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結戦

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 英雄。

 ひどく幼稚な言葉だ。

 思いつつ煙草の煙をくゆらせ、辻堂は宿の中庭――従業員棟とはまたべつの位置にある、だだっぴろい芝生である――を、眺めた。

 雨が降りしきる中で、二人の強者が対峙している。

 かたや執事服に身を包み、右逆手に短刀を構えた元暗殺者。

 かたや両手にソードブレイカーを携えた英雄。


「見つけていただき、ありがとうございます」


 辻堂と共に、この決戦を見やるのは雨宮。辻堂が彼女を見つけた、との報を入れるとすぐ、所属する結社からやってきた。


「まあ、たまたまですがな」

「しかしその偶然を呼び込んでくださったのは貴方様でしょう。ありがたいことで」

「……ふん。結局はこうして、腕ずくで止める事態となってしまい申し訳ない気分ですので、感謝を受ける気にはなれません」

「いえこちらは最初からこの展開を織り込み済みですので。報酬も依頼報酬です、のちほどお振込み致します」


 娘に刃が向けられている状況をして、織り込み済みと言ってはばからない。表情のどこにも、動揺は見られない。

 やはりこの男は……、そしてこの男の所属する結社とはそういう場所なのだ。辻堂の持つ常識とはちがう常識のもとで動いている。対照的に、怜胤という少女の常識は、おそらくは――

 そこまで考えて辻堂はかぶりを振った。自分の力の限界は、わきまえているのだ。


「――――ねぇ、きみ。きみの剣は、わたしにどんな強さを語ってくれるのかな?」


 一五メートルほど先で構える柊を半目でにらみつつ言い、けれど怜胤の言葉の先は柊には向いていない。

 言葉は、雨宮に。辻堂のかたわらで己を見ている雨宮に、向いていた。

 柊が言葉を返している。それすら聞こえているのかどうか。

 きっとこれまでの道場破りでも、そうだったのではないだろうか。彼女は強き者どもと対話をしたのだろうが、けれどすべては、自問自答に過ぎなかったのではないか。


「――――ふう、ん? どんなざまか知らないケド……とにかく、強いんでしょ?」


 柊の宣言にも、形式的な納得を示したように見せたにすぎない。


「だったらあとはコレできくよ。様がどうだか知らないし、興味ないし。求めてるのは、ただ強さを語ること」


 だれ宛てに語るのか。

 答えはもう、はっきりしている。


「教えてよ」


 だれにだ。


「この雨宮怜胤あまみやれいんに」


 本当はそうじゃないだろう。


「――〝英雄〟に」


 それも、ちがうだろう。


「強さってやつを!」


 歪つに砕くことだけを求める欲を、振りかざし。

 本当に知りたいのは強さではないだろう少女は。

 ソードブレイカーを振り薙ぐように、突撃した。


        #


 柊は右逆手に短刀を構え、低く左半身にとって怜胤の突撃を待った。

 中庭の端には、辻堂と雨宮が控えている。その周辺には、千影とその他宿の従業員が有事の際に備えていた。

 これで安心できる。安心して、戦える。


「ふう」


 息をひとつ、胸の内に落とす。

 見る間に近づく怜胤。

 ただその目に、自分が映っていないのはたしかだった。言ってしまえばうわのそら。しかも修練ひとつ積んでいない。

 それでいてなお、強い。

 強さは、強さにかける気持ちや意思の純度などさほど大きく関係しない。圧倒的な才能の量があれば、努力もなにも飲み込んで押しとおる。


「――あはははは!」


 ざあっ、と音がして。

 笑いながら現れる怜胤。あまりの速度に、彼女が通ったみちから雨粒の群れがかき消され、雨幕に風穴があけられていた。吹き付ける突風。

 振り上げられる刀壊剣。鋸のような刃が、雷閃のごとく落とされる。


「ふっ!」


 掲げた逆手の短刀で受け止める。否。受け止めるほかなかった。

 あまりの速度と、素人じみた読みにくさ。それが柊の回避行動とワンテンポのずれを引き起こしており、受けるしかなくなっているのだ。

 そして受けは、彼女の武装に対しては非常な悪手である。


「いくよっ!」


 重みが瞬時に増す。間をおかずつづけざまの二撃目がきていた。左の剣が撃ち込まれ、膂力で競り負けそうになる。

 この微妙なバランスの崩れに乗じて、彼女の持つ歯のような刃がぎょりぎょりと耳障りな音を立ててこすれた。ソードブレイカーが、名に負いし働きを見せる。両手の刃で噛ませた柊の短刀を、てこの力で以てバギンと砕く。

 そのまま押し込む二つの刃。たまらず後ろに転がってかわし、起き上がりざまに柊は左腕を振るった。

 ちゃり、と袖の内から手へ落ちるのは、四本の苦無くない。これを五指の間に挟み込み、正面へ向けて投擲した。両手の刃を振り下ろした直後の怜胤は、顔をあげてこれを視認する。


