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依頼

 激戦のはじまる数日前。

 辻堂は、職場の一角でとある客と向き合っていた。

 梅雨らしくしとしとと降る雨とは無関係に、室内に立ち込める湿気た空気。それはおそらく、対面する相手との間にわだかまっている空気である。

 要は辻堂が生んでいる排他的な空気だ。


「――依頼とあっては、むげに断ることもできんのですが」


 不承不承といった感想をまるで隠さず、辻堂は深く溜息をつく。

 彼の務める宿屋〝紅梅乃花弁べにうめのはなびら〟の応接室。

 ローテーブルをはさみ、革張りのソファに沈み込んで三つ揃えの背広にしわをつくる壮年の男に目配せした。

 客として来訪したこの男は、深く頬齢線ほうれいせんの刻まれた顔に苦笑いを浮かべて膝の間で揉み手している。

 いかにも、こういう対外折衝に駆り出されそうな男だ。――良い意味でも、悪い意味でも。


「それにしてもマァ、『道場破りをしてる娘を止めてほしい』とは。この平成の時代にめずらしいというか、時代錯誤というか……」


 奇妙な依頼を心中に反芻し、辻堂はもひとつ溜息をつく。

 とても面倒くさくて、煙草が吸いたい気持ちになった。


(ここは宿屋であって、お悩み相談所ではないんだがな……)


 いまさら言ったところで、広まった噂はどうにもならない。

 本職――この宿の対外折衝役だ――のかたわら、巻き込まれた事件や問題に生来の気質から口をはさまずにはいられず。魔を操る者や異能を司る者たちにかかわりつづけた結果、辻堂はいつしかいくつもの異名を手に入れてしまっていた。

 曰く〝異界交渉人〟〝排戦刻下(エリミネイター)〟〝無言抱擁〟……蔑称まで含めれば、その他さらに数多く。

 要はこの国の『表に出ないが確かに居る者ども』つまり〝魔術師〟や〝異能者〟のかかわる事件で、これら魔の者を統括する〝統合協会〟という公的機関がでばることのできない個人間の揉め事における、体のいい調停役。そんなところだ。

 だから、このように依頼を持ち込まれることも最近は増えつつある。本業の方はだいたい閑古鳥が鳴いているため、いまやこの辻堂の副業は貴重な収入源として宿屋従業員からも認められつつあるほどだが……正直そこで認められても、という気持ちは強い。けどお金はいる。ゆえに仕方がなく、辻堂はひとまず相談は聞くようにしている。

 聞くだけ、の場合もあるが。

 眼鏡のブリッジを押し上げてから腕組みし、顎をひいて男を見やる。


「しかし雨宮さん。ご存じとは思いますが、私は戦えやしませんよ。ご覧のとおり」


 ネクタイを締めたシャツの上から二の腕を指で叩き、その細さを見せつける。


「腕っぷしはからきし。なんの因果か魔力は多いほうですが、扱いの訓練はまるで受けちゃおりませんで、」

「存じております。異界交渉人は交渉しかしないと」


 辻堂の言葉へ食い気味に深くうなずき、雨宮はにたっと。

 媚びたようなへつらったような、嫌な笑みを浮かべた。

 辻堂は眉をひそめ、まあそうですなと前置きする。


「知っているなら話は早い。私は、あらゆる武力を身に帯びないと決めとります。そんな私に依頼されるのですか?」

「可能な限り、娘を傷つけずおさめてほしいものですから。交渉で済むのならそれが最善です。それでもダメで、貴方様に襲い掛かるような場合は……どうにかしていただければ」


 わずかに視線を逸らし、辻堂の背後を見てから雨宮は言った。

 そのとき辻堂は己の眉根が寄るのを感じた。

 抱いた感情を言葉にしようか迷っていると、腰かけるソファにぼすんと軽い揺れが走った。


「その場合は、実力で対処しますです?」


 辻堂の座っていたソファの後ろで控えていた小柄な少女が、背もたれに頬杖をついてにゅっと首を差し出してくる。

 サイドポニーに結った髪とくりくり動く大きなまなこ。タイトなグレーのパンツスーツを着ているが、まだまだ着られている感の強い小娘。

 ある一件で辻堂と知り合い、以降つきまとってきている少女、倉内千影くらうちちかげという。

 以前はなにかやっていたらしく腕っぷしには相当の自信があり、「武装放棄主義者ならわたしが代わりに御身を守るですよ」と、先日十六歳になったのを機にこの宿に務めだした荒事用のアルバイターである。


