1943年4月20日~南樺太
北部軍司令官樋口中将は、豊原にきていた。中将は、残念ながら1月1日の「夢会議」には呼んでもらえなかった。しかしながら、2月に発足した統合参謀本部に呼ばれ、今後の史実の推移を聞かされ、横須賀海軍工廠でロボットの立ち働く姿を見せられ、さらにこの樺太まで3式連絡機に乗せられては、信じるしかない。
ソ連がうらぎるならば、北部軍は極めて重要な役割を負わされることになる。36センチ連装砲塔を有する要塞は、この豊原の南方の大泊海岸を見下ろす丘の上、豊原西方の真岡海岸近く、そして、ソ連国境の幌内川を見下ろす半田沢と西海岸の安別に設置されることになっている。千島列島では、占守島、幌延島、択捉島に1基づつである。すべて北部軍の管理下になる。専守防衛が基本であるが、もしソ連が参戦してきたら、可能であれば北樺太を占拠するよう秘密命令を受けている。航空戦力も増強された。偵察機や対潜哨戒機も含めて配下に約200機が配属されている。要塞建設のため、小型ながら強力な新型ディーゼルエンジン搭載の、整地機械、掘削機械、ダンプ、トラックも配備され、最後の追い込みに入っている。
要塞建設だけでなく、樺太は満州からの開拓団の引揚者を引き受けて、農地の拡大、鉱山開発、漁業の強化と加工食品工場設置などが計画されている。原生林を伐採しての製紙工場も稼働はしているが、こちらはむしろ植林に励むようにとのことである。北海道でも農地開発が開始された。北海道、千島、樺太で100万以上の引揚者を引き受けて食糧増産に取り組むことになる。
4月初めに農地改革法が成立し、6月1日より施行されることになった。これは不在地主の所有する農地はそのすべてを、北海道で牧畜業を営む地主以外は、2ヘクタールを超える部分を政府が買い上げ、小作農に組合を作らせて、その組合に払い下げるという法律である。もちろん、地主が所有地を提供して、組合に参加し、組合の持ち分を得ることもできる。政府はこれにより、より大規模な効率的農業を推進したい考えだ。
また、東京、大阪、名古屋、横浜などの大都市では、空襲対策として、住宅密集地から郊外への移転が始まっていた。郊外の新住宅地は、あらかじめ鉄道や道路が整備された後、住宅地建設が始まっていた。移転後の住宅密集地には、片側3車線の大型道路や公園が建設予定となっている。また、初めての試みとして、日光街道、中山道、甲州街道の山手線との立体交差の工事も着手された。
「どうなるか想像もつかんが、日本が変わり始めているのは確かだな。」
樋口中将は思った。しかし、それよりも、近々現地を立ち入り禁止にして夜間に行われるという砲塔設置をどうにか見学できんものだろうか。
わかってはいる。面白ければ評価してもらえると。
でも、あえていいたい。勇気をくださいと。
なろうにふさわしくない。才能がないから辞めたまえ →★☆☆☆☆
これが小説ならよっぱらいの与太話のほうがおもしろい→★★☆☆☆
いつも聞き流している友達の話と同じ。聞くけどね。 →★★★☆☆
聞いてやるけど、もう少し分かり易く言え。 →★★★★☆
止めちゃ駄目だ!止めちゃ駄目だ!止めちゃ駄目だ! →★★★★★
かなり厳格な評価の例です。