「ほいっと」


 軽い声と共に、怜胤はソードブレイカーを手放して構えた。両の手のひらは、巴を描くように彼女の正面で回される。

 この、圏内に飛び込んだ瞬間、柊の苦無の手ごたえが重くなった。


「〝止められた〟か」


 先日見たのと同じ業だ。投擲武器を空中にとどめるような、でたらめな業。おそらくは生じている推進力を触れた瞬間の力加減で相殺してのけるような〝返し技〟の一種なのだろうが、なんにせよ突破口は見出しにくい。


「――だが」


 ぐん、と柊は左手を払う。先ほど手ごたえ、と感じたのは比喩でも勘的なものでもない。

 実際に、柊と苦無はまだ繋がっているのだ。


「一瞬でも〝止まる〟ならそれを利用する!」


 ぴんと張る鋼の糸。苦無の後部に結わえたそれが、雨を斬り割いて姿を現す。

 柊は手首の返しで糸を渦巻かせ、止められた苦無を起点にぎゅるりと怜胤の周りを囲んだ。そのまま引けば輪切りも可能だが、今回は殺しではない。加減して、拘束に移行する。

 はず、だった。


「じゃあこれも止めるね!」

「な!?」


 感じる手ごたえがさらに重さを増し、岩を引いているかのような錯覚を覚える。くるんとかかとを軸に一回転した怜胤が、周囲の糸に触れてその動きをも停止させたのだ。

 驚愕する柊を後目に怜胤はさらに半回転し、先ほど落としたソードブレイカーをつま先で蹴り上げた。回転するこれをつかむのと振りぬくのとが見事に連動し、停止した糸は断ち切られた。


「……こいつ」


 糸がはらはらと舞い、苦無も地に落ちた。

 あとには悠然と、二刀を下ろして無構えとなる怜胤。


「ふふ。あやとりか、面白いね?」


 言って両手の剣を納め、傍をかすめた糸を手に取る。扱いに熟達した柊ならともかく、常人が触れれば皮膚くらいやすやすと切る代物なのだが――あいにくと彼女は常人ではない。いとも簡単につつつと撫で、指先に巻き取るようにして苦無を手繰り寄せた。


「小刀とか刀子を打つ流派はあったけど、苦無は初めてかな。どれ」


 くるんと左手に持ちかえ、

 鋭く投じる。

 ぞっと、した。

 まるで鏡面を見るかのように、柊は己にそっくりのフォームを目にすることとなった。

 ――『完全』。文字通り、彼女はそうなのだろう。


(おおよそ人間に出来得ると想像する業は、どんなものであれ使えるということか!)


 一度しか見たことがなくても使える。

 自分の体の制御をだれよりもうまく行える、ただそれだけの才能で彼女は最強足りえるのだろう。

 度肝を抜かれたのもつかの間、射貫かれそうになった足先をひっこめる。

 すると彼女が再度突撃を仕掛けてきている。雨を貫く神速の走法。動きの出だしをとらえきれず、またしても柊は後手に回る。剣の間合いまであと十歩もない。


「真似上手な――」「工夫って言ってほしいな?」


 下手投げで、右手から苦無を放つ。四つの射線を彼女は、跳んでかわす。

 無防備な空中だ。柊は再度左手に苦無を持ち――投じる前に、ありえない高速移動で空中前転してきた怜胤のかかと落としに襲われる。


「く、おっ!」


 とっさに右腕を掲げてガードするが、回転の力も載せた蹴りにがくんと膝が折れた。

 ばかな。身動き取れないはずの空中でどうやって急降下し、かかと落としに転じたのだ。思って己の腕越しに見る柊は、答えを目にした。

 糸。雨の中にきらりと光る、柊の鋼糸。

 怜胤は先ほど苦無を投擲した。柊はかわしたが、この苦無はくさびのごとく(、、、、、、、)深く強く地面に打たれている。

 彼女は手元へ糸を残しており、空中に跳んでかわした際これを引っ張って急降下したのだ。


(それは――僕の業――!)


 まだ、見せていない手の内。まさにいま怜胤がやってみせたように、投げた苦無に結わえた糸を手繰ることでどんな状況でも急加速を見せる暗狩流の術、〝疾走しっそう〟である。

 見もしないものすら、生み出せるのだ。

 一を聞いて十を知るどころではない……真似上手などと揶揄できる存在では、ない。

 完全把握した己を、状況と環境に応じて自在に使いこなす。

 おそるべき才能が、そこにあった。


「あ、防がれた。惜しいね!」


 つづけざま逆の足で踏み蹴られ、後ろに倒される。

 すぐさま腹筋で上体をひきつけるようにして重心を下腿へ振り向け、立ち上がる。もう怜胤はソードブレイカーを抜いており、またしても切りかかってくるところだった。

 ならば――柊も、両腕を振る。

 袖内から、短刀が出る。

 左右の手に、刃を取った。


「お、二刀?」

「ちがいます」


 即座に左の切っ先を向け。

 鈨にほど近い位置にあるスイッチを押し込む。

 瞬間、柄の内部で押し縮められていた発条バネが解放され、刀身をはじき出す。スペツナズナイフと俗称される、柊とっておきの暗器だった。

 だがどういう反応速度を有しているものか、残り三歩という至近距離にもかかわらず怜胤は身を開いてかわしてみせる。そのまま芝生の上を滑り、走行してきた勢いを載せて右の剣を振り下ろした。

