秋元秋人の非日常
秋元秋人の非日常
リビングから出てすぐ、俺は楓の部屋に向かう。どうにも姉貴はやりづらい……思ったことをストレートに言うというかなんというか。普通だったら恥ずかしいようなことを言うのだ。まぁ、今はそんなことよりも楓だ。夏休み中はずっと朝食を一緒に食べていたとは言え、別に口に出して約束していたわけでもない。いつの間にかそうなっていただけなのだ。それでも、なんだか悪い予感がする。
「楓―いるかー?」
楓の部屋のドアをノックしながら声をかけるが、反応がない。出かけたのか? いや、玄関のドアが開いたような音はしなかったはず……俺の部屋にいるのだろうか? そう思って自分の部屋に向かうが、楓はいない。おかしいな……トイレにでもいるのだろうか? まぁ、部屋にいれば後で来るか。
……そして、部屋で待つこと五時間。全く来る様子がない。これは明らかにおかしい。いつもなら間違いなく楓が部屋に来るはずだ。もう一度、楓の部屋に行ったほうがいいのもしれない。そう思って俺は楓の部屋に向かう。
「楓―お兄ちゃんだぞーいるかー?」
声をかけるが、またしても反応がない。これは事件だ! 間違いない! 部屋の中で倒れているのかもしれない……これは危険だ!
「楓! 入るぞ!」
「え!? ちょっとまっ……!」
「……」
俺は勢いよくドアを開け、部屋の中を確認し、ゆっくりドアを閉めた。楓は部屋にいた。全然倒れてなかった。元気だった。それが確認出来てよかったと思う。着替え中だったけど……まぁ、問題ないよね。別に兄妹だし。うん……部屋に戻ろ……楓の部屋からバタバタ騒がしい音が聞こえたが、俺は聞こえないフリをして走って部屋に戻った。……さて、どうしたものか。素直に謝るというのが最善だろうか? しかし、妹の着替えなんて覗いたくらいで動揺するようなやわな兄だと思われるかもしれない。ここは何事もなかったかの様に接するべきなのかもしれない。もし、問い詰められても、知らぬ存ぜぬを貫き通すか……いや、それは潔くない様な気もする……
「お兄ちゃんの馬鹿っ!」
ドアが勢いよく開けられた音と共に、楓の罵声が聞こえたかと思いきや、ドアが勢いよく閉まる音がする。振り向いた時には既に何も起こっていない状態だった。何を言っているのか分からないと思うが、俺にもよくわからない。催眠術だとか超スピードだとかそんなチャチなものじゃない……幻聴か? いや……? よくよく考えたら、超スピードじゃないと思ったけれど、楓が凄い勢いで来ただけだったかもしれない。とういうより、それが一番現実的である。そうだとすると、お兄ちゃんの馬鹿と言っていただろうか……?まずい。非常にまずい! 楓に嫌われた? どうする!? どうしたらいいんだ!? いや、ちゃんと謝れば許してくれるに違いない! そうに違いない!
「……ふぅ。とりあえず、楓に会いに行くか」
とりあえず、心を落ち着かせる。こんな時こそ冷静にならなくてはならない。俺はまた楓の部屋に向かう。
「楓―さっきはごめんなー入っていいか?」
今日三度目のノックをして、声をかける。
「……どうぞ」
中から聞こえてきた不機嫌そうな声を聞いて、ドアを開ける。やっぱりさっきのは幻聴じゃなかったようだ……。楓の部屋に入るのはそれほど多くない。いつもは大体楓が俺の部屋に来るし、楓の部屋ですることも特にないので、あまり入らないのだ。しかし、いつ見ても子供っぽいというかなんというか……そこら中にぬいぐるみがあり、なんともファンシーな部屋である。
「……さっきはごめんな」
まず、俺は謝罪の言葉と共に頭を下げる。
「……」
しかし、楓はそれでも不満な様で、なにも言わずにそっぽを向いている。
「声かけたんだけど、返事がなかったからなんかあったのかと思ってさ……」
「……」
「いや、本当に悪かったって……機嫌直せよ、な?」
「……」
「そうだ! 駅前のケーキ買ってやるよ!あの超うまいやつ!」
「……!」
少し反応したものの、依然として口を開く様子のない楓。どうしたものか……実は楓と喧嘩することはあまりない。そもそも、仲良くなってから一年程だし、俺は楓が嫌がることは出来るだけしないようにしているつもりだ。たまに、よくわからないことで怒らせてしまうことがあるが、今まではなんとかなってきた。しかし、今回の様に口を利いてくれないというのは初めてだ。
「なぁ……どうしたら機嫌直してくれるんだ? お兄ちゃんなんでもするからさ」
「……本当に?」
「うんうん! 本当に!」
ふぅ……今回も何とかなりそうだ。
「じゃあ……もうお姉ちゃんと話すのやめて!」
「え?」
「お姉ちゃんと話さないで!」
姉貴と話すのをやめろ? なんでそういうことになるんだろうか? 今、姉貴は関係ないと思うけど……
「えっと……なんで?」
「……」
この間海に行った時に、どうして姉貴のことを嫌っているのかと聞いた時と同じ反応だ。なにも言わない。
「うーん……それは流石にちょっと……」
いくら妹の頼みでも、そういうのはどうかと思う。そんなことをしたら、まるでいじめみたいではないか。この頼みを素直に受けるのは楓のためにならない。厳しさもまたひとつの優しさなのだ。
「なんで!? さっきなんでもするっていったじゃん!」
「まぁ確かに言ったけどさ……そういう人に嫌がらせをするのはダメだろ。大体、なんで姉貴のことをそんなに嫌がるんだよ?昔はあんなに仲良かったじゃん。その辺のことも、楓がちゃんと理由を話してくれないと……」
「お兄ちゃんの馬鹿! 嘘つき! 大っ嫌い! 」
大嫌い……? 今、楓は大嫌いと言っただろうか? 誰を? お兄ちゃんを……お兄ちゃんって? 俺だ。つまり……? 楓は俺を大嫌いだと言ったのだろうか?
