秋元秋人のプロローグ
秋元秋人のプロローグ
朝の日差しのまぶしさと、うだるような暑さで目が覚める。まだ七月だというのにこの暑さだ。これでは八月になったらどうなってしまうというのか……そんなことを考えつつも、エアコンをつけて地球温暖化に協力してしまう。部屋に涼しい風が送り込まれ、サウナの様に蒸し暑く不快な空間だった部屋が徐々に清々しい物に変わっていくのを感じた。しかし、部屋が清々しい物になったからと言って、自分の心までも清々しくなるわけではない。明日から夏休みだというのにこんなにも気分が沈んでいるのは、昨日のアレのせいだろう……もしかしたら姉貴が部屋に入ってきた時にアレを見られてしまったかもしれない。そう思うと気分が落ち込んでいくのだ。
しばらく部屋の涼しさを味わい、目も覚めてきたところで俺は風呂に入ることにした。いつまでも鬱屈していても仕方がない。気分を入れ替えるべきだ。それに、これから学校だというのにさっきまでの暑さで汗臭くなっているし、ベタベタしていて気持ち悪い。そういう時はやっぱり風呂が一番なのだ。風呂は命の洗濯である。そう思って一階にある風呂場へ行こうと部屋を出た時、丁度、目の前にある姉貴の部屋が開く。このタイミングで姉貴と鉢合わせてしまうとは……。俺が無視するより先に姉貴が気まずそうに顔を逸らした。昨日はあんなにもテンションが高くて、久しぶりにかまってくれと言わんばかりだった姉貴が、だ……姉貴は小さい声でおはようと言ってすぐに一階に降りていった。中学生の頃から姉貴と話すことは少なかったが、それでも毎日会えば挨拶くらいはしていた――俺は無視していたが……。姉貴はどんなに俺は無視しても毎日普通におはようと言っていた。それは今も変わらないらしい。しかし、今日はどうにも様子が変だった。つまり、昨日姉貴が部屋に入ってきたときにアレがバレたということだろう……やっぱり憂鬱だ。
風呂に入って少しはスッキリしたところで朝食をとることにした。姉貴はもう何処かへ出かけたようで俺は少し安心した。実際に姉貴がアレを見たのか真偽を確かめたいところだが、真実を知るというのは怖いものだ。いないことでそれを知らずに済む言い訳が出来て安心しているのだ。しかし、どうせすぐに真実はわかることなのだが、それでも今は逃げたかった。忘れてしまったほうが楽なのだ。そんなことを考えながら朝食を食べ終え一学期最後の学校へと向かう準備をする。
「お兄ちゃん! 今日も一緒に学校行くでしょ?」
妹の楓が今日も元気に声をかけてくる。俺としてはそんな気分ではないのだけど愛する妹の誘いである、断るわけがない。
「あぁ、もうちょっとで準備終わるから玄関で待ってろー」
そう言って学校へ行く準備をさっさと終わらせて玄関へ向かう。玄関で待っていた楓に遅れた詫びを軽くしてから家を出る。後ろで母親のいってらっしゃいという声が聞こえたが、口を開くより先にドアが締まったので返事はしなかった。
「お兄ちゃんもしかして昨日のこと気にしてる?」
学校へ向かう途中で楓が俺の様子を伺う様に聞いてくる。
「……なにが?」
俺は適当にすっとぼけてみる。なんのことかは当然分かっている。それでもあの程度の事でうろたえるような女々しい兄だと思われたくはないのだ。
「昨日お姉ちゃんが部屋に入ってきてアレがバレちゃった事……」
「いや? 全然。別に姉貴にバレたって関係ないしな!」
予想通りの内容に俺はあらかじめ用意していた答えを口にする。楓は俺の方をしばらく見たあと、ふーんと軽く流してから前を向いた。その後はいつも通りの会話をして中学校付近で楓と別れた。そして、俺は俺の高校に向かう。いつも通りの日常。
楓の通う中学校から俺の高校はそう遠くない。というより、家から近いという理由でこの学校を選んだのだから当たり前なのだけれど。偏差値は普通でどこにでもあるような高校だ。一つ特徴があるとすれば文化系の部活が少し活発で、体育会系の人間が少なく、暑苦しくないということだけだろう。
そろそろ学校に着くというところで背中に何かがぶつかる。誰かがぶつかったというよりは何かをぶつけられたという衝撃。
「おっす! 珍しいじゃんこんな時間に!」
声の方へ顔を向けるとそこには見るからに高校球児の様な坊主頭がいた。
「なんだ。お前か」
「なんだとは失礼なやつだな。大親友のこの俺に対してそれはないだろ~」
石原慎二。野球部みたいな見た目をしているが、実際は帰宅部である。こいつとは中学の頃からの付き合いだが、何故野球部でもないのに坊主頭なのかは知らない。別に聞いてもいいのだけれどそれほど興味がないので聞かずじまいだ。慎二とは趣味が合うのでよく一緒に話す。まぁ大親友という言葉は間違っていないのかもしれないけれど、なんだかむかつくので俺は慎二を無視して学校へ向かう。
「おいおいおいおい! 無視かっ! そりゃないぜ坊ちゃん!」
坊ちゃんみたいな頭をしたやつに言われたくない。追いかけてくる慎二をそのまま無視して学校の校門を通り、下駄箱へ向かう。こいつと無駄な話をしている余裕は今の俺にはない。いろいろと考えなければならないことがあるのだ。
「お前いつも冷たいけど今日はいつも以上だな! なんかあったか?」
慎二が少しふざけたように聞いてくる。そろそろ面倒くさいので反応してやるとしよう。下駄箱から靴を出し、靴を履き替えたところで俺はそう考えた。
「まぁ、ちょっとな」
適当に答えて俺は教室へ向かう。
「ちょ、ちょっと待てって!」
慎二はまだ靴を履き替えている途中だったらしく靴を脱ぎながら片足だけになった状態でバランスを崩しそうになっていた。
「まぁまぁ、悩みがあるならこの俺に相談してみなって! 相談解決率百パーセントの俺が簡単に解決してやるよ」
そういえばこいつはよく他の男子に相談されているのを見る。女子に相談されていることは見たことないが……。まぁこいつに相談してみるのもありかもしれないな……多分、大して役に立つとは思えないが……。そう思って俺は教室についてから、一応慎二に昨日の出来事を軽く話した。姉貴にアレがバレたかもしれないということを……そしてこれからどうするべきかを聞いてみた。
「まぁ、大丈夫なんじゃね?」
慎二は話を聞いてから少し考える様な素振りを見せてからそう答えた。なんて曖昧な答えだろうか。こいつに相談したのがバカだった。
「だってバレたのは物だけなんだろ?」
「ああ、多分な」
「だったらなにも問題はないだろ? それくらいはギリギリ許容範囲だろ。一番やばいのはそこからなにを読み取られるかだろ?」
なにを読み取られるか……確かにその通りだ。アレを見られた程度では本当に隠していることはバレない。ただいつかはバレる可能性があるのだ。
「まぁとにかく、今はまだ大丈夫だってことだよ。でも当分は控えたほうがいいかもな……お前の妹萌え」