 助走のぶんだけ威力の載った一太刀である。

 が、スペツナズナイフをかわした分だけずれが生じている。

 彼女の読みづらい攻撃テンポによって生み出されていたずれが、このずれを以て解消された。……柊の狙いはそこだった。


(これなら、受けに回らず済む)


 叩き付けられた右の剣を半歩退いてかわす(、、、)。同時に柊は右の短刀を横薙ぎに振るい、怜胤が連撃につなげようとしていた左の剣にぶち当てる。

 初めて、柊から攻勢に出ることに成功した。


「お、っとと」

「受けたのは悪手ですな」


 押し当てたまま刀身を下方へ。左のガードを下げた。

 反射的に怜胤の左腕に力が入ったのを見切り、空っぽの柄を捨てた柊の左手が蛇のようにのたうつ。手のひらで肘の内側を、真上から押し込む。当然関節だから曲がった。剣の切っ先が怜胤の顔めがけて跳ね上がる。

 同時に柊は右の短刀を手放し、右腕を引き抜く。肘を押さえたまま、右の裏拳で怜胤の剣の柄頭を叩いた。


「あぶなっ!」


 目を狙う一撃を、首を振って横にかわす。緋色の髪が軌跡を残し、次いで反撃がくる。

 右の剣で真横から突いてくる。二人の間にあった雨の経路を貫き、迫る刃。

 横っ飛びに間合いを脱し、柊は両腕を左右に振る。袖から手の内に現れる苦無。四本ずつを指の間に握りこみ、腕を正面に閉じる動きで擲つ。

 八つの射線をゆらゆら動いてすり抜け、怜胤は両手の剣を八方に振り回した。またも苦無の後部に鋼糸を結わえていたことに気づいたらしい。にやっと笑い、断ち切られた糸が舞う中から再びの突撃。


「同じような小細工だけじゃ勝てないよ!」

「小細工の積み重ねが術というものです」


 ひゅひゅ、と左の指先をうごめかして糸を操る。

 斬られるのは想定済み。最初から苦無は捨てる気だった。本命は――斬らせた糸が地面に落ちた際に触れる短刀(、、)。先ほどわざと落としておいた刃を絡めとり、びんと糸を張ってこちらに切っ先を向けて飛ばす。

 怜胤の疾走に、背後から追いすがる短刀。同時に右手でも短刀を抜いており、ぬかりはない。

 柊が繰り出す平突き。右に身を崩しながら避けられる。逆に左の剣で短刀をからめとられ、わずかに体勢が崩れたところを右の横薙ぎに襲われる。

 脇腹狙いの一撃を、柊は防がない。命中より早く、怜胤の背に短刀が刺さると読んでいた。

 しかし怜胤の笑みに、失策を悟る。


「積み重ならなきゃ、やっぱ小細工だよ」


 怜胤は、自分の背後に左足を突き出す。

 びたり、と。飛ばした短刀が、靴裏に触れた(、、、、、、)途端空中に止められる。

 しまった、との思いは、ごきんと脇腹にめり込んだ剣の重みによって苦い痛みを生んだ。


「ぐ……!」

「足で使えるとは思わなかったでしょ? 悪いね。でもここぞってところは結構、投擲武器に頼るんだね? 暗狩流、やっぱり暗殺だから逃亡にも急接敵にも有用な中距離主体かぁ」


 分析しながら、柊の短刀をへし折って奪い。

 あとは乱れ打つ。硬直したところに、今度は逆から左中段回し蹴り。つづけざま左の掌底で斜め上から首元への打ち下ろし。とどめに右の袈裟斬り。

 さすがに最後の一撃はもらうわけにはいかない。怜胤の真下へ屈み進み入りながら左手を突き上げて右手首をとり、膝を抜いた重心移動で後ろに投げる。

 勢いのままブンと二七〇度回転して空中へ飛ばされ、仰向けになった怜胤はおお、と驚いた顔をしている。そこへめがけて四本の苦無を投げつけた。


「ほいさ」


 しかし怜胤は全身をきりもみ回転させ、猫のように体をうつぶせに戻す。同時に左手でまた止める業を用いたらしく、柊の投げた苦無は空中に静止している。

 が、そこはこちらも読んでいた。


「っおおおおお!」


 痛む脇腹に無理をさせて、屈んだ姿勢から足のばねで飛び立つ。

 怜胤の高さへ追いつき、静止させられた苦無を掌底で殴りつけた。

 さしもの彼女もこれは予想外だったらしく、あわてて右の剣を振るって切っ先を払った。

 吹っ飛んで、がしゃんと近くの窓を割る苦無。二人は同時に着地する。


 一進一退。

 譲らぬ攻防は、しかし互い手の内を晒させつつあった。

 


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