完全
《黄金の夜明け》。
雨宮が所属するのは、その分派筋にあたる結社だった。
正確には日本にわたってきて根付いた支部が独自発展を遂げたもののようで、まあこの国らしい信仰と術式が入り乱れる魔術結社のようだ。
「やはり面倒ごとに、なったな……」
雨宮が去って五日。辻堂は聞き出した情報と照合して雨宮怜胤の行方を追い、なんとか凶行を止めるよう交渉に入る手立てを探していた。
いまのところ収穫は薄い。ただ、三日前またも傍流の道場が破られたとは風のうわさに聞いた。距離的にはここから県をふたつまたいだところなので、なんともアテが見つからないところだが。
「ふう」
裏社会の情報・情勢に詳しい知人からタブレットのチャットを通じていろいろ聞き及んだ辻堂は、電源を落として小脇に置いた。
座り込む、宿の従業員棟一階の縁側。日没近づき日がかげってきた中庭を眺めつつ、辻堂は背広の内ポケットから出したジタンを口にくわえ、鳥の目マッチを擦って一服した。
……あれから詳細を聞き、雨宮の依頼を正式に受諾することとなった。
いわく、今回止めてほしい『道場破りの娘』というのはそもそも、彼ら結社において研究の上で生み出された――本当に、まあその、性魔術なども起源にはあったそうだが――存在であるらしい。
少女は雨宮怜胤。
結社の信仰と目的に沿って生み出された、ひとつの術の到達点なのだという。
「〝英雄〟ねぇ」
ぽっぽっと煙を輪にして吐きながら、辻堂はぼやく。
自分の娘のことをそう在るように育ててきた、と雨宮は言った。大仰な呼び名だが、つまるところ目的をわかりやすくパッケージ化するため、そう呼んでいるに過ぎない。
彼らが目指すのは『全き者』。要するに現生の人類を超えた人類を魔術によってつくりだそうとしていたらしい。
それは彼らが彼らの目的に至るための、ひとつの段階だったのだという。
「『完全な幸福』ねぇ……『完全』がなにかは、決まっておるのかね?」
いかにもディストピアじみた彼らの目的に、辻堂は苦笑する。
完全を決めるには定義が要る。定義があるならば万人には当てはまるまい。ゆえに『完全』ではなくなる。……そんな、存在論的証明で神の実在を論ずるかのようなばかばかしさに思い至り、辻堂は頬のひくつきを覚えたのだ。
もっとも、彼らの言うゴールたる『完全な幸福』は精神的に到達するものであるが、現段階においては『肉体の完全征服・普遍的支配』に心血を注いでいるという。要するに肉の器、現世の枠を制覇しようという……ありがちな宗教思想である。
「はぁー、うまいこと交渉だけで済めばいいがな……」
またぞろ巻き込むことになれば、千影にも迷惑がかかるだろう。彼女が進んでついてきているせいだとて、辻堂は自身が原因ならば責任を感じる程度にはまっとうな心根がある。
だから少し、悩んでいた。
「まずは話し合いの場をどうにか設けねば……所在はつかめるだろうか」
「なんです、だれかと仲たがいでもされたのですか」
「いんや、仕事だ仕事」
横合いからかけられた声に応じて、辻堂は灰皿に煙草を押し付けた。この声の主は、あまり煙草を好かないのである。
「……また、副業ですか」
手で煙を払いつつ言いつつ傍らに座るのは、六時で本日の業務を終え寝間着の浴衣に着替えた柊。片手には盆を持っており、そこには徳利とおちょこが二つずつ載っている。夕食前に軽く一杯やりにきたのだろう。
「あまり受けたくはなかったが、な」
眼鏡を押し上げ、その手で頭を掻く。柊は辻堂が横に置いていた資料の束をぱらぱらとめくり、予定収支を見たのかふむふむとつぶやいた。
「結構入るようですな。それでも受けたくなかったとは、額が気に入らなかったのですか」
「勘定ではない。感情の問題だ」
「ああ」
にやっと笑い、柊は自身の器に手酌で注いだあと、辻堂にもおちょこを差し出してきた。これを指先にとり、辻堂もご相伴にあずかる。
「また厄介ごとに首を突っ込んでいるようで」
「面倒な性分だとは自分でも思っとるよ」
「べつに悪いと言っているわけではないのです。そう聞こえたようならすみませんな」
「聞こえたというか顔だ顔。お前さんの笑顔はどーも含みがあるように見える」
「これは生来のものです、だから接客でなく裏方に徹しているのです」
本当か、困ってる私を見て面白がっているのではないのか……などと邪推してしまうが、問いかけたところで詮無いことだ。辻堂は黙っておちょこを傾けた。濃い風味の、よく冷えてとろりとした酒だった。どっしりとして甘やか。ふた口ですすり終えて、辻堂はもう一杯を柊に頼んだ。
「まあ魔術結社とのやりとりは、流儀や宗派によってなにかと面倒が多いでしょうからな。苦労するだろうな、と思ったら自然と笑みがこぼれたのです」
「やはり面白がっとるだろ……」
「滅相もない。ただ、僕はあなたが苦労の中でこそ真価を発揮するひとだと思っておりますので。今回もなんだかんだうまくいくだろうなと思って、笑ったのですよ。ねえ――〝無駄遣い〟殿」
自分も一献、あおって鼻孔に香気を抜けさせてから嚥下している。柊の横顔には、先のようなからかった印象などはない。
けれどその名には、辻堂も思うところがある。ちょうど先の雨宮とのやりとりでも、自分の在り様についてふと考えてしまったからだ。
「その呼び名はあまり好きではないな」
「これは重ね重ね失礼を」
