サイトウとタナカ
簡単な別れは簡単な出会いから始まる。道行く人と目が合い、あいさつを交わし、軽くお辞儀して通り過ぎる。それで完了、ハイおわり。
あるところに、サイトウという普通の男子中学生がいた。このサイトウ少年、世間で言うところのコミュ障である。両親と姉、それから小学校から仲良くしていた数人の友達。それ以外の人と上手く喋ることが出来ない。
サイトウの友人、タナカは、彼のコミュ障を克服すべく、あるプログラムを組んだ。
「いいか、サイトウ。世の中は悲しみで満ちている。」
自分たち以外誰もいなくなった教室の中心。タナカは片足を椅子にかけ(勿論シューズを脱ぐ常識は備えていた)、サイトウを指差した。
「この無慈悲で世知辛い世界に必要なものはなにか。それはコミュニケーション能力だ!」
タナカはクラス一、熱い男だ。勉強こそ出来ないが、気合いと根性だけは誰にだって負けない。タナカの手にかかれば、きっとサイトウだってコミュ障から立ち直れるはずだのだ!
「サイトウは確実に、大学を卒業した瞬間、社会に埋もれるぞ!下手したら大学在学中から埋もれる!」
「じゃあ、どうすればいいのさ!」
サイトウ少年は悲痛な叫びを訴える。そこでタナカは、いよいよ自分の計画を彼に打ち明けることにした。
「簡単だ!サイトウよ!簡単な別れを目指すのだ!」
タナカのいう話をまとめるとこうだ。彼曰く、コミュ障を直すために必要なことは「簡単な別れを経験する」こと。一般的なコミュ障に効くかはどうとして、サイトウ少年の場合は、会う人会う人永遠に付き合おうと思うから失敗するのだ。「こんにちは」「こんにちは」「さようなら」「さようなら」これでいいのだ。
「初めて会った他人と無理に話をすることは無いのだよ、サイトウ!そりゃあ、これから付き合うのが確定している奴は別さ!新しいグループでの自己紹介とかね!それはそれで別のプログラムを用意している!だが、まずは簡単な別れからだ!」
タナカは椅子から片足を下ろして、教室の隅へと歩いて行った。
「よし、ではまず僕が先生役をしようじゃないか。返事をしてごらん。」
サイトウ少年は、こくんと頷いた。壁際からタナカ先生がふんぞり返って登場だ。教室に緊張が走る。
『やぁ、サイトウタカヒロくん。』
「こんにちは先生。」
ここまでは快調だ!いいぞ!サイトウ少年!
『こんにちは。』
挨拶成立!もう少しだ!
しかし、そこまで言って、サイトウ少年がかたまる。
「・・・・・・。」
『む?どうしたのかね。』
「あ・・・えっと・・・」
「カットカット!」タナカ先生は、普通のタナカとなってサイトウ少年を止めた。
サイトウ少年は、溜息と共にがっくりと肩を落とした。
「やっぱり駄目だよタナカ。」
「いや、まぁ最初にしては上出来だ。あのまま失礼しますと言って終わりにすれば正解だったんだがな。」
タナカは心が広い人間だ。おおらかに笑って、サイトウ少年を慰める。
「諦めるでないぞサイトウ。もう一度やってみよう。」
「分かったよ。」
タナカは、再び教室の隅に寄った。壁際から、タナカ先生がしなやか美しくに登場だ。教室に緊張が走る。
『あら、サイトウタカヒロくん。』
「こんにちは先生。」
タナカ先生の裏声もばっちりだ!
『こんにちは。』
挨拶成立!ここからが本番だ!
