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砂時計の魔法

作者: 河東鶚

「砂時計をそっとひっくり返して、それしかないと思うならそう願いなさい。きっと小さな奇跡がその小さな手を差し伸べてくれる」

 ぼくはまだ母親の右手の人差し指をぎゅっと握っていたような年だったけど、その言葉だけは今でもはっきりと覚えている。

 当時祖母は小さな古い家に一人で住んでいた。祖父はもうとっくに亡くなっていて、家の仏壇には位牌がたてられていた。当時のぼくには、どうしてか、それがひどくつまらないものように見えて仕方なかった。

 祖母はいつも黒くてすべすべとした椅子に座って、机の上には紅茶の入ったティーカップと読みかけの文庫本と、毛糸玉や編み物の棒が置いてあって、そしてジャムの小瓶に小さな花を挿していた。花屋で売っているような豪華な花ではなくて、道端や空き地の隅に生えてそうな小さな花だ。

 祖母を思い返すとき、紅茶の少し苦い匂いと共に、その小さな姿が脳裏に浮かぶ。回想の中の祖母はいつもあるか無しかの笑みを浮かべて、琥珀色に揺蕩う夕暮れの光の中で満足げに目を閉じていた。

 祖母はぼくが小学校6年生になろうという春に、ゆっくりと日が落ちていくように亡くなった。特に病気だったわけではないけれど、祖母に会うたびにだんだんとその背中が小さく薄くなっていくのがわかった。祖母が亡くなる直前は、もう声も細く小さくなって、でもその目に確かな静けさと充足と、そして長い時を生きてきたものの気品をなみなみとたたえていた。

 だから祖母が亡くなったと聞いたときに、ぼくも母も驚きはしなかった。旅支度をした人がついにどこか遠い場所に去って行ったような、葉を落とした木立のような寂しさだけが胸の内にじんわりと染み渡った。

 学校からいつも通りに帰宅すると、母は白くて小さなマグカップで、いつもは決して飲まない紅茶をすすっていた。

 それを見た瞬間にぼくは祖母が亡くなったと知った。母は何も言わなかったけれど、きっとふあふあと消えていく紅茶の湯気が全てのことを語っていた。ぼくたちはゆっくりと紅茶を飲んでから、祖母に逢いに行った。

 お葬式や火葬の記憶は少ない。ぼくもそれに立ち会ったはずだけれど、もうそれはすべての答えが出た後の物語を読んでいるような、エンドロールをぼーと眺めるような、そんな時間だった気がする。

 ぼくの祖母にまつわる記憶の最後を飾るのは、祖母の家で遺品の整理をしているときのものだ。

 几帳面に整理された小物はまるで焼き付けられた写真のようで、母は持っていきたいものがあったら貰っていきなさいといったけど、どうしてももうそこに置かれたまま忘れられていくのが正しい結末のような気がして、結局すべて置いてきた。あの後あの小さな品々がどうなったかは知らないけれど、しばらくして祖母の家に行ったときにはそこはもう何の変哲もない空き地になっていて、売地の看板が真ん中に立っていた。

 それでもたった一つだけ、祖母がぼくに残してくれたものがある。

 それがこの砂時計だ。

 母によればずっと昔に、祖母が祖父と旅行に行ったヨーロッパのどこかの街の雑貨屋で買ったものだという。

 それは手の平にちょこんと乗るような砂時計で、見た目よりもどっしりとしいて少し暖かい木と透明なガラスと銀色の砂でできていて、ひっくり返すとさらさらという音がきこえた。

 祖母はその砂時計だけはきれいにしまった棚の奥から取り出してきて、最後の最後にもう誰もいなくなった机の上に置いたのだろう。

 小さな砂時計の横には、祖母がいつも使っていたティーセットが綺麗に並べて置いてあった。ふたをそっと開けると隙間からあの紅茶の少し苦くてでもあまい匂いが立ち上る。カップは二つで、一つはずっとしまってあった小さなカップ、もう一つは少し紅茶の色が映ってしまったカップ。古びている方のカップは縁が少し欠けていて、でも祖母はいつまでもそのかけたカップを使い続けた。しわしわの指が湯気の立つティーカップをそっと包み込んで、欠けた縁をすっと指先でなぞっている祖母の顔が浮かぶ。祖母はいつもそうやってカップのふちをなでてから、そっと目を細めてあるかなしかの微笑みを浮かべて、まるで誰かに話しかけるように紅茶を飲んだ。

 机の上には砂時計とティーカップと、そして小さなジャムの小瓶だけが乗っていた。いつも花が差してあったその瓶の底は、もうすっかり乾いていて、茶色い埃がわずかにたまっていた。