「お前さんが失礼というわけではない。個人的に、気に入っていないのだ……単に〝無駄遣い〟、と呼ばれるだけならば、どうでもいいがな……」
器に沈んだ己の顔、井戸の底じみて暗い目と目を合わせて、自分のことを思う。
無駄な手数。
要らぬ手間。
取り越し苦労でしかも悪手。
こういったものを積み重ねて泥臭く仕事をしてきた結果、ついたあだ名が〝無駄遣い〟。まあこれだけならば。単に無駄遣いと呼ばれるだけならば、辻堂は気にもしない。当然の評価だと自分で納得できるからだ。
しかし呼び名にさらに付随させられたジャンクユーザーとの言葉には、すくなからず辻堂以外の人間への評価が含まれているのだ。
「戦えない私のために、お前さんらまで巻き込んだ蔑称を受けているのが、な。少し、嫌だ」
「蔑称ですか?」
「ジャンク、がなにを指してるかは知らぬわけでもあるまい」
「はは。知っていたところで僕には響きませんからな」
「私に響くのだ」
言って体ごと柊に向くが、彼は気にした風もない。飄々とした態度でぐびりと酒をあおり、ぷふうと息を吐いて庭の溜池を眺める。
「……できそこない。なるほどたしかに蔑称でありましょうな。すねに傷持つ者ばかりのここの連中には相応の名なのです」
柊は、ともすれば自嘲気味にも聞こえそうな言葉を大したことでもないように、平然と口にする。
そう、この蔑称は。
武力に頼る事態になっても自身が戦えない辻堂のため、柊を筆頭とした宿屋の同僚や千影といった戦闘代理人がいることを。そして彼らが――皆なにかしらの後ろ暗い過去を抱いた表に出られぬ者であることを、揶揄した渾名なのだ。
「私はそうは思わん」
「はい。知っております」
「だからたまに思うのだ。……生来の気質おもむくまま、面倒ごとに首を突っ込むたび。お前さんらにも迷惑をかけているのではないかと」
「それはご自身を少々買いかぶりすぎかと思うのです。この宿はそもそも、悪い意味でいろいろ名が知れておりますので。あなたの所業ひとつやふたつでこれ以上、僕らへの見方が悪化することはないのですよ」
すでに最下限、とここは自嘲気味に言い、けれどそれでいいのだと柊はつづけた。
「それでもここは必要とされています。僕らにとっても、お客様にとっても。ちゃんとだれかの助け、救いになっているのです。であれば、これ以上望むところはありますか? いまの己にきちんと納得があれば、満足があればいいのです」
小首をかしげて辻堂を見、柊は静かに酒を飲みほした。
しっかりと、生き定めている。おそらくは彼も、いろいろな経験を積んできたにちがいない。
(いまの己に納得、か……)
その彼の言動の向こうに、辻堂はとある男の影を見た。
だがあえてその言葉の出どころについて問うことはない。どうあれ、柊が自身で選んで口にしたのなら、それはもう彼自身の言葉のはずだから。
時間をかけて一杯飲み、辻堂は息を吐く。雨宮との接触からこっち、ずっと揺らいでいた気持ちが、だいぶ落ち着いた。
「すまんな。少し、弱気になっていた」
「いえいえ。弱った年上というのは、はたから見ている分には面白い見世物なのです」
「やっぱ面白がっとるじゃないか!」
「はっはは、あなたは無様が多いので楽しめるのです。こないだも連日の合コンで全敗して干乾びてたとか聞きましたが、二つ名も〝敗戦骨化〟とでも改名してはいかがです?」
「おいソレだれに聞いた!」
「倉内さんが『わたしというものがありながら合コンなんて』と従業員に愚痴ってきたのです」
「あいつと私はなんの関係もないぞ……!」
「本当に?」
「本当に!」
躍起になって否定する。
というのも、これまでの人生で女性にあまり好かれてこなかった辻堂だ。ああいう風に積極的に距離を詰めてくるやからには、対応をどうしたものかわからないのだ。むしろ適度に突き放してくれるようなタイプにこそ安心して惹かれるのである。
が、こんなことを年下の同性に話せるはずもない。そこは男の見栄がある。だから必要以上に、否定するしかなかった。これを聞いて柊はにやにやしている。
「まあどのような関係であれ、それこそ僕には関係のないことですが。釣った魚にえさをやらないのは良くないことだと思うのです。僕みたいなのに言われたかないでしょうが……いままで指摘されたことがなさそうに思いましたので」
「……そりゃまぁ、たしかにないが……」
「でしょうね。あなた友達少なそうですからな」
「わかってるなら言うな性悪!」
ぜえはあと息を切らした。まったく、たちの悪い男である。かんらかんら笑ってやがった。
おちょこをカンと置いて立ち上がり、辻堂は肩をいからせながらポケットに手を入れ廊下を歩き出す。
「もういいわい、ったく……」
「おや、どちらへ」
「煙草切れたから買ってくる。夕飯には戻ると葛葉さんには伝えといてくれ」
「了解なのです。……っと思いましたが、僕もついていきますか」
「なぜだ」
「こちらは酒が切れました。庭の地下蔵にはまだありますが、あの辺の古酒に手を出すと白藤がうるさいので」
徳利を逆さにして滴を舐め、柊も立ち上がる。足を止めていた辻堂は、ふんと鼻を鳴らして彼が来るのを待った。
「……私の吸う銘柄を置いてる煙草屋はさほど酒のレパートリーは多くないぞ」
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