「早く出て行って!」
呆然としている内に、楓に部屋から追い出される。少し脳がうまく働かない。今、何が起きているのかよく理解できない。
「楓!? わるいんだけど! なんて言ってたのかわからないから、もう一回言ってもらっていいか!?」
俺はドアを叩きながら大きい声で訴える。さっき聞こえたのは間違いだったに違いない。そうであってくれ……
「お兄ちゃんなんて大嫌いって言ったの! もうどっか行って!」
………………オニイチャンナンテダイキライ?
「うわぁああああああああああああああああああああああああ」
俺は逃げるように自分の部屋に戻る。お兄ちゃんなんて大嫌いだって! そんなことがありえていいのか! いいはずがない! もう俺はダメだ! よし、死のう! もう死ぬしかないだろう!
「秋人―なに騒いでんの?」
「楓か! 楓ええ!」
「いや、柚希ですけど……」
「……なに?」
姉貴だとわかった瞬間、何故か急激に冷静になった。よく考えたら、楓は俺のことを秋人なんて呼ばないな。姉貴か……今はそれどころじゃない。
「とりあえず、入るよー」
俺の了承もなしに勝手に部屋に入る姉貴。
「なんかあったの? なんか死にそうな顔してるけど……」
死にそうな顔……?楓に嫌われた俺なんて、もう死んでいる様なものだ。死にそうな顔ではなく死んだ顔である。
「楓が……楓が……」
「楓が?」
「楓がお兄ちゃんなんて大嫌いだって! うわあああああああああああああ」
言葉にして更に実感が湧いてくる。もうだめだ! 終わりだ! なにもかも終わりだ! 俺の世界は滅亡だ!
「ちょっと一回落ち着きなって……楓に嫌われたの?」
姉貴が俺を宥めるようにそう言う。
「……そう言ってた」
俺は渋々落ち着きながら答える。
「なんで? なんかしたの?」
俺は姉貴にリビングを出てからのことを軽く説明して、一度落ち着くために飲み物をとってくることにした。
「はぁ……なんでこんなことになったのかなぁ」
姉貴が帰ってきてからというものの、俺のここ一年の生活は全て変わった様な気がする。元はと言えば姉貴がいなくなったことでも、俺の生活は変わったのだけれど……。大体、姉貴はいつも突然なのだ。留学も突然だったし、帰ってくるのも突然だった。あの謎のネコミミメイド服も突然だった。嵐みたいな姉だと思う。天真爛漫というのか、トラブルメーカーというのか、なんというか……。
「楓がそこまで姉貴を嫌ってたとは思わなかった……」
「うーん……そうだねぇ」
「あんまりショックじゃなさそうだな」
楓にそこまで嫌われてると知ったらかなり落ち込むと思ったのだけれど、姉貴は意外と普通である。
「まぁ、嫌われてるのは元々わかってたことだし……そうは言っても流石にそこまで嫌われてるとは思わなかったけどさ……それよりも、今は秋人と楓の関係を何とかする方法を考えなきゃいけないし」
「え?なんとかしてくれるの?」
姉貴の予想外の言葉に少し驚く。
「そりゃなんとかしないとダメでしょう……私と話してるせいで秋とが楓に嫌われちゃったみたいだし」
「いや、別にそういうわけじゃないだろ……」
別に姉貴のせいではないと思う。確かに、原因は楓が姉貴と話すのをやめろと言って、それを俺が断ったことだと思うけれど、楓がそういうことを言ったことに問題がある。兄として正さなければいけない問題でもあるのだ。
「まぁとにかく、私がなんとかしてみるよ。どうせ楓とは一回ちゃんと話さなきゃいけないだろうし……」
なんだか姉貴が頼もしく見える。これが大学生の余裕なのか……それとも姉貴だからなのだろうか?
「それじゃあ、秋人も落ち着いたみたいだし、私は部屋に戻るわ」
「おう、騒いで悪かったな」
「いやいや、いいって……痛っ!」
こっちに顔を向けていて、ドアを開けずにそのままぶつかってしまう姉貴……大丈夫なのかこれ?




