第1話 迷宮からの帰還
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アルフ大陸の北西に位置する獣人国家ノースグラス。獣人国家と呼ばれているが、この国には獣人だけでなく様々な種族が住んでおり、首都であるグラスガンには大陸全土から多くの人が集まってきている。
集まってきている人の多くは、首都グラスガンに存在する巨大な神造迷宮に用があるのだ。一攫千金を夢見て迷宮を探索する者。その迷宮探索者向けに商売する者など、多くの者は金稼ぎを目的に集まってきている。
その巨大な神造迷宮に吸い寄せられるように集まって来ている若者の一人。銀狼系獣人族と闇長耳系妖精族の混血であるノルは、グラスガンで迷宮探索を生業としている。
ふわふわで少し癖のある銀色の長髪、肌は日焼けしたような焦げ茶色、鋭い目付きで瞳は琥珀色、人よりも長い笹の葉形の耳、身の丈は180センチで80キロ、筋肉質ではあるが見た目は細身。全体的にシャープな印象で、髪の色や肌の色から、ダークエルフの血が流れていることが周りからも分かってしまう。
何故か常に金欠となるノルは、今日も迷宮に潜っていた。
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神造迷宮とは、神様が造ったとされる巨大な地下迷路である。
神様が造ったと言われる所以は、迷宮自体が人が造るのは不可能な建造物であると言われ、更に神様が造ったとしか思えない不思議な武具・道具や不思議な生物が存在するからである。
迷宮探索者は、不思議な武具・道具をお宝、不思議な生物を迷宮守護兵と呼んでいる。
グラスガン迷宮は、地下1階層から10階層までが低層、11階層から20階層までが中層、21階層から30階層までが深層と呼ばれている。
迷宮探索者の多くは低層を探索しており、中層より階下の層は極一部の者しか探索していない。11階層からは迷宮守護兵の強さが桁違いに上がることが、その大きな理由である。
銀狼系獣人族と闇長耳系妖精族の混血であるノルは、中層である18階層を探索していた。
「今日の俺はついてる……運気上昇中かな?」
一人ではしゃぐノルの前には珍しいお宝が鎮座していた。
「推定、金級かな?」
お宝は、有用さや珍しさでランクが分けられており、下から銅級、銀級、金級、白金級となっていて、価値も上がっていく。低層で見つかるお宝の殆どが銅級であり、中層では銀級、深層では金級である。中には下層でしか見つからないようなお宝が上層で見つかることもある。
今日のノルは、深層で見つかるようなお宝を中層で見つけたために、自分の運気上昇を信じていたのだ。
ノルが見つけたお宝は、刀身が淡く輝くナイフ。いわゆるガーディアンナイフと呼ばれる物であった。切れ味、耐久力に優れており、更に不思議な力が込められているのだ。込められている不思議な力は武具によって様々であるが、殆んどが有用なものである。
ノルはガーディアンナイフを布で何重にも包むと左側の腰の後ろに差した。
「ガーディアンからのレアドロップもあったし、金級相当のお宝も発見したし……ヤバいな、運を使いすぎ!俺、ヤバいな。
って、いかんいかん。嬉しすぎて独り言が多くなってきたな……
今回はこの辺にして、もう上がるかな……」
そう、ノルは一人である。迷宮探索者は複数人でパーティーを組むことが普通なのだが、ノルは一人で迷宮を探索している。これは、ノルの性格や能力に問題があるのではない。種族差別であった。ノルは闇長耳系妖精族の血が流れている。闇長耳系妖精族は、野蛮で残虐な魔人と呼ばれる種族に最も近いと言われている。その為、周囲から蔑まれ、パーティーを組むことが非常に少ないのだ。
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廃墟と化した建造物の間をすり抜け、ノルは18階層の入口へと向かっていた。
普段であれば、気付けたかもしれない。浮かれていたのかもしれない。ノルは、気付かないうちに一体の迷宮守護兵の接近を許していた。
「っっ!」
ノルは他の種族よりも高い聴力で風切り音を捉えた。その瞬間、抜群の反射神経で瞬時に体を捩りながら後ろへ飛び退いた。瞬間、右腰あたりに鋭い痛みが走る。
ノルが振り返ると、ノルの倍以上の体高を持ち、蜘蛛のような複数の脚、複数の無機質で不気味な赤い目を光らせ、青白く輝く大きな鎌を振り切った迷宮守護兵がいた。
「……!?」
ノルは瞬時に目の前の迷宮守護兵の危険度を覚った。
体高が自分の倍以上あること。赤い目が四つ以上あること。決定的なことは、この階層に存在する迷宮守護兵では持ち得ない武器を持っていること。それらの事実とノルが持っている情報を照合し、導き出される答えは……
「固有種!」
その迷宮守護兵からの二撃目が振るわれるよるも早く、ノルは全速力で逃げ出していた。
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ノルは肩を大きく上下させ、崩れかけた冷たい壁に背中をあずけ、ずり落ちるように座り込んだ。暫くその体勢でじっとし、荒い息を整える。ようやく危険な迷宮守護兵から逃げ切ったのだと実感すると、途端に右腰がズキズキと痛んでくる。