 祖母は何かを書き残したりはしていなかったけど、ぼくは砂時計を、母はティーセットを何も言わずに受け取って、砂時計はぼくの机の隅に、ポットと二つのカップは食器棚の奥にそっと置かれている。

 ぼくは祖母が亡くなった翌日だけ学校を休んだけれど、二日後にはいつもの生活に戻った。

 どうして休んでいたのと聞かれて、おばあちゃんが亡くなったんだというと、友達は決まって居心地の悪そうな顔をして、まるで聞いてはいけないことを聞いたようなびくびくとした表情を浮かべた。そしてぼくが笑っているのを見るとそれがだんだんと困惑に変わって、最後には何か適当な理由をつけて離れていった。

 悲しいとは思わなかった、ちょっと寂しいけれど。

 そういう別れがあることをぼくはその時学んだ気がする。


 そのあとぼくは中学生になって、高校生になって、そして大学生になった。

 それでももうすっかり小さくなってしまったぼくの学習机の隅には、いつもちょこんとその砂時計が乗っていた。

 昔の教科書はだんだんと綿埃の中に沈んでいったけれど、小さな砂時計だけはいつも綺麗で、砂時計の周りだけぽっかりと静けさがあった。

 ぼくはよく寝る前にその砂時計をそっと手に取って、指ですっとその木目をなぞって、ひっくり返してさらさらという砂の音を聞いた。木は温かくて柔らかい、ガラスは冷たくて固くてそして少し震えていて、銀色の砂は潮騒の様に空気を震わせた。

 ぼくは流れ落ちる砂の音を聞きながら、降り積もる銀色の粒を見ながら、すっかり眠くなるまでそうして夜の時間を渡っていた。

 聞いているとすぐに眠くなって気が付くと机に突っ伏したまま寝ているときもあったし、東の方がだんだんと白くなって、砂時計の砂がまるで波しぶきのような透明な光を放つまでじっと空を見つめていたこともある。

 眠気というのは透明な水に似ている。それはぼくらの足元に広がっていて、底がない。

 ある時気が付くとぼくは水面に横たわっていて、目のすぐそばまで水が来ている。ざぶんざぶんという気配だけがして、でもぼくはそれに気づかない。

 いつ自分がよこたわったのか。いつ水がせりあがったのか。いつからそこに立っているのか。

 最後の息を吐き出すその瞬間まで、ぼくは自分が透明な水の中に溺れていたことを知らない。

 砂の流れを聞いていると、だんだんといろいろな光景が浮かんでくる。もうすっかり忘れてしまったような幼稚園の頃の記憶が浮かんだり、どうしてかわからないけれどひどく悲しいことがあって泣いている自分の顔が浮かんだり、母が疲れて帰ってきてご飯が温まるのも待てずに眠ってしまったその寝息が浮かんだり、小学校や中学校や高校のもう名前も何もすっかり忘れてしまった友達の顔が浮かんだり。そして最後には決まってあの午後の日に紅茶を飲みながら目を閉じる祖母の顔が浮かんだ。

 そうして聞こえてくる、祖母の少し震える声がはっきりと。

「砂時計をそっとひっくり返して、それしかないと思うならそう願いなさい。きっと小さな奇跡がその小さな手を差し伸べてくれる」

 祖母が何を思ってそういったのかはわからないけれど、ぼくは飴玉でも転がすように、タバコの煙をふっと吐き出すように、祖母の言葉を思い出した。

 砂時計を何度も何度もひっくり返してると、不思議な感覚に陥ることがある。

 例えばある時は流れる砂の粒が解けて溶けて一つになって、いつか理科の実験で見た水銀のように、とろとろとガラスのくびれを流れた。ある時は砂時計の上下が突然わからなくなって、下に落ちた銀色の砂が鳥の飛び立っていくように上の小部屋にふっと吸い込まれていくのが見えた。またある時は、落ち切った砂の表面に幾筋もの縞模様が浮かんでいて、外の街灯の白い光の中でキラキラと輝いて、もう聞こえないはずの波の聲が確かに甦った。

 砂時計を見ていると時にどうしようもなく悲しくなる。もう何回ひっくり返したのかわからなくなって、そして後何回ひっくり返したら終わるのかがわからなくなって、ぼくは何かとても大切なものを忘れているんじゃないか、どこかほかの場所に立っているべきではないかと。きらきらと光りながら落ちていく砂粒が、まるで砕け散ってしまった何かの欠片の様に見えた。

