プロローグ~2322年3月某日
近未来になにかよくないことが起こりそうなご時世です。もし、よくない未来が来たとしても人類はしたたかに生き延びると思いますが、仮に過去に戻れる力を得たとしたら、よくない未来を回避したいと思う人もいるでしょう。かりに、そんな力を持った未来人がいたとしたら史実にどんな干渉をするのか、そんな架空の物語です。
僕は第三スペースファクトリで生まれ育った。
第三スペースファクトリは、地球と月とのラグランジュポイントの一つに位置している。本体部分は直径10キロメートルのドーナツ状でドーナツの断面は直径3キロメートルの円形であり、1分間に3回転することで外周方向への遠心力を得ている。
外周から約千メートル内側に居住地域がある。幅約2.8キロメートルあり、一周約25キロメートルあるので、面積としては70平方キロメートルほどになる。居住地域からドーナツの中心方向が天井となるが、約2千メートルの空間があることになる。
居住地域にはいくつか町があり、森があり湖があり、そして農園が広がっている。このファクトリができてから60年ほどたっているので結構な巨木が育っている。
ドーナツの中心には直径3キロメートルの円柱状のファクトリがある。ここは回転していないので、無重力である。居住区域からドーナツの中心方向に20ほどのエレベータがつながっていて、ファクトリで生産活動や研究活動をする人たちはそれを使って行き来している。ここで生活する人類は多分30万人ほどだ。
このファクトリが必要とするエネルギーは太陽から得ている。太陽電池の変換効率は21世紀後半に60パーセントを超えたが、それ以降は大きな効率アップはない。しかし、ドーナツの外壁に張られた汎用太陽電池で無限のエネルギーを得ている。
そして内部については、補給なしで循環できるよう管理されている。居住地域の植物による光合成で過不足が生じると、二酸化炭素を分解するバクテリアを増減させて調節している。ファクトリで必要とする原材料は、月や小惑星帯や火星から運ばれ、製品はそれらの原料採取基地や地球に送られている。無重力かつ真空状態というのは、様々なものを加工するうえで相当なメリットがあるそうだ。
地球旅行はこれまで3回行った。やはり限りない青空や見渡す限りの海というのは素晴らしい。たった200年ほど前は荒涼とした景色が続いていたというが、想像できない。スペースファクトリで見ることのできない野生の動植物も見ものだ。雨や雪はスペースファクトリにも降るが、地球でたたきつけるような雨にあったときは本当に驚いた。今、地球には約6億人の人類が住んでいるが、過去への反省から、居住地域、生産地域を厳重に制限している。可能な限り自然に干渉しないよう、リサイクルを徹底している。
僕の父は、ファクトリで労働ロボットを作っている。母は、居住地域の農場に勤めている。僕はというと好きで人類の近代史を研究してきたが、そろそろ卒業が近づいている。卒業にあたって、なんらか論文を提出しなければならないわけだが、その作成途上で実験をしたいと熱望するようになった。そこで計画案を作成し、地球にある歴史干渉倫理委員会に提出した。
時間移動は50年ほど前についに実用化され、当初は当然不干渉が原則となっていたが、ある時不注意で干渉してしまった事件があった。しかも、現在に戻ってから気が付くという事件だった。その結果、過去への干渉は現在には影響しないということがわかった。干渉した時間軸と、干渉のなかった時間軸は並行して存在する。しかし、やたら干渉していいわけがない。干渉を目的として過去に行く場合は、その計画書を提出し、地球や人類に与える影響を評価される。また、いったん干渉したら、その歴史軸はどのように推移したか報告の義務も生じる。僕は、卒業しても歴史研究を続けたかったから計画案を提出した。
そして1000件以上あったとされる計画案のなかから僕の案が選ばれた。そして、スペースファクトリが保有している200隻のシャトルの一隻が貸与されることになった。このシャトルは緊急時に避難用にも使われるもので、1隻あたり約2000人が乗れるようになっている。2000人が半年生活できるよう作られているのでかなり大きい。全長200メートル、最大幅100メートルの楕円状をしている。それで、許される限りの資材を載せて出発することになった。
もちろん、彼女と一緒だ。彼女は大学の同級生で生物科学を専攻していたが、僕の計画に興味をもち参加したいと言ってくれたのだ。僕の計画は2~3年滞在することになるので、委員会も同乗者がいたほうがいいと勧めてくれた。まあ、僕が無茶をしないよう監視するのが彼女の主任務だね。
僕たちは家族に別れを告げて船に乗り込んだ。そして中央のファクトリ部分にあるドック状の空間に進んだ。ここで強烈なエネルギーを使って、時空を飛躍する。行先は、1943年1月1日午前零時の東京だ。