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錯乱

「グルルルルル」


 強烈な殺気を放ち、血走った目でビリィが俺を見ている。

 口から漏れる唸り声はまさしく猛犬のそれそのものだ。


 ちょっと・・・人間やめてない?


「ビリィ?」


「ガァ!」


 地を滑るように低く飛び込み、全身で跳ね上がるようにして拳が飛んできた。


 速い!


 一歩下がって受け逸らした手が痺れる。

 そのまま左のフック、右アッパーと続けざまに撃って来る打撃を打ち払い、少し距離を空けて誘った左ストレートに合わせて顔を思い切り引っ叩いてやった。


 スパァンといい音がした。


 ビリィは顔を抑えて後ろに跳ね下がったが・・・。


 唸るのはやめたが、殺気がさらに増した。


 この位じゃ正気な戻らないのか。完全に我を忘れてる・・・。

 しかも深く警戒されてしまった。


 俺を睨みつけながらビリィがゆっくりと右足を後ろに下げ腰を落としていく。


 これは、いかん!


 慌てて一歩前に踏み出でる。

 ビリィの動きがピタリと止まった。


 こいつ、後ろ腰に付けてる短剣に手を伸ばそうとしたな。


 正直、我を忘れているビリィはいくら力が強くても、いくら速くても怖くない。


 殺気に満ちた直線的な動きは読みやすいからだ。


 それが武器を持ち、本来の戦い方をされたら無傷で抑え込むのが難しくなる。


 次だ。

 次で決める。時間がない。


 しかし、どう無力化させる?

 一発叩いた位じゃ駄目なら・・・気絶させるか?


 それで起きても元に戻らなかったら・・・またその時に考えるか。


「ビリィ」


 ぴくっと耳が動いた。


「ちょっと痛いだろうが我慢しろよ」


 一歩前に進むと見せて、そのまま一足飛びにビリィの間合いに入り込み、顔に突きを放つ。


 ビリィは首を横に振って突きを躱し、カウンターとばかりに拳を振り上げてきた。


 凄まじい。

 俺の動きは予測の上をいっていた筈だ。僅かばかりだが反応も遅れていたというのに、瞬時に対応して攻撃を合わせてくるというのは驚嘆に値する。


 だが、それは俺の予測の範囲内だ。


 突きと見せた拳を開き、指先でもって避けた顔を打つ。


 目打ち。


 人は目の辺りを軽く打たれるだけで一瞬視力を失い、混乱する。


 混乱し、集中力が散り、身体の力が抜けた一瞬を狙い鳩尾(みぞおち)を狙って拳を突き入れた。


 ⁉︎


 外された!


 鳩尾から拳二つ分、横にズレた。

 ビリィのヤツ、目打ちされながら短剣を引き抜きにいきやがった。


 拳で撃たれ身体をくの字に曲げながらも、ビリィは短剣を逆手に引き抜き、横殴りに払った。


 間髪入れず短剣を持った腕を抑え、鳩尾にもう一発入れる。


 今度は入った。


「グゥ」


 息を漏らして崩れ落ちるのを支えてやる。


 危なかった。

 目打ちされて硬直しないとは・・・、いやだからそこの暴走か?


 まぁいい。

 冒険者と衛兵は・・・、おや?

 衛兵の側が盛り返している。今は五分五分といった感じか?


 続々と増える衛兵に対し、疲れが見える冒険者側。


 こいつが暴れなきゃ後は鎮圧されそうだな。


 ビリィの短剣を鞘に戻りてやりながら、ざっと見回して乱闘の穴を探す。


 その間も襲いかかってくる冒険者を、ビリィを小脇に抱えながら蹴り倒しておく。


 早くしないと大勢が決まる。


 ・・・あそこだな。

 衛兵が少なく、路地への道が近い。ただ乱闘の中心を跨(また)いで反対側に突き抜けなきゃならんが・・・まぁなんとかなるだろ。


 手近で暴れている冒険者を殴り飛ばして肩に担ぎ、そのまま中央を突っ切った。


 勢いで何か変なものを踏んづけた気がするが問題ないだろ。

 乱闘の抜け際に、盾にした冒険者を乱闘の中に放り込み、路地へと逃げ込んだ。


 追手は・・・ない。

 よし、上々の出来だ。


 後は一度、町の外に出るべきだな。それからビリィの回復を待って・・・。


 突如、ビリィを抱えている腕が弾けた。


  手から落ちたビリィが地を跳ねて体勢を整え、腰の短剣に手を添えてこちらに向かって構えた。


 もう回復したのか⁉︎早すぎるだろ!

