秋元柚木の苦難
秋元柚希の苦難
あれから何度も秋人に姉萌え作戦を試しているが全く成果がない。最初は驚いていた様に見えたけれど、二回目以降は無反応だ。まるで昼下がりのコーヒーブレイクとなんら変わらない平穏なものだと言わんばかりの態度で、私に目もくれず自分の部屋へと戻っていく。正直あの格好をするのは恥ずかしくて死にそうだと言うのに全く成果がない。心が折れそうだ。もしかして美咲先輩にまた騙されているのだろうか? いや、私の方に間違いがあるのかもしれない。オタク文化に疎いが故に何か違うことをしているのかもしれない。美咲先輩にはとりあえず、メイド服と猫耳をつけて弟君をお出迎えしろと言われただけだ。メイド服の着方や言葉遣いは本屋で少し学んだ程度だ。それではいけないのかもしれない。
そう考えた私はパソコンで詳しく調べてみることにした。幸いレポート制作用のノートパソコンを持ち合わせている。インターネット上には恐らく本屋にあるレベルよりも深くオタク知識があるだろう。パソコンはあんまり得意ではないけれど、学校で使うこともあるので人並みにはできる。まず調べるべきは妹萌えと姉萌えについてだろう。敵を知り、己を知ればなんとやら、だ。
「い…もう……と萌え……っと」
私は間違いのないようにゆっくりとキーボードで文字を打ち込んで、妹萌えについて検索した。
「妹キャラに萌えること……そもそも萌えってなに……? なんとなくはわかるけど詳しく知る必要がありそうね」
……どのページを見てもよくはわからない。これはみんな理解して使っている言葉なのだろうか? うーん……まぁとりあえず可愛いとか好きとか、そういう意味という認識でいいのだろう。これ以上は多分理解できない。恐らく言葉で表せるものではないのだろう。つまり、姉萌えというのは姉に萌えることなのだろう。それを秋人にさせればいいわけだ。思ったより簡単そうだ。……でも、どんなことをすれば姉萌えになるのだろうか?
姉萌えの条件――優しくて、間違ったことがあれば叱ってくれて、家事が得意で才色兼備。でもちょっと抜けたところがあったりして……
「そんな人間いるか!!」
思わず叫んでしまう。姉萌えの条件厳し過ぎないだろうか……? こんな完璧超人いるわけ……いるか。美咲先輩がまさにこれじゃないか。意外と身近にいた。存在してしまった……。
とりあえず、私には無理だ。今は姉萌えについては置いておいて、逆に妹萌えの条件を調べて見ればいいのかもしれない。楓恐らくこれを満たしているのだろう。
妹萌えの条件――可愛くて、兄によく懐いている。
「……おかしい。絶対おかしい。こんなの絶対おかしいよ!」
姉萌えの条件に比べて妹萌えの条件が易しすぎる。どれだけ姉に期待を背負わせる気なの……? 逆に妹を甘やかしすぎ……。こんな世の中おかしい……。っていうか姉に勝目なんてないじゃん……。もういっそ妹に生まれたかった! お姉ちゃん大変すぎ。……! いや、そうか。思いついた! 圧倒的閃きっ!
