1943年3月22日~チュニス
ドイツアフリカ軍団の指揮権を任されたフォン・アルニム上級大将は、最後の部隊が輸送船に乗り込むところを眺めていた。北アフリカはこれまでの2年間、ロンメルの独壇場といえたが,それも今日で終わりとなる。【彼】のいうとおり、実に穏やかな撤退で、東西の敵はごくまれに偵察行動するだけで、なんら妨害行動に出なかった。航空機と潜水艦を失ったマルタ島が先月末に降伏したことが大きいだろう。アフリカのイタリア、ドイツ連合軍30万は、シチリアとイタリア本土になんらの被害もなく撤退できた。ロンメルは、あえて史実通りフランスに着任した。
総統の死後、ドイツ国内とヴォルフスシャンツェを中心に、激しいナチス残党の抵抗があったが、SS軍団が臨時政府に忠誠を誓ったことから、3月2日のヴォルフスシャンツェの陥落以降、急速に収まっていった。ボルマンは自殺したが、ヒムラーは依然として行方不明で、一説には南米に逃げたともいわれている。イタリアのバドリオ元帥が裏切ることは確実視されているが、臨時政府の方針は、あくまで後手の対応となっている。臨時政府の目標は、東ヨーロッパの共産化を避けつつ連合国と講和する。ということであるが、可能なのだろうか。
そういえば、3月15日に、中国国民党政府と日本が休戦した。国民党政府は連合国から離脱し、中立の立場となった。そして日本の傀儡であった南京政府は、国民党政府と合同した。日本は、中国本土から順次撤退するという。国民党政府は、即日、国共合作を破棄し、共産党討滅作戦を開始した。共産党軍は、あっという間に延安近くまで押し込まれ、しかし激しい戦闘を繰り返しているようだ。
アルジェリアのヴィシーフランス軍は、いったん連合国側となったものの、モロッコのアメリカ軍が一向に動かないことから動揺しているようだ。ド・ゴールは吠えているが、ヴィシー軍はひたすらおとなしくしている。
ロシアでは、マンシュタインが見事な作戦でロシアの突出してきた敵軍を壊滅させ、ハリコフを回復した。しかしロシア中央部、クルスクに敵の突出部が残った。参謀総長となったグデーリアンと事実上の陸軍総司令官(東部軍総司令官)となったマンシュタインの意見が相違して、方針が決まらないようだ。いずれにしても、ロシアでもう一度決戦し、スターリンの意気をくじく必要があるだろう。私もアフリカ軍団の一部を率いて、東部戦線に戻らなければならない。