襲撃
「焼酎はあるのです?」
「芋麦米くらいならあったが……そも、お前さんの背格好だと売ってくれんかもしれんな」
「……そこはあなたが買ってくれればよいでしょう」
わずかむっとした気配を漂わせながら柊は横を過ぎる。へいへい、と肩をすくめ辻堂は彼の後ろを行く。
廊下を渡り、勝手口から表へ出る。現在宿が居を構える町は都市部から少々外れたベッドタウンで、夜の通りもさほど明るくはない。二人連れだって、むっとした湿気に覆われた住宅街の片隅を歩いた。
「そういえば倉内さんはどちらに住んでるのでしたか」
「家はここから少し離れとる。バスで三十分ほどだ」
「ふむ。僕だと徒歩十分ほどということですな」
「それは知らんが……でもいまの奴の住まいは、今からの通り道にあるぞ」
「別宅なのです?」
「らしい。よく知らんが」
家族の愚痴こそよく口にするが、家の内情についてはあまり話さないためついぞ聞くことがなかったのである。一人暮らしなのか、なんなのか。
「まあ奴もいろいろあるようだ」
「見たところ、一般人あがりにしては腕も立つようですしな」
「お、なんだか毒を含んだ物言いだな」
「誤解があるようですが、弱いと言っているのではないですよ。つい一年ほど前まで異能の存在を知らなかったにしては、そうした人間相手の対処がうまいと思っているのです」
むしろそういった異能の存在を主として相手取っていた男は、そう言ってふいに左手をするりと前に差し出す。
目をやれば、月光に照り輝く刃が抜かれていた。こんな住宅街でなにを、と慌てる辻堂だが、柊が手首を返すと刃はこつぜんと消え失せた。はてなと思って食い入るように見つめると、今度は右手の内に現れる。手首を返せば今度は頭上に。柄頭を頭頂に載せてバランスをとることすらなく平然と歩いていた。
そしてこくんとひとつうなずくに合わせて、刃は消失する。もう両手にも頭にも、どこにもなかった。
「いまのは技術ですが。こういう芸当も、知らないひとから見れば異能そのものでしょう」
「技術……なのか?」
「はい。魔術ではなく、手品に似たものです。僕は魔力を使えませんからな」
そういえば、そうだった。魔術師や異能者が同僚に数多く存在するあの宿屋の中で、柊と辻堂だけは(少なくとも基本としては)まっとうな人間なのである。
「異能であるのか、そうでないのか。異能であるならどんなものか。どんな法則で働くのか……知らなければ対処はできない。不意を打たれる、隙を突かれる」
じいとこちらを見上げる視線は、辻堂の体の各所を次々に射抜いていく。
なんとなくだが寒気がしたので、急所を狙われていたのではないかと思う。ぶるっとして、辻堂は半歩ひいた。
「そうならないために僕はあらゆる異能あらゆる非常識を前提にして鍛錬をしてきました。が、倉内さんや一般の錬達というのはまず『知らない』のです。だから対処はできない。不意を打たれ隙を突かれる。けれどあのひとは柔軟に、そういうものの存在を受け入れてそれなりに考えて動いているのです。したたかですよ」
「ふむ。天性のカンというものかね」
「近いですな。たまにいるのです、そういう輩は。どうすれば自らの身体性能を最高のパフォーマンスで発揮できるか、あるいはそれをしてどう動けば相手を思うように動けなくできるか。こういった、本来経験によって覚えるべき事項を直観と直感で理解してしまう存在」
選ばれた、者。
そう考え、辻堂はふとあの言葉に思考をつなげる。
「天恵を受けた者、か……つまりはっとぐぶほぉっ」
言いかけた単語が妙な音になって喉から抜けていった。次いで浮く体。
腹部になにか重たいものがぶつかってきたのだ、と悟ったときにはもう遅い。その物体ともども吹き飛ばされ、周囲の景色がすっとぶ。背後の壁が――目前に近づく!
「っととととととわぁぁぁぁぁぁっ!」「夜半なのですよお静かに」
思わずあげた叫び声にかぶせるように、柊が追い付いてきた。
声だけが追いすがってきた、というのではない。
ものすごい速度で吹っ飛んだ辻堂に並走して、真横に張り付いていたのだ。
そして全身に、ふわりとなにか絡みつく気配があった。
瞬間、停止。
「……っぶふうえぇ」
同時、体にかかる慣性。臓腑が持ち上げられる感触に身もだえしつつ、おえぇと情けない悲鳴を漏らして辻堂は地面にゆっくり下ろされた。
しゅるんと音がして、闇夜では視認しづらい糸の存在を知る。柊の持ち歩いている鋼糸の暗器、これを辻堂の全身に絡めて制動をかけてくれたのだろう。
「す、すまん……助かった」
「さてまだ助かったかはわからないのですがね」
へたりこんだ辻堂の前に進み出て、柊は両手を掲げた。左手には先ほど手品を見せてくれたときの刃を抜いており、右手からはうっすらと、袖口に伸びる数本の糸が風に流れていた。
彼が見据えるのは、住宅街の彼方。立ち並ぶ電柱のうち、電灯が消えかけた一本。
じ、じじ、っと音を立て電灯が明滅する。
次の点灯で、それまでは存在しなかった人影が出現する。
「ん、なん、だ、あれ……」
「さあ。僕にもわかりませんが、なにはともあれヤバそうですな。せっかくのほろ酔いが一瞬で覚めてしまったのです」
左の短刀を突き出し、低く構えながら柊はぼやく。彼我の距離はおよそ二十メートルといったところだが、柊ならばまばたきの間にも詰められる距離だ。
しかしその柊がこれほど警戒するということは――おそらく向こうも、それくらいはひとまたぎにしてしまうほどの手練ということだろう。けっしてここも、安全圏ではない。
人影は、ゆらりとうごめいた。両手には鈍い輝き。
流れる緋色の髪と揺れる瞳が、辻堂たちを捉えている。白い輝きが顔の中にのぞいたが、ひょっとして歯を見せて笑ったのか。あまり視力に自信のない辻堂には判然としない。
だが緋色の髪と両手の得物に、あ、と資料でもらった写真との一致を見た。
「……ありゃ、ヤバいぞ」
「だからそういっているのです」
「いやそうじゃなく。あれだよ。あれが……先ほど私が話していただな、」「もしかしてあなたも強いひと?」
辻堂の発言を遮って、電柱の下の人影が問いかけてくる。む、とひとつうなって、柊は自分が話しかけられたのだと気づいたらしかった。
「……どうでしょうな、少なくとも僕は自分より強い人間を幾人も知っておりますので。不遜にも強いなどと自称することは、とてもできませんな」
「そう? でもいままで会った中だと一番強そうに見えるなぁ……武器はナイフ? 流派なに? それから――」
相手は言葉を切って、ためをつくり。
今度は視力の悪い辻堂にもはっきりわかるくらい、
喜色満面の、感情がのった声音で。
「魔術とかも、使う?」
こちら側の人間だと、宣言した。