「いててて……」
ノルは痛む腰に手を当てると、べったりと血が着いていた。止血のために、腰の次元鞄から治療薬と包帯を取りだそうと手を入れ……愕然とする。
「……おい、どういうことだよ」
次元鞄に突っ込んだ筈の右手が次元鞄を通り越し、太股の裏あたりを触っているのだ。何となく分かってしまったのだが、恐る恐る次元鞄を確認すると……
「マジかよ……」
次元鞄の下から半分がなくなっていた。鋭い刃物で切られたように、すっぱりとなくなっているのだ。
思い当たるのは、先程の固有種迷宮守護兵の一撃である。確かに大きな鎌の切っ先がノルの右腰の後ろあたりを掠めたのだ。それは、まさに次元鞄のあたりであった。
次元鞄とは、見た目の数倍から数十倍の収納量を持つ不思議な鞄である。ノル程度が買える次元鞄となると、非常に容量の小さなものになる。
ノルは次元鞄に様々な薬、金銭、非常食などの生活や命に関わる大事な物をしまっていた。
その中には迷宮探索に欠かせない非常に大事な物も含まれている。
「転移石が……ない……」
ここまで必死に逃げてきたノルの目の前には、安全地帯と呼ばれる大きめの部屋があり、その中には転移陣がある。
転移陣には、一気に迷宮の入口まで転移することが出来る魔術が組み込まれているのだが、その魔術を起動するためには『転移石』が必要になるのだ。ノルは今、転移石を持っていない。それが意味することもノルは分かっている。
「残りの食料は3日分。切り詰めても5日が限度か……
18階層から普通に戻ると1週間はかかるな……」
ノルは左腰に提げた無限水筒を口へ運ぶ。これから飢えを凌ぐために水を飲むことが多くなるだろう。今回の探索用に少し無理をして購入していた無限に水が湧く水筒が早速役に立ちそうであった。
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暗闇の中を闇に紛れ、音を立てずに移動するノル。普通の探索者であれば、索敵が難しい夜間の移動は極力避けるのだが、ノルはあえて夜間に移動していた。
銀狼系獣人族の血を継ぐノルは暗闇を見通すことが出来る。更に闇長耳系妖精族の特徴である卓越した聴力も併せ持つ。夜間であっても索敵に支障がなく、逆に迷宮守護兵から見つかる可能性が低くなるのだ。
残りの食料が乏しいノルは、極力、戦闘を避け体力の温存に徹していた。
だが、決して戦闘がないわけではない。基本的には逃げに徹していたのだが、逃げ切れずに迷宮守護兵からの攻撃を幾つか受けている。長年愛用していた革鎧はボロボロで、鎧としては機能していない。鋼鉄製の籠手は既に壊れてしまったので途中で捨ててきている。鎧の下に着ている服も所々破けている。
往復1週間の予定で潜った今回の探索であったが、既に予定を5日も越えており疲労が溜まってきている。転移石とともに大事な薬も失っており、疲労回復薬も無い。傷薬も無いため、傷は自然治癒に任せるしかない。空腹、体力の低下、疲労の蓄積、更に幾つもの傷を負っており、少しずつ身体のキレも悪くなってきている。
「あと1つ。1階層戻れば楽になる……」
帰路についてから5日をかけて漸く11階層までたどり着いたのだ。この階層を抜ければ一気に迷宮守護兵のレベルが落ちる。普段から中層を探索しているノルにとっての脅威は下がるのだ。
「……行くか……」
気力を絞りだし、動きの悪い身体を起こす。限界が近いのだ。だが、ゆっくりと休んではいられない。時間とともに己の状態が悪くなってきていることを実感している。何とか生きて迷宮から帰還できるよう、ノルは歩を進める。
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「やぁ、スニーマさん、今戻りました」
「ノ、ノルさん!よくぞお戻りに……無事とは言い難いですが、命あっての物種です。まずはご帰還おめでとうございます。ちょっと待って下さいね……はい、こちらを」
「あぁ、ありがとう。今回はちょっと事故ってね……じゃあ報告書を書いたら提出にくるから。また後で」
ノルは迷宮から脱出すると真っ直ぐに迷宮管理局に向かった。担当の職員であるスニーマから書類を受けとると、管理局内のカフェに向かう。
丸二日、何も食べていなかったノルは、カフェで食事を取りながら帰還報告書を書くことにした。
迷宮に潜る際には必ず提出する計画書。それとセットで、帰還時には報告書を提出することが探索者の義務である。
予定通りに18階層まで降りたこと。次元鞄が壊れ、転移石や薬を紛失したこと。そこから1週間掛けて戻ったことを簡単に書き込む。
「あっ、ヤバい……」
報告書を書き上げ、食事を終えたノルはここであることを思い出す。そっと報告書に書き加えたのは、「所持していた金を全て紛失」したことであった。
当然、無銭飲食である。
このあと、カフェのマスターに怒られ、スニーマにお金を借り、唯一持ち帰った『ガーディアンナイフ』を直ぐに売り捌き、その足でスニーマにお金を返すノルであった。
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