃったもん。勝てっこない、だから悔しかったの」
「それ今も?」
「見てましたよー、一年間」
青木さんはギュッと力をこめた。
「これねぇ、ほんと気持ちいい。青木さん胸無いから直接頭に響いてくるんだな?どんなだったか目に浮かぶ、ほんと、綺麗……綺麗だなぁ」
「勝手に貧乳覗かないでよ」
「も少しこうしてていい?」
「浮気現場が見付かって困るのソッチだよー」
「青木さんだけ『特例』だから大丈夫と思う」
「怒られるよ?」
「誰か待ってた?随分来ないなぁ。なんで?」
僅かに瞠目。
そして色も厚みも薄い唇を尖らせた。
眉尻が、諦めたように下がっていく。
「二人で勝手に決めないで。迷惑してるよー」
青木さんは頭をポン、ポン、ポンと5分ほど叩いていた。
不意に、独り言のように囁いた。
「ああなってたんだね。頭の中を独り占めしててさぁ、良子嬉しかったと思うよ?丁寧に書き写したんじゃないかなー。びっくりしたり、どきどきしたり、うっとりしたりしながら模造紙見ながら模造紙に書いてね。最高だねーそういう時間って。だから3年耐えるって信じて演台に立てる、そうでしょ?だから残り半年堪えて。生贄の山羊のために祭壇に立つ、良子のために」
「わ……ってる、わかってる」
「あーぁ貧乏くじ制服汚れて」
「ごめん、これっ……鼻水が」
「良子に洗濯させようかなー」
慌てて身を起そうとすると、グッと引き寄せられた。
細すぎる彼女の肋骨が痛いほど頬骨にあたっている。
繰り返される呼吸を感じて心地好い。
耳元へ唇を寄せて、小さな声で「あれを」と囁いた。
小さく頷く。
「ぐんぐん試験が済んでー?」
「 「 いよいよブドリ一人になりました 」 」
これだけは何度も見返した頁を幻視する――
そこにはまだ良子さんがいて、青木さんは。
本を覗き込む姿だけが視界の端にぼんやり。
極々僅かだった3人の時。
「視えた」
「ん……」
「いいか」
「ぃぃょ」
青木さんは微睡むように瞼を閉じていった。
『 いよいよブドリ一人になりました。ブドリがその小さなきたない手帳を出したとき、クーボー大博士は大きなあくびをやりながら、かがんで目をぐっと手帳につけるようにしましたので、手帳はあぶなく大博士に吸い込まれそうになりました。
ところが大博士は、うまそうにこくっと一つ息をして
「よろしい。この図は非常に正しくできている。そのほかのところは、なんだ。ははあ、沼ばたけのこやしのことに、馬のたべ物のことかね。では問題に答えなさい。工場の煙突から出るけむりには、どういう色の種類があるか。」
ブドリは思わず大声に答えました。
「黒、褐、黄、灰、白、無色。それからこれらの混合です…… 』
オレは、本が嫌いだ。
欲しかった言葉を綴っていたのは、いつだって本。
誰も、気にも留めないような一節だった……。
彼女の肺で共鳴し、第10肋骨弓を通じて、頭に直接響く。
「 無色のけむりはたいへんいい 」
大好きな声音で静かに囁く、クーボー大博士の評価。
不当に扱われても、諦めきれず、渇望していた肯定。
涙が止まらなくなる。
「私は何度でもクーボー大博士になろう。小山内君の欲しかった評価を繰り返し、あの一瞬の償いを君にしよう。 最後の一人はどうしても逃げられないのでね……けれども本当は役得かな? そう思っているよ」
「白衣を……」
「白衣……?」
「着てみせて?きっとオレの大博士に似合う」
「ヘンタイめー よぉーぉし!」
手を頭上で組んで思い切り背筋を弓なりに伸ばした青木さんの制服の隙間から、やや赤く腫れて色付いた皮膚を透過し第10肋骨弓が覗く、うっとり眺める。
「さすがに暗くなりすぎたなぁ」
「やー 家に着くころ真っ暗ね」
「人目に付かないし、好都合だ」
白衣に袖を通しながら「キャーヘンターイ」と青木さんが笑う。
扉に近づいてカラリと開く、その向こうに人影を見て瞠目した。
「3人で帰ろう。送るよ……良子さん」
「ゃ、でも!」
「オレが護る、それでも怖い?」
溜息をつくように目を閉じた。
ゆっくりと瞼を上げて瞳の奥を覗き込む。
あの日、最後に触れた日のオレが見える。
「オレも読めるようになった理由を聞かせて?」
こめかみをトントンと2度、軽く叩いた。
良子さんは小さく嘆息する。
「アカシックリーディングって知ってる?」
「はじめて聞いた」
「なーに? それ」
「世界の理を識るちから」
「 「 世 界 の 理 ? 」 」
2人で首を傾げる姿が面白かったのだろう。
少しだけ安堵したような表情で苦笑いした。
「シャーマニズムよ、歩きながら説明するわ」
その後、またも席を戻そうとした担任は勝手に教壇へ机を戻したオレを見て以後徹底的に「その場にいない者」として対応していたが、答案を提出されれば職務上採点するしかないようだった。
教壇の上に置いた机は生贄の山羊の祭壇ではなくなった。
熱心に勉強する良子さんを、最も眺めやすい居場所。
この世界の理を見るちからも離れていては使えない。
それでよかった。
背筋を伸ばしてシャープペンシルを走らせる姿を見詰めて、淡々とテスト結果で証明し続け、青木さんが点数を尋ねては歯軋りするという小芝居を楽しむ日々が、最後まで穏やかに流れていった。
三年になって、歴史が得意な良子さんは生徒会長になった。
オレは科学部を辞めた……あの模造紙のその後は知らない。
そう。
演台の後ろに2時間も立っていた進行役の生徒会長が式典の進行を忘れ、校長に「模造紙を視てました」と答えて笑いを誘った、そんなことが一度だけあった。