1943年7月1日~パラオ・コロール
南洋庁近藤長官は悩んでいた。本土の政府から、各諸島の独立計画を策定するよう言われていた。しかも期限は2年である。医療、教育、司法制度など、どれも人材の育成から始めなければならないが、どう考えてもあと5年はかかるだろう。また、日本人は、現地資産をそのままに本土に帰還するよう指示があったが、10年以上かけて農園を作り上げたもの、製糖工場を立ち上げたものなどは、愛着があるのだろう、自分は残りたいといってきかない。パラオとサイパンに多い。
ギルバート諸島、マーシャル諸島の守備隊は、原則撤退したが、南洋庁職員、学校の教員、医院の医師、看護婦、産業の技術指導員等が引き継ぎ時間が欲しいと残っているので、彼らを守るために、中隊規模の守備隊は残っていた。逆に、マリアナ諸島のサイパン島、テニアン島、このパラオのペリリュー島、トラック諸島は、貨客船改造の戦艦からはずされた膨大な数の15センチ砲、機銃等が運び込まれ要塞化が進んでいた。この要塞化と、先日姿を見せた大和率いる機動艦隊が、現地日本人を強気にしていた。
あの艦隊を見たら負ける気がしないではないか。委任統治が始まって20年、ようやく成果が見え始めたのだ。本国の意向としては、原則、ハルノートの要求を受け入れて、講和するということのようだ。だったら、なんとかこの南洋諸島は、日本の委任統治領として残してもらえないだろうか。
高品中将は、満州の第29師団を引き連れて、先月サイパンに赴任してきた。サイパンを要塞化せよとの命令を受けており、15センチ砲だけでも、陸軍砲、海軍砲合わせて66門を受領し、島内各地に設置している。あっという間に成長する植物のおかげで擬装ははかどっているが、油断すると射角までさえぎられる。真水を確保するのが難しい土地なので、あちこちに雨水槽を設置している。アスリート飛行場には、周辺にびっしりと対空機銃と高射砲が並べられ、航空戦力としては、配備の始まった疾風とゼロ戦52型が合わせて100機ほどいる。タッポーチョ山に電探も設置された。しかし、ここ半年ほどアメリカ機動部隊の目撃情報がない。本当にくるのだろうか。南洋庁の邦人本国送還作業も手間取っているようだ。サトウキビの収穫まで待ってくれというが、確か収穫は冬ではないか。




