黒山羊
「橋が壊れちゃったのね。セイ、車で通って大丈夫?」
マユは意外にも現実的な問題について、最初に心配した。
「簡単な補修はしたけど。村の経費でちゃんと修理してくれるみたい」
「それなら良かった」
言われて
本当に良かったんだと気付いた。
橋の修理代なんて見当も付かない。
大きな出費になるかも知れなかった。
「セイはいっつもお金のことなんか頭にないよね」
マユが面白そうに言う。
「ま、そうかな」
収入不規則な自営業だけど
借金はないし、支出が小さい。
「買い物は食料とゲームだけかも」
と、既に生活を知られてしまっている。
「今度の事件、保険金目当ての子ども殺しでしょ?」
「『黒犬』は我が子と、罪の無いホームレスを殺して、金を得て幸せになろうとしたんだ」
死亡保険金は300万に過ぎなかった(子どもに高額死亡保険は掛けられない)
「求めたのは幸せではなく、普通の生活、だったかも」
もともと余裕がないところに
結婚が決まり、金が必要になった。
金銭的に切羽詰まっていたのだろう。
子ども殺しの計画は
経費が掛かっては成り立たない、ほどに。
「目的は事故に見せかけて子どもを殺す事だったのよね。一番簡単なのは車で山奥にでも連れ出して……」
たとえば吉野川でキャンプ、の方が簡単だ。
毎年数人溺れて死んでいる。
「自分の車も、レンタカー借りるお金も、出なかったのかもしれないわね」
最初に住居アパートから突き落として殺そうとした。
これは、全く経費が掛からない。
「もう一度上京するお金も負担だったとして。お兄さんの代わりに式に出るのは、いい話だったのよ」
交通費は兄が出すだろう。
宿泊費も入らない。
そして、奈良の剥製士の存在を知る。
「あいつ、原付バイクで此処まで来たんだ。逆に言えばバイクで行ける範囲がアイツの行動範囲か」
「一番交通費掛からない移動手段よね」
「凶器も盗めばタダで入手できる。あいつ、ネイルガンの他に農薬も盗んでいた。物置の奧に少量、あったんだ」
警察が物置を調べて分かった。
父親が保管していたのを
聖は全く、知らなかった。
「手が混んだ犯罪に見えるけれど、全くお金が無かったと想定すれば行動に辻褄が合うわね。 変なミリタリージャケットも。ネイルガンを持ち歩くのに、自分でフードコートをリフォームしたのね。ネットで丁度良いのを購入すればいいのに」
「金使ったのは、最後のビールとお好み焼きだけか……なんか、人殺しなのに哀れに思えてきた」
「セイが同情しなくて良いわよ。農薬で殺されて焼かれるところだったのに」
「焼かれる?」
「そうでしょ。証拠隠滅よ。全部燃やすつもりでしょ。持ってきたお好み焼きも」
「とことん悪い奴だな。あんな死に方したのは天罰さ」
「天罰? セイはそんなの信じているんだ」
マユは意味深にフフ、と笑う。
「悪いことしたら罰が当たると……そう言わない?」
「何の罪も無い人が事故や事件や災害で惨い死に方しているじゃ無いの」
……そうだった。
……善人であろうが悪人で有ろうが運命は情け容赦ないのだった。
……マユが重い病を持って生まれたのは罰では無い。
「犯人の死は自分が招いたのよ。自分の嘘が原因でしょ」
まだ渡らぬ橋を、渡ってきたと
事実と違う話をしたばっかりに
ワイヤーの危険を知らされたかった。
「セイ、もう忘れたらいいわ。殺された2人は不運だけど、カオルさんは偶然難を逃れたんだし」
陰惨な事件だった。
だからこそ、この事件に関するデータを
全て消去すべきだと。
マユは大切な事のように言った。
「そうだね。もう俺にやるべき事は無い」
最初に都庁展望台で撮った動画を消すことにした。
二度と見ない「黒犬」の姿。
最後なんで
見納めして、消そうとする。
が、聖の指が止まる。
「あれ?……気のせい、かな」
「セイ、どうしたの?」
「気のせいか、記憶違い……だろうな」
「だから、何が?」
「いやね、……なんか違うんだよ。俺が実際喋ったアイツと、この動画のアイツが違うんだ」
印象が違う、レベルで無い気がした。
「黒犬」は顔のパーツがハッキリした
表情豊かな奴だった。
太い眉。
アイラインを引いたかのようなハッキリした目元。
大きくてくっきりした唇。
ゴジラホテルで見た顔がそうだった。
都庁展望室で見た顔も。
この部屋に転がっていた生首も
同じ顔つきだった。
だが今動画で見る顔は
面長でパーツが彫り薄く
特徴無い優しい顔つきだ。
「違う顔?」
「今ね、なんでだか、そう思ったんだ……」
「それ、怖い事かも」
「そう……なの?……でもさあ、俺の主観だから。どうしようもない」
黒犬は死んだ。
全て終わった。
「『黒犬』の名刺を貰ったのよね? それは警察に渡したの?」
「見せただけ。持っているよ」
聖はデスクの引き出しから黒い名刺を取り出す。
「これ、だよ」
マユの透き通ったように青白い
手の上にそっと載せた。
瞬間、マユは
ぶるりと身体を震わせた。
「怖いわ」
「どうしたの?」
「セイ、これは……とても怖いモノだと……」
「安っぽい印刷の、ただの黒い紙キレ、だよ」
「違うと思うわ」
「……なぜ?」
「セイ、ちゃんと見てよ」
「何を?」
「『黒犬』、よね。ちゃんと見て。違っている。赤い文字は『黒犬』じゃないでしょ?」
「え?」
名刺の文字が
勝手に変わる、などど、誰が想像出来ただろう?
聖はマユが囚われた恐怖に同調するまで数秒費やした。
名刺の文字が
「黒犬」ではなく
「黒山羊」
と認識するまでの数秒、必要だった。
「黒山羊、」
聖は文字を追って
最近口にした言葉だと、
真っ先に思った。
どこで、
なんで黒山羊と考えてみる。
思い出してみる。
「セイ、コレは怖いわ。……重くて冷たい」
マユは名刺をデスクに置いた。
同時に携帯電話に着信。
結月薫から、だ。
「セイ、ちょっと聞くけど南マコトが『黒犬』を名乗っていたと、言うてた、やんな」
「うん。名刺もらったよ」
「黒い名刺で字は赤か」
「……そうだけど」
「奇妙な一致やな」
「……なに、が?」
「いやな、例の,
橋にワイヤー張った中学生、特定できて話を聞いたんや。そん中でな、主犯は『黒犬』やと不可解な供述が
出てきた」
中学生男子3人は
コンビニで男に声を掛けられ
ワイヤーを貰ったと、言った。
「2万、貰ったんやて。小遣いやるから、このワイヤーを橋に張れと」
<男>がワイヤーで死んだ南マコトで有るはずは無い。
「中学生らは、その男から名刺を渡されていた。それが『黒犬』なんや」
聖は、この事件は終わったが
今、いやな事が始まったと、感じた。
生身の人間がやらかした悪魔のごとき所業。
その陰に
正真正銘の悪魔が、
或いは悪魔の類いが
控えてるかも
しれないと。
最後まで読んでいただき有り難うございました。
仙堂ルリコ