6:掟
週も明けて、月曜日。
本日も夏真っ盛りで、太陽が燦々と輝いている。
そんな中、俺ら学生は、授業を受けている訳で……。
「…………暑い」
そう思っているのは、きっと俺だけではないはずだ。
奴のように心が読めずとも
そのくらいは分かる。
……心が読めずとも、か。
……はぁ。
嫌になる。
何がかって?
決まっている。
無意識のうちに、あの世界を、あの『羊』を意識してしまっていることだ。
仕方がないことではあると思う。
あんな世界があることを知ったら、やはり考えずにはいられない。
昨日、家に帰ってからも、散々考えていたし。
「…………司」
「……ん?」
授業中にも関わらず、俺を呼ぶ声が聞こえてくる。
小さな声だったから、聞こえない振りをするのもありかと思ったが……。
昨日、心配かけたこともあるしな。
そう思い直し、後ろの席から聞こえるその声に答える。
「……なんだ、あかり」
「いや……あの後、大丈夫?」
小声で、そう返してくるあかり。
……はぁ。
ほんと、図々しいというか、世話焼きというか。
俺が倒れていたのは、一分くらいだというんだから、
そこまで気にすることもないだろうに……。
「あぁ、なんともない」
「ただの寝不足だ」
無難な答えを返す。
というか、事実をいう訳にもいかない。
『夢』の中で、不気味な『羊』に会っていた。
……うん、まぁ。
いくらあかりと言えど、信じるわけないだろうな。
というよりも、俺も未だに信じられない。
もしかしたら、本当に、ただの夢だったかもしれないとも思う。
俺が想像したキャラクターが、俺の夢に出てきただけ。
その方が現実的だし、『普通』だ。
だが、あれは本当のことだと思う。
あの世界で見た景色。
あの世界で感じた温度。
あの世界で交わした会話。
どれも、俺の記憶に、感覚に鮮明に残っていたから……。
しかし、だ。
こんなことを言ったら、明らかに変な目で見られる。
「妄想癖をお持ちですか?」
とか言われそうだ。
いや、絶対言われる。
だから……
「だから、気にすんな」
「……むぅ」
俺の返事に、唸るあかり。
たぶん、まだ本心で納得はしていないんだろう。
しばらくの間、唸っていたが、
「……そか」
それだけを呟いて、あかりは渋々ながらも納得してくれた。
「でも、なんかあったら言えよ」
ボソリと呟いたのを最後に、何も聞こえなくなった。
「…………」
「…………」
まぁ、ノート取るのにでも戻ったんだろうな。
…………ふむ。
時計を見ると、まだ授業終了まで時間がある。
窓の外を見ても、日は高いままだ。
…………よし、寝よう。
…………で。
『おいでませ、夢の国』
「……………………」
迂闊だった。
さっきまでの俺に、声を大にして文句を言いたいっ!
なんで寝たっ!?
『ボクと会うのが分かっていたのに、だろう?』
「そうだよっ! …………つうか、心を読むなっ!!」
目一杯叫ぶ。
あぁ、本当に何を考えてたんだ、俺は……。
…………いや。
『何も考えてなかったんだろう?』
「……くっ」
口の端を歪めながら、愉快そうに言う『羊』。
俺が思っていたことをそのまま言われるから、言い返そうにも言い返せない。
『まぁ、そんな君の心中はどうでもいいんだよ』
「あ?」
気に障る言い方をしやがる、こいつ。
……と、心の中で毒づいてみても、反応はない。
だが、一応思っておかないと癪だ。
『今回、君には話しておきたいことがあってね』
ほらな。
やっぱり話を進めやがる。
「…………」
あまりにも癪だったもんで、沈黙を返してみる。
そして、極力何も考えないように。
……考えない。
……考えない。
……考えない。
『……どうしたんだぃ? 急に黙り込んだりして』
「…………」
『ん? そうかそうか、そういうことかい』
「…………」
『妹の裸体をもうそ――
「ちげぇよぉぉ!!!」
叫んでいた。
シャウトしていた。
なんだか、こっちにいる間は叫んでばかりな気がするのだが……。
『はっはっはっ、冗談に決まってるだろう?』
「……信用ならん。てめぇは俺のこと、シスコンとか思ってるみたいだからな……」
というか、妹の裸体を妄想って……。
そりゃあ、ただの変態じゃねぇか!
