決戦
Don't try to be a hero.
――無理を、するなよ。
+
英雄は必要とされるから生まれ、そう呼ばれる。
では不要になった英雄とは、いったいなんと呼ばれるのか。
「……まあどう呼ばれるにせよ、どんな存在であるにせよ。私の応対は変わらんな」
辻堂は自問自答にけりをつけ、懐から出したクセの強い煙草、ジタンを口にくわえる。指先に触れた紙は適度に湿気た質感を覚えさせ、周囲を取り巻く薄い雨幕の存在を強調してきた。
鳥の目マッチを毛羽立ったデニムのボトムスに擦り付け、じっと灯った火で紫煙をくゆらせ。煙草の火が消えぬよう、目深にかぶったつば広のハットをさらに前に傾ける。
眼鏡越し、つばの向こうで雨にけぶる景色の中、目立つ緋色を凝視する。
それは頭頂部でハーフアップにまとめていて、肩を越す長さの髪の色だった。
その髪の色味は、ある人物と重なったが、辻堂はその記憶のふたを丁寧に閉めた。いま、必要のないものだからだ。
「さ、ちゃっちゃと初めてさっさとやろうよ?」
明るく無邪気に、木琴を叩いたような声がした。
緋色の髪の持ち主である少女の声である。
〝英雄〟と呼ばれうるものの、声である。
「うふ。楽しそうだなぁ。うれしむことができそうだ、なぁ」
くつくつと笑い、彼女は上のまぶたをわずかに下ろした。その半目には、攻めの意識がありありと浮かんでいる。
次いで、髪を跳ねさせ腰を落とし。両の太腿にベルトで提げた鞘から得物を抜く。
ハーフフィンガーグローブをはめた両手に携えるのは、刃渡り三〇センチほどでぎざぎざとした乱杭歯のような刀身を持つ武器――ソードブレイカーと、俗に呼ばれるものだった。
この特殊な武装を二振り、左足を半歩進めた姿勢で大木を抱くような構えをとる。二刀の扱いに慣れた、己の刃圏をしかと理解した重心のとり方だった。
簡素だが襟元・袖元にフリルを施しているシャツが、彼女が腕を伸ばすに合わせてきしりと鳴る。背丈は一六〇に届くかどうか。全体に華奢に映る外見だが、ひどく腕が長い。袴じみた腰巻をボトムスの上に着用しているため見づらいが、脚も同じように長いのだろう。
新体操かスケートでもやれば見栄えがよい体型ではないか、と場違いなことを辻堂は考えた。
「ねぇ、きみ。きみの剣は、わたしにどんな強さを語ってくれるのかな?」
辻堂には横顔だけを見せて、彼女は髪色同様に緋き瞳でしばし先をねめつけている。
彼女から一五メートルほど離れた位置。
雨でぬかるむ地面に無造作に立つ、ひとりの少年をにらんでいる。
「……べつに僕の剣は、なにも語りません」
話しかけられた少年は、つれない様子でぶっきらぼうに答えた。
彼は細い目をゆっくりと開く。鼻をひとつ鳴らし、白い手套をはめた手にどこからともなく三寸ほどの短刀を抜く。
右逆手にこれを構え、左半身で低く構えた。
「僕が語るのですよ。生きざまを、この様を」
少年は短く刈った栗色の髪を三角巾で押さえ、なぜか服装は執事のそれ。
背丈は現代の同年代平均からは低く、一六五センチだったか。たしかそれくらい。辻堂が彼と知り合って数年、今年で十八のはずだがあまり身長は伸びなかった。一八〇を優に超える辻堂がこれをからかうと、じつにイラっとした顔でこちらを見上げてくる。
少年は名を、柊という。
辻堂の所属する職場で会計を担当する同僚であり、また荒事に巻き込まれた際の護衛役のひとりでもある。前職は――暗殺者。
「ふう、ん? どんなざまか知らないケド……とにかく、強いんでしょ?」
理解したようなしていないような、ひとまずの納得を得たらしい少女は。
英雄たる少女は、元暗殺者に己の持つ刀壊剣を向ける。
「だったらあとはコレできくよ。様がどうだか知らないし、興味ないし。求めてるのは、ただ強さを語ること」
だから――と。
少女の初手。
言葉を、切り。
「教えてよ。この雨宮怜胤に――〝英雄〟に。強さってやつを!」
かざしたソードブレイカーを振り薙ぐように、突撃した。