作戦決行は秋人が帰って来てからだ。何故ならあくまでお出迎えだからである。美咲先輩は答えを教えてくれたわけではなく、ヒントをくれていただけだったのだ。「姉」「妹」「萌え」「姉にしかできない」「お出迎え」「メイド服」「猫耳」キーワードは揃っている。後は台詞と状況を作るだけだ。さぁ、いつでも帰ってきなさい。お姉ちゃんが万全の策で迎え入れてあげよう。これで秋人と仲良くなれること間違いなしだ。
「ただいまー」
そんなことを考えていると、秋人が丁度いいタイミングで帰って来た。私はすぐに猫耳を装着して、メイド服のまま玄関へと向かった。私の部屋から玄関までの距離はそう遠くない。部屋を出ればすぐに一階へ降りる怪談があるし、階段を降りればもう玄関だ。案の定、たどり着いたとき秋人はまだ靴を脱いでいるところだった。秋人は階段から降りてくる私を見て、またかというような顔をして、靴を脱ぐ作業に移る。昨日までの私と思って油断しているな。ふふふ……。
「お帰り、お兄ちゃん! 今日も遅かったにゃ!」
これが私の作戦である。名付けて妹萌え作戦! つまり、私が妹になることで秋人の妹萌えの対象を楓から私にしてしまうのだ。美咲先輩が言っていた姉にしかできないことというのはメイド服と猫耳である。中学生である妹にこの道具を揃えることは不可能だ。しかし、大学生の私なら人脈とお金で入手は可能なのだ。これぞ姉にしかできない妹萌えなのだ。やっぱり作戦は成功したのか、秋人がこっちを向いている。初日以来である。成功と言ってもいいだろう。
「……いや、それはおかしい」
「え!?」
「あっ……」
遂に秋人が口を利いてくれた。声が小さくて聞き取れなかったけれど、確かに私になにかを言ったのだ。何年ぶりだろうか? やっぱりこの作戦は成功だったんだ! やったぁ! この方向でどんどん攻めていこう! この機会を逃したら秋人とは一生話せないかもしれないのだ。そう思い、私は秋人にどんどん話しかける。
「お兄ちゃん!今なんていったの? 私聞こえなかったんだけど……」
「……」
私を無視して自分の部屋へ行こうとする秋人。
「ちょっと待ってよお兄ちゃん!」
「……」
この機会を逃したら後がない……ここでなんとか振り向かせるしかないのだ。
「待ってってば〜お兄ちゃん。お兄ちゃーん! 聞こえてる? お兄ちゃ……」
「うるさい! あんた姉だろうが! いつから俺の妹になった!」
私の声をかき消す様に秋人が大きな声を上げる。
「……いや、まぁそうなんだけどさ」
怒られてしまった。まぁ確かに私は妹じゃなくて姉なんだけど……妹が好きだって言うから妹になってみたのに……これで合ってると思ったんだけどなぁ。
「……なにしてるの?」
後ろからの声に振り返ると楓がいた。私と秋人は今、階段を少し登ったところにいる。秋人の怒鳴り声がリビングにいた楓に聞こえたのだろう。
「いや……なんでもないよ」
なんと答えたらいいものかと考えていた私より先に、秋人が答える。
「それより、俺の部屋でゲームしようぜ!」
「うん!」
またしても私を置き去りにして二人は秋人の部屋に行ってしまった。やっぱり本物の妹には勝てないのか……。これも間違っていたということか。そうなると美咲先輩は一体、私になにをさせようとしているのか……?
「姉にしかできないことかぁ……そもそも私が楓に勝てることってなんだろう? 身長とか勉強とか年齢とか? あとはなんだろうか……?」
私は一度服を着替えてリビングでくつろぎながら考えることにした。流石にネコミミメイド服で家をうろつくわけにもいかないのだ。それにしても、考えてみるほど意外と難しい。実の妹とそれほど差がつく様なことというのはなかなかない。あったらあったで色々と家族的には複雑だ。それでも身長は私のが大きいし勉強も私のが出来る。といっても楓はまだ中学生なのだから当然といえば当然だけれど。他に思いつくものといえば……
「胸……とか……?いや、余裕で負けてるし……大体なんなのあいつ! 中学生のくせにおっぱい大きすぎ! 大学生の姉より大きいとかありえない! おかしい! なんで!? 私なんて毎日牛乳飲んでるのに! あれ本当に家の子なの!?」
「お姉ちゃんうるさいわよー」
どうやら声が大きくなっていたようで、キッチンにいた母から注意を受ける。そういえば母もなかなかの胸をお持ちだった。どうやら家の子じゃないのは私の方かもしれない……。
「私にできることかぁ……家事とか?」
「あれ〜お姉ちゃん家事なんてしたことあったかしら?」
「……」
すかさず母に突っ込みを入れられる。いや、アメリカに留学していた時にホームステイ先でしていたのである程度は出来るのだけれど、恐らくできるとわかったら手伝わされるだろう。今はそれどころではないのだ。
「他になにかあったかなぁ……美しすぎる美貌とか?」
「……」