 ラジオをつけると、新聞を広げると、そこには命の最後が記されている。どこで誰がこういう風になくなった。でもそれに何も思わない自分がいる。もしかしたらこの砂の流れが終わる前に、ぼくは死んでしまうかもしれない。唐突にそんな思いが浮かんできて、ぐるぐると頭の中をかけめぐって、そしてどこかに去っていく。そしてぼくは自分がそれを願っていたことに気が付いて、眼を伏せてため息をつくのだろう。

 それでもぼくは流れ切った砂時計をまた再びひっくり返して、もう何度目かわからない夜を超える。

 昔の記憶が次々と脳裏によみがえって、あともう少しで触れられそうになるとふっと遠ざかる。それはひどく寂しいし悲しいし、時に何かに裏切られたような気がするけど、けれどぼくは不思議と昔に戻りたいと思ったことはない。

 今まで沢山面白いことがあって、悲しいこともあって、きっとぼくはそのほとんどをもう忘れていて、忘れていることにすら気づかない。でもそれがひどく心地いい。

 もう過ぎ去ってしまって、影も形もなくなってしまった記憶は、きっとどこかでぼくを待っている、そんな気がする。きっとどこか遠い遠い場所で、ぼくがそこから来てそこに帰る小さな浜辺で、銀色の砂粒が波打ち際できらきらと光を放つ。いつかきっとそんな日が来る。

 ぼくはいろいろ失敗もしてきたし、悲しんだり悲しませたりしたけれど、その記憶もいつか忘れてしまって、粉々に砕け散って、最後には砂浜に降り積もる砂の一粒になってぼくを待つのだろう。

 今までそうやっていろんなことを選んできたし、これからもそうしていく。反省して次はこうしようと思うことはあっても、後悔してあの頃に戻れたらと思うことはない。

 戻る必要はない、きっとそれはいつかどこかでぼくを待っている。

 砂時計の砂粒が幽かな声でそうささやいているような気がする。

 ある秋の夜に、部屋の電気を全部消して、カーテンを全部開けて、窓を網戸にして、そうして砂時計の音を聞いていた。

 砂時計の音だけが聞こえて、それ以外何も聞こえない。だんだんとその音も聞こえなくなって、ふあふあと雲の様に夜をまどろむ。けれどその夜はどうしても寝れなくて、深く寝静まった町の寝息を聞きながら、ぼくはどうしようもなくなって、部屋を出た。

 すると階下からオレンジ色の光が漏れていて、そろそろと覗いてみると、母があのティーセットで紅茶をいれていた。

 甘くて苦くて懐かしい紅茶の匂いが鼻を突く。

 母はしばらくしてからお茶っ葉を取り出して、琥珀色の紅茶を欠けたティーカップに注いだ。秋の夜更けの空気はもうすっかりと冷たくて、それでも小さく空けた窓の隙間から風が吹き込む。紅茶の白い湯気はねじれながら絡み合いながら、でもまっすぐ上に立ち上って、風に乗ってゆがむとふっと消えた。

 ぼくがおずおずと居間に足を踏み入れれると、母は少し驚いた顔をして、でもすぐにふっと目じりを細めてから、もう一つの白いティーカップに紅茶をいれた。

 ぼくは何も言わずに母の前の椅子に座って、紅茶に口をつけた。

 舌の上を温かい液体が流れ、ふっくらとした甘みが口いっぱいに広がって、そしてわずかな苦味がそれを洗い流していく。喉を流れて、おなかの中がぽかぽかとする。

 母もぼくも何も言わずに、ゆっくりとゆっくりとかみしめるようにして紅茶を飲んだ。

 ついにポットが空になると、示し合わせたようにぼくらはカップを置いて、白いティーカップは最後に白い息を吐いて、母はかけたティーカップのふちにそっと指を走らせた。


 大学生になってからぼくは家を出た。

 電車でずっと遠くの街に一人で暮らしていると、時々ひどく寂しくなる時がある。

 そんなときはあの砂時計を指先で回しながら、マグカップに紅茶をいれて、更けていく夜を渡っていく。

 寂しいし、悲しいけれど、いつだってぼくはまたこんな夜が来ることを願っている。

 そういうときは決まって祖母のあの声がする。

「砂時計をそっとひっくり返して、それしかないと思うならそう願いなさい。きっと小さな奇跡がその小さな手を差し伸べてくれる」

 もう何べんもくるくるとひっくり返して、砂時計はすっかりぼくの指になじんでしまった。

 それでもぼくはまたそれをそっとひっくり返して目を閉じる。

 何かが起こるなんておもちゃいないけど、でももしかしたら。

 さらさらと流れる砂が、ぼくの聲でそうつぶやいた気がした。


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