「それでは失礼します。」
『はい、お勉強頑張ってね。』
「ナイスだサイトウ!」タナカ先生は、ただのタナカとなってサイトウ少年を止めた。
サイトウ少年は、歓喜に満ちて、目を輝かせた。
「簡単な別れがこんなに簡単だなんて思わなかったよ!」
「簡単な別れは簡単で簡単だから素晴らしいのだよ。これで君も挨拶マスターだ!」
こうして、タナカはサイトウをステップ2に連れ出すことを決めた。
「よし、サイトウ。次は、会話を続ける方法だ!会話とは、実は自分から振る必要はないのだよ!そういうのは得意なのがやってくれる!次に君に必要なのは、簡単な返答をすることだ!そこで、先ほど学んだ簡単な別れが役に立つ!」
タナカのいう話をまとめるとこうだ。彼曰く、コミュ障を直すために必要なことは「簡単な別れを経験する」こと。そして、簡単な会話を簡単な別れへ導くためには、ちょっとしたポイントがいる。つまり、会話を終わりへ導くことが必要なのだ。だから○○なのですね、つまり○○なのですね。ようするに○○なのですね。これが、会話を終わりを導く魔法の言葉。これを言えば、大抵の会話は終わりへ導ける。
「では、シュミレーションだ!魔法の言葉がハマる瞬間を見極めるんだ!まだここじゃない、と思ったら、曖昧な返事で先延ばしだ!」
タナカは教室の隅に寄った。壁際から、タナカ先生が厳格に勇ましくに登場だ。教室に緊張が走る。
『おや、サイトウタカヒロ殿。』
「こんにちは、タナカ先生。」
なかなか順調な滑り出しだ!タナカ先生の流し目は気持ち悪い!
『最近、将棋を始めたんだが、君はそういったものに興味があるかね?』
「そういったものに僕は詳しくありません。」
今回のサイトウ少年は一味違う。冷静に言葉選びだ!簡単な別れを覚えた彼に怖いものなどない!
『そうかそうか。将棋は良いぞ、歴史があるしな。』
「つまり、昔の人の粋な心が感じ取れるのですね!」
キマッター!完璧すぎる返し!今夜は赤飯だぞサイトウ少年!
『なかなか君は分かっておるね。素晴らしい。』
「ありがとうございます。それでは失礼します!」
「最高だよサイトウ!」タナカ先生は、一般的なタナカとなってサイトウ少年を抱きしめた。
サイトウ少年は満足げに笑みを浮かべた。
「やったー!ありがとうタナカ!これで初めての人との会話もこわくないよ!君は天才だ!」
サイトウ少年はタナカにお礼を言うと、その場でくるりと回って見せた。実に無邪気な中学一年生である。
『天才ねぇ。』
ガラリと教室のドアが開いた。そこに立っているのは国語のエンドウ先生だ。エンドウ先生は、サイトウ少年の担任の男の先生だ!自分の手に何枚ものプリントを持っている。
「エンドウ先生!」と叫んだのはタナカだ。
『こんにちは、タナカヤスアキ。』
「こんにちは、エンドウ先生!」
なんとタナカ自らがお手本となって登場だ!よく見るとエンドウのネクタイが曲がっている!だがノープロブレム!タナカはそんなので惑わされたりしない!
『君は国語が苦手なようだが、どうかね、最近は。』
「全然だめです!」
清々しいほどの笑顔!余裕まで垣間見える!
『このプリントがどういう意味かは分かるな?』
「つまり補習ですね!」
「凄いよタナカ!やっぱり君って凄い!」
サイトウ少年は、華麗なるタナカのコミュニケーションに感激だ!
『サイトウ、こんなのに付き合ってないで帰りなさい。』
エンドウの声はなんだか疲れたものだった。
『国語の点数が12点の奴から教わることなどないよ。タナカ、サイトウを見習え。あいつは今回のテストで93点をとってるぞ。』
「つまり、タナカは居残りなのですね!」
サイトウ少年は元気よく答えた。
「それでは失礼します!」
「あ、おい!待てサイトウ!俺をおいてくな!」
ピシャリとしまる教室のドア。サイトウ少年は、意気揚々と学校を出て、自宅へと帰って行った。