 っていうか正気か?正気に戻ったのか⁉︎


 油断なく構えたまま、目だけが忙(せわ)しなく動いている。


「ジン?何故ここにジンがいる」


 よかった。正気に戻ったっぽい。


「それはこっちのセリフだ。なんでお前が町に居る。どうやって入った?」


 ジッと俺を見たまま、スンスンと鼻を動かしたビリィが少しだけ構えを解いた。


「本物っぽいな」


「偽物がいたのか?」


 何かを考えるようにビリィが動かなくなった。

 早くこの場所から離れたいんだが・・・。


「付いて来い。本当にジンなら付いてこれる筈だ」


 そういうとビリィはすぐ横の路地に素早く入っていった。


「あ、おいっ」


 呼び止める間もない。

 仕方ない追うか。


 ビリィを追って路地に入った時には、既にビリィの姿が見えなくなっていた。


 どこに行った?

 ビリィの気配は町の中では割と見つけやすいのだが、この町の空気が悪いせいか、ここでは見つけ難い。


 それでも近くに居ると分かってれば見つけられる筈・・・。


 ・・・居た。上だ。


 確かにこの速さで立体的に逃げられたら、俺くらいしか追えない・・・かもしれない。


 建物の壁を跳ねて駆け上がり、屋根の上に立つと飛び跳ねて屋根を渡るビリィが見えた。


 どこに行く気だ?


 町の中心部に向かっているビリィを追い、屋根の上を渡り走る。


 しかし、屋根の上は程よく風が吹いていて心地いい。


 防壁より低いのだが、ここまでは悪い空気も貯まらない様だ。


 とはいえ、ここは防壁から丸見えだ。

 鐘の付いた物見櫓も見える。


 と、ビリィが櫓の一つに入って行った。


 人の気配はないが・・・。


 後を追って櫓の中に入った。


 中では腕組みしたビリィが待っていた。


「本当にジンだな。なんでここにいるんだ?」


「買い出しだよ。魔族の村の方はひと段落付いたからな。ビリィは?」


「私か?私は・・・見張っていたヤツが動いたのを追って、それに仲介したヤツをさらに辿っている内にこの町に着いた」


 やっぱりか。まぁそれしかないわな。


「それで、何か分かったか?」


「んー、分かったと言えばそうなんだけど・・・。なんだろうか、ここ町の中にいると何か妙な気分になるんだが、あの屋敷に入った途端、どうにも気分が悪くなってさ。途中から夢でも見てる様な・・・余り覚えてないんだ」


 ん?

 あの屋敷の中に入ったのか?いや、その前に・・・。


「ビリィ、あの屋敷を見て何も感じないのか?」


「え?いや、感じると言えば感じるよ?なんていうか、凄い不安になる嫌な感じがする。そういえば、この町に入った時から感じてたけど、より強くした悪い感じが・・・」


「いや待て、あの屋敷からだらだらと漏れる嘆き声に似た何かを感じないか?」


「それは・・・」


 ビリィはやや考えるようにうつむき、首を振った。


「多分、そこまで分かるのジンだけだと思うぞ?一応言っておくが、ジンの気配を察知する能力は異常だからな?広範囲にしかも個々に識別できるとか普通は絶対に出来ないからな?」


 むぅ。

 まぁ確かにそうなんだが・・・、そうか普通はそこまで感じないのか・・・。


「それで、何が分かった?」


「あの監視してたヤツがここの領主の関係者って事が分かった」


 ・・・うん?


「・・・」


 ビリィが、ふっと目をそらした。


 それだけしか・・・、いや、我を忘れてたビリィを見るにあの空気に当てられたんだな。

 よく覚えていないって言ってたのはそういう事なんだろう。


「しかし、狂う程の空気の中で、よく屋敷の中の奴らは平気にしてられるものだな」


「平気じゃあないさ」


「ん?」


「ちらっと見ただけでよくは分からないが・・・。ただ人族というのは我々に比べて悪意というものに慣れているんだろうさ。ぬるま湯にゆっくりと浸るように狂っていっているんだと思う」


 うーん。

 なんか納得してしまった自分がいるな。

 悪意に慣れている・・・か。


「まぁ、ここでジッとしていても仕方がない」


 櫓から見えるすぐそこに黒い気配に染まった屋敷が見える。

 ビリィが狂ったあの空気の中で、ビリィより気配に敏感な俺は、正気を保てるだろうか?


「行くんだったら、クグルを連れてきた方がいいんじゃないか?私やフーカじゃ当てられ過ぎるから役に立たない」


「確かに、あいつなら当てられはしないかもしれないが・・・、ビリィ」


「なに?」


「あの屋敷の中で、どの位の間、正気を保ててた?」


「うー・・・ん、五分は持たなかった、と思う」


「分かった、少しばかり様子を見てくる。もし俺が暴走したら・・・」


「駄目、無理」


 即答かよ。


「多分、ジンが暴走したら私じゃ止められない」


 ・・・。


「分かった。気を付けよう」


 いざとなれば姿を隠せる魔石がある。

 あれも気持ちのいい物じゃないが、気が狂うよりはマシだろう。


「それじゃ、行ってくる」


「いってらっしゃい」


 まるで買い物に行くのを見送るような声だ。

 心配されてないのか、俺なら問題ないと思っているのか。


 なんとなく、大丈夫な気がして来た。

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