「なんならわたしが出ますですよ。お相手さんは武器遣いです? それとも徒手?」


 ずいっと千影は身を乗り出す。

 雨宮はハンカチで汗をふきふき、どうしたものかと困ったような顔で辻堂を見ていた。

 だがその顔の端には、望み通りにことが進んだと思っている人間特有のほくそえんだ感じがあった。ますます気に入らない。辻堂は片手を伸ばし、千影の顔を覆って後ろにおしやる。


「勝手に決めるでないわ阿呆。お前にもしものことがあっては困るのだ……すいませんねどうも、コイツまだこうした仕事に不慣れなものでして」

「いえ、お構いなく。……でも大丈夫ですか、なんだか妙な様子ですが」

「コイツぁいつもこうです。お構いなく」


 言う辻堂のかたわら、千影は頬杖ついた手で顔をはさみこみ「やだもー堂さんったらわたしのこと大事にしてくれちゃって」などと言っている。

 よそ様の子供をあずかっているのだから大事に扱うのは当然だろうと辻堂は思うのだが、千影の中ではなにか認識がちがうのか……こういう齟齬が、二人の間にはままある。

 とまれ、いまは雨宮の依頼だ。げふんと咳払いして気持ちを切り替え、辻堂はローテーブルへ上体を乗り出す。


「それで、話を戻しますとですな……私は、最善を尽くします。しかし、」

しかし(、、、)でも構いません(、、、、、、、)。可能な限りでとお願いしていますので。できなかった場合、どうにもならなかった場合の次善、次次善の策については貴方様にお任せいたします」


 またも食い気味に、雨宮は己の意向をかぶせてきた。

 ますます気に入らない。思って辻堂は汗を拭く男を見る目の圧を強める。

 どうにもならなかった場合、だと?

 ハナからそちらを期待していることは、男の態度を見れば明白だった。


「……あれれ。堂さんおヘソ曲げちゃってますですか?」


 妙な様子から復帰したらしい千影が、雨宮に聞こえないよう小声で辻堂に言う。そろそろと乗り出した身を後ろへ下げ、両手を腹の前で組みながら、辻堂はふんと鼻を鳴らした。


「なぜヘソを曲げる必要があるのだ」

「もうその返答がヘソ曲げてますよね。でもしょうがないですよね、だーって堂さんに依頼するの形式的なもので、堂さん自身が結果出すことは期待されてないですもんねこれ」

「そうだな」

「期待されないのに窓口にされて、いらっとしてませんです?」

「んなことでいちいち目くじら立てんわ」


 辻堂はこの業界に入って日が浅い。軽んじられること、なめられることなど日常茶飯事だった。

 海千山千の猛者に安く見積もられ、挑発され、しなくていい苦労を買い、リカバリの難しい失敗を重ね、またそれを馬鹿にされ。そんな感じだった。

 だから自分に期待されないのはどうでもいい。慣れている。


「じゃあ、なぜ?」


 問いを重ねる千影の頭を、黙ってくしゃりとなでる。わぷぷと息を詰まらせている彼女に辻堂は答えず、雨宮に向き直った。


「……つまり私が言いたいのは、こうです。あなたの娘さんは、無事にはすまないかもしれません」

「ちょうどいい、灸でしょう」


 探りのつもりで口にした、脅しに近い言葉にきっぱり即答された。溜息をつくほかない。

 ここで辻堂の懸念に「自信がないのですか?」と己を安く買いたたくための挑発でもあれば、まだ救いがあったのに。この男はとりつくしまもない。

 こんな応対をされる娘を不憫に思って、苦い感覚に口をもごもごさせた。

 ……だがまあ。

 救いがないからこそ、とも言えるか。

 動きたい、動かねばならないと、辻堂がそう思えるのは。


「わかりました。そこまで言うのでしたら」


 首肯して、あとは雨宮の顔を見ない。

 声音だけで、もうこの男の表情はわかる。


「――道場破り破り、どうにか果たしましょう。なんとしても、交渉にて」


 事務的な手続きと事前情報開示を求めるに徹して、辻堂はこの案件の解決に乗り出した。


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