さっきとは打って変わって母は何も言わなかった……
その日の晩、私は美咲先輩に電話をすることにした。私の力ではこれ以上の成果は恐らく無理だ。美咲先輩は私に何をさせようとしていたのか、まずはそれを確かめるべきだろう。そしてこれからどうすればいいのかを教えて欲しい。私にできることは全てやったはずだ。
電話を掛けると美咲先輩は三コールほどで電話に出た。
「もしもし、柚希ですけど……」
「久しぶり! 元気だった?」
電話越しにざわついた音が聞こえる。恐らく飲み会に行っているのだろう。美咲先輩のテンションも心なしか高い気がする。
「……えっと、今飲み会中でした? 後でまたかけ直します」
飲み会を邪魔するわけにもいかないので、私はそう言って電話を切ろうとした。
「あーいいよいいよ! どうせもう終わりだから」
「そうですか。ありがとうございます」
「可愛い後輩のためだ、全然構わないとも!」
やっぱり頼もしい良い先輩である。私は美咲先輩の好意に甘えさせてもらい、話を続けることにする。
「それでこの間の件なんですけど……」
「あー! あの弟君が妹萌えなのをどうにかするってやつだっけ? どうだったの? 成功した?」
美咲先輩が用件をすぐに理解し、話を進める。
「いや、どうにもあんまりうまくいかなくて……」
「そうなんだ。っていうか、もしかして本当にあのメイド服着たの?」
「え? ……着ましたけど」
あれ? 着ろと言われたから着たのだけれど……
「ぷっ……あははははは」
美咲先輩が吹き出したように笑い始めた。
「え!? だって先輩が……」
お酒が入っているからか笑いが止まらない様子の先輩に私は困惑する。
「ふぅ……いやーごめんごめん。まさか本当にやるとは思わなかったから」
「え……? 冗談だったんですか?」
「いや、まぁ冗談というか……まぁ、冗談だね」
前言撤回。ひどい先輩だった。
「はぁ……かなり恥ずかしい思いをしてあの服着たんですよ! ひどいです!」
「いやーごめんって……それで、どうだった?」
美咲先輩が今度は落ち着いた様子で聞いてくる。
「どうだったって、一日目は驚いてましたけど二日目からは完全無視でしたよ……」
「そういうことじゃなくて、着てみた感想」
「そうですねー……意外と良かったですね。特にあのフリルが……ってそんな話はいいんですよ!」
電話の向こう側から、止まらない様子の笑い声が聞こえてくる。酔っ払っている時の美咲先輩は無茶苦茶である。いつにも増して悪ふざけをする。もちろん最低限の節度は守っているけれど……
「あの……やっぱり今度でいいです」
「え? なんで? なんでも聞いていいよー!」
美咲先輩が息を整えながらそう言う。
「いえ……美咲先輩のお酒が抜けたらにしておきます」
「なるほどね。賢い選択だね! じゃあまたねー」
最後まで高いテンションで電話を切る美咲先輩。なんというか、疲れた。今回もからかわれていただけだったとは……。また今度とは言ったけれど、結局またからかわれて終わるような気もする。どうしたものか……いや、流石に次こそは真面目に答えてくれるはずだ。悪ふざけはするけれど、基本的にはいい先輩なのだ。……とりあえず、今日は寝よう。そう思ってベッドに入ったところでノックの音がした。
「お姉ちゃん、起きてる?」
この声は……楓だ。私のことを避けていると思っていた楓が私の部屋に来た。私はすぐにドアを開けて、楓を部屋へと招き入れる。
「どうしたの?」
内心とても嬉しいのだけれど、なんとなく冷静な振りをしてしまう。
「ちょっと話があるんだけど……」
「うん。なに?」
悩み事でもあるのだろうか? ここはズバッと解決して、頼れるお姉ちゃんとして信頼を得るチャンスだ!
「適当に座ってー」
私は楓に座布団を渡して、座るように言う。
「もうお兄ちゃんに近づかないで」
突然、楓が私に冷たい目線を向けながらそう言った。
「え……?」
「最近お姉ちゃんがお兄ちゃんに付きまとって変なことしてるの知ってるんだから!」
「えっと……いやその……」
楓の予想外の言葉にどう対応すればいいのかわからなくなる。
「お兄ちゃんも嫌がってるし……もうやめてよね!」
「うーん……それは秋人が言ってたの?」
私は混乱した頭で、ギリギリ思いついたことを言う。楓はこういうことを言うタイプではなかった。秋人に言われて言っているのだろうかと思った。だが、別に楓に言わせる必要はない。家にいるのだから直接言うはずだ……どうなっているのだろうか?
「……」
楓は何も答えない。
「えーっと……なんでそれを楓が言うの? 秋人がじゃなくて」
私は言い方を変えて、楓にもう一度聞く。
「……。とにかく、もうお兄ちゃんに近づかないで!話はそれだけだから!」
楓は私の質問に答えないまま、そう言って私の部屋から出て行ってしまった。呆然としたまま、それを見ているだけの私。さて、どうしたものか……。