『違うのかい?』
「だから、ちげぇよ!!」
……一体、こいつから見た俺はどんな人間なんだろうか。
『知りたい?』
「……遠慮させてもらう」
『そりゃあ残念』
がっくりと肩を竦める『羊』。
口調は全くもって単調なものではあるが。
……まぁ、いい。
とりあえず話を進めよう。
なにより、これ以上下らないことを話すのは、時間の無駄だ。
『そうだね、ボクも同意見だよ』
またも心の内を読んだように、語りかけてくる。
この感じにもいい加減慣れたな。
「で、なんだ? 俺に話しておきたいことってのは?」
そうだ。
色々とどうでもいいやり取りを挟んだが、確か、こいつはそう言っていた。
話しておきたいことがある、と。
『そうだったね。まぁ、簡潔に言ってしまえば、この夢世界のルールについてさ』
「…………は? ルール?」
首を傾げる。
まず、この『夢』にルールなんてものがあるのか、というのが疑問である。
こんな変な化け物が万有引力を無視して、頭上から吊り下がるような世界だぞ?
ルールなんてない無法地帯ではないのだろうか?
『はっはっはっ、君がそう思うのも無理はないさ』
『……だが』
『この世界にだって、ルールはある』
『どんな世界にだって、規則があり、掟があり、常識がある』
『『夢』の中でさえ、それは例外じゃない』
『だから、話しておくよ。この世界のルールを』
「……あぁ」
分かりづらい言い回しではあるが、理解はした。
元々、この世界が気になっていて、寝不足だったんだ。
そこに、張本人がこの世界のことを話してくれるという。
なら、大人しく耳を傾けることにしよう。
『じゃあ、箇条書きで話そう。その方が分かりやすいだろう?』
『①この世界は、天草司の『夢』世界である』
『②この世界は、現実世界の時間とは、異なる時間が流れている』
『③この世界では、意思が力となる』
『④この世界では、天草司の意思が何よりも優先される』
『⑤この世界での死は、現実世界での死を意味する』
『……と、まぁ。こんなところかなぁ。何か質問あるかい?』
「…………」
……いや、うん。
質問とか、うん。
……………………。
「そういうレベルじゃないっ!!」
本日、何度目かのシャウトだった。
仕方ないだろう!
いや、①とか②はなんとなく想像ついてはいたさ。
③と④は……まぁ、よくわからんが……。
問題は、
「⑤だっ!!」
『ん? どうしたの、司くん』
首を傾げる『羊』。
口調がおかしい。
というか、きもい。
『きもいって……ひどいな、司くんはぁ、ハート』
……うわぁ。
こりゃひどい。
何がひどいって、口でハートとか言ってるし。
あぁ、もう……。
…………って、
「お前のきもい口調は、どうでもいいんだよっ!」
『えぇぇ、そんなこと言われてもぉぉ』
「いいから、あの⑤を説明しろっ!」
このきもい口調も相まって、俺の怒りとかその他諸々のボルテージは最高潮に達しており、気付けば、俺は『羊』に掴みかかっていた。
『……まぁ、字面の通りだよ』
『ここは、言い換えれば君の精神世界とも言えるだろう』
『そして、今の君は肉体を持たない精神だけの状態』
『そんな君が、この世界で死ねば、当然のことながら現実世界の君も――
死ぬ
ことになるんじゃないかな、ほしっ』
「………………」
『羊』がまたきもい口調で何か言ってるのが聞こえる。
さっきまで、あんなに鬱陶しかったはずなのに……。
今の俺には、奴のきもい口調なんて、そんな些細なことはどうでもよくなっていた。
だって……
「……死、ぬ……?」
あまりに予想外の話だった。
『普通』じゃない。
そんなことは分かっていたはずだ。
だけど、そこまでなんてっ!?
『はっはっ、動揺してるねぇ』
「っ!?」
『羊』は口の端を歪めていた。
どこかおかしそうに。
「…………動揺なんて……」
『いやいや、見栄を張る必要はないさ。誰だって自らの死は怖いからねぇ』
「…………」
……そうだった。
こいつ相手には、誤魔化しても無駄、なんだったな。
『安心するといい。死なないための③と④、そして……』
『ボク』
『……なんだから、ね』
『羊』はそう言って――
………………ま……。
「えっ?」
…………あま…さ……。
…………おき……あ、草……。
『おや? もう時間のようだね』
『また会おう、君』
『それじゃあ……』
『おはよう』
「起きろ、天草!」
『さて』
『彼も元の世界に帰ったようだし、ルールの話もできたからね』
『…………』
『……って』
『あぁ、そういえば、彼の『夢』を叶える方法を説明し忘れたなぁ……』
『まぁ、また会うし……いいかぁ』
『それにしても……』
『変わっていないねぇ、彼は……』