-1.もう一つの私の名前の由来について
クラスのみんなにとって、きっと私は異邦人だった。
私の容姿は特徴的で、それが同級生の警戒を招いた。物好きな人間からは、動物園のパンダか宇宙人を見るような目で遠巻きに見られた。
私の話す日本語は、彼女らの使う日本語とは細かいバージョンが違い、いつもちぐはぐなコミュニケーションを生み出しては、双方のフラストレーションを上昇させた。
小学5年生と言う半端な時期に転校したことも悪かった。学校内での人間関係はほとんど完成されており、よそ者が割って入るようなスペースはすぐには見つからなかった。
結果として、私は孤立した。
孤立はしていたが、孤独は感じなかった。私の心は私が想像したよりも弱くはなかったらしい。警戒するなら好きなだけ警戒すればいいし、不躾な視線も甘んじて許容した。
いずれ同級生の警戒は解けるだろう。私の見方は楽観的だった。そうすれば前の学校と同じように普通の学校生活が送れるようになるはずだ。
そうして迎えた2学期の始め、私が想像した通り彼女らの警戒は徐々に解けてきた。しかし予想に反して、事態は悪化の方向へ向かった。
これまでの均衡を破って、私に攻撃を仕掛けるものが現れた。
「外国人じゃん」「なんで日本にいるの?」「日本語しゃべれる?」
最初はちょっとした男子のちょっかいだと思った。
しかしクラス内でカーストの高い女子がそれに加勢すると、雰囲気は大きく変貌した。
ある日から私は「シロ」と呼ばれるようになった。
私の髪の色がゴールデンレトリーバーみたいな色をしている事と、私のミドルネーム「ホワイト」を文字って付けられた「犬みたいな名前」であることは、後から私の耳に入ってきた。
ともあれ、この学校に転入してから初めて与えられたあだ名を、私は不愉快に思った。とてもとても、不愉快に思った。
さらに悪いことは、そのあだ名がはた目には悪口には聞こえないことだ。そのあだ名の由来を知っていなければ、誰も悪口だとはわからない。
いっそのこと、もっと単純な悪口だとしたら、学校の先生に相談することもできただろうに。
私にとっての唯一の救いは、この学校で過ごす残り時間の少なさだった。
あと1年半の間この環境で耐え抜けば、中学に上がれる。中学ではみんなとは違う学校に行って、人間関係をリセットできる。
それを支えに、私はただ黙ってそれを耐えた。教室最後方の窓際の席に座って、ずっと窓の外の世界を見ていた。
天気の良い日には、2階の教室の窓から富士山が見えた。眼下には車回しがあったが、車がやってくることはほとんどなかったため、概ね退屈な眺望と言ってよかった。それでも息苦しい教室内を視界に入れることに比べたら、窓の外のそれは美しい景色といっても過言ではなかった。
一度だけ、ピカピカの白い乗用車が校門から車回しを通ってやって来たことを覚えている。その車から降りてきたのは、清潔な格好をした姿勢の正しい大人の女性と、私と同い年くらいの女子児童だった。恐らく母子だろう。助手席から降りてきた彼女は濡れたような黒い髪を肩の下まで伸ばしていて、それが私には非常に眩しく感じられた。
あまりに食い入るように見つめすぎていたのか、2階の教室から注がれた私の視線に気づいた様子の彼女と一瞬だけ目が合った。私はあわてて視線を外し、小さくため息をついた。
次の4月、私は6年生に進級した。
クラスは新しくなったが、そこには元のクラスの人も幾人か混ざっていた。そのため、あの嫌いなあだ名で呼ばれることは継続された。中でも上原萌香という女子が、私のあだ名や嘘の噂を積極的に吹聴して回っているという事実は誰の目にも明らかであった。
「シロ」という私のあだ名が決して良い意味ではないと知っている者もいたはずだが、校内ヒエラルキーの高い彼女の言動をあえて止める者はいなかった。彼女に反抗して、攻撃の対象が自分に向かうことを誰もが恐れていたのだろう。
新しいクラスの席は名前の順で決められた。去年度は窓の外を眺めることができる好位置に座ることができたが、今年度は教室の真ん中あたりに座ることとなった。
もうひとつ変わったことがある。同じクラスに転校生の女子が一人やってきたのだ。
そしてその人物は、私と同じ髪の色をしていた。
彼女はとても利発で、社交的な性格だった。周囲と違う髪の色や、小学6年生から新しい人間関係を築くことの不利をものともせず、すぐにクラスに打ち解けた。そればかりか、いつしかクラスの中で欠かすことのできない1ピースになっていた。
そんな彼女から最も多く話しかけられたのが、なぜだかこの私だった。誰に対しても明るく積極的に接している彼女だが、私に対するそれはより一層特別なものだった。
私の1つ後ろの席に座る彼女は休み時間など、いつも私の肩を叩き、
「シャロ、シャロ」
と呼び掛けてきた。
「私の名前はシャロじゃないよ」
その度に私は訂正した。
私にはうまく出来なかったことを彼女は完ぺきにこなしているように見えた。だからこの時私が彼女へ抱いていた思いは、正直に言って複雑なものだった。
「『シャロ』じゃなくて『シロ』。みんな私のことをそう呼ぶの」
しかし彼女は「シャロ」と呼ぶのを辞めなかった。
「だってあなた、イギリスのお姫様みたいにかわいいんだもの。シャーロットっぽい顔をしているよね」
そう言って満開の花のように笑う彼女の名前は「高岡彩」と言った。
学校の中で金色の髪が私ひとりでなくなると、クラス内での私に対する「外国人いじり」は露骨なほどあっさりとなくなった。むしろ彩と同じものを持つ私に、羨望の眼差しが向けられていると感じることすらあった。
また、彩があまりにも自信満々に私のことを「シャロ」と呼び続けるため、いつしかクラスのみんなも「シロ」というあだ名を忘れ、新しいあだ名で私のことを呼ぶようになった。
最初のうちは、彼女から声をかけられることに戸惑っていた私も、いつしか自分から彼女へ声をかけるようになった。私が一度心を開くと、2人の距離はみるみる縮まっていった。
それからの毎日は、充実したものへと変貌を遂げた。私は去年の分を取り戻すようによくしゃべり、そして笑った。私たちにはたくさんの共通点があったし、それは長い間の孤立によってひりついた私の心を癒してくれた。
結局小学校を卒業するまで、友達の数は1人から増えなかった。しかしその1人は、私をタフな世界から救ってくれた恩人であり、今までのどんな友達よりも私のことを深く知ろうとしてくれた特別な友達であった。
だから私は、彼女の付けてくれたこのあだ名を、他のどのあだ名よりも気に入っている。




