3:遭
鷹宮と烏羽は、陽香の体調を考えたようで、一時間ほどで帰っていった。
俺はその後、
「そう言えば、お兄ちゃんはさっきまで何してたの?」
という、陽香の一言で、自分の身体が汗ばんでいることを思い出し、当初の予定通り、シャワーを浴びた。
そして、ちょうど正午を回った頃に、母親が帰ってきたため、俺は妹の様子を看るのを任せて、家を出た。
特に、行く当てはない。
ただの散歩だ。
行き当たりばったりの散歩。
無意識の散歩とも言えるかもしれない。
…………。
いや、それだと夢遊病か何かのような表現だな。
まぁ、そんな全く建設的でもないことを考えて……。
と、まぁ。ここまでが過去の話である。
今現在の俺は、というと、
「なんで学校に来てしまったのだろう」
自分の通う高校に来ていた。
さっきも言ったように、これは散歩である。
別に、学校に思い入れがあるから来たわけでも、部活動をやっているから来たわけでもない。
つまり、理由はない。
まぁ、強いてここに来た理由を挙げるならば、たぶん習慣だろう。
惰性とも言う。
行き当たりばったりで、学校に着くというのも、些か微妙な心境ではあるが……。
「おーい、司ぁ」
不意に声がした。
俺は、ここまでハイテンションで人を呼ぶ人間を一人しか知らない。
というより、俺のことを名前で呼ぶ人間なんて、この学校で一人しかいない。
「……よぅ」
「おう、司! 二日ぶりだな!」
案の定というか、なんというか、そこにいたのは、下地あかりその人であった。
「どしたの、こんな休日に」
小首を傾げ、そう訊ねてくるあかり。
「散歩」
「おぉ、なるほど!」
単語一つだけで答えると、あかりは納得がいったかのように、声をあげた。
……とは言っても、だ。
俺が休日に外に出ることなんて、散歩以外にはあり得ないのだから、予想はついていたのだろうが……。
もしかしたら、さっきのやり取りは、会話を繋げるためのきっかけを作ったつもりだったのか?
……いや、ないな。
先程までの考えを否定する。
あかりは、そこまで思慮深くないだろうし、第一、俺に対して、今さらそんな気遣いをする必要もないだろう。
「どした? 考え事?」
「……いや、なんでもない」
難しいことを考えるのは、止めよう。
言葉の通りなんでもないのだ。
だから、
「じゃあな」
踵を返し、再び自由気ままな散歩に戻ることにした。
「……あっ」
「…………つかさ……」
さて。
自由気ままな散歩と洒落こんだのはいい。
いいんだが……。
「ここはどこだ?」
俺は見知らぬ場所に辿り着いていた。
さっきのように、習慣やなにかで向かってしまう場所ならば、まだよかった。
だが、360°見渡してみても、そこは相も変わらず見知らぬ場所であった。
当然か。
とりあえず、ここまでの道のりを思いだそう。
いくら自由気ままだと言っても、意識はあったはずである。
当然のことながら、学校に着く前に言った、夢遊病云々は、冗談であるのだから。
…………。
「……あれ?」
首を思いっきり傾げる。
その理由は明解だ。
ここまでの道のりを思い出せなかったから。
である。
「いやいや、待て待て」
自分にそう言い聞かせる。
そうだっ。
待てっ。
そんなこと……思い出せないなんてことはないはずだ。
とにかく、冷静に。
冷静になれっ、天草司っ。
とりあえず、状況を確認しよう。
周りを見渡してみる。
周りは、何もない。
そう、何もないのだ。
ただあるのは白い空気。
今までテンパっていて気がつかなかったが、この白い空気は霧のようだ。
少し肌寒さも感じる。
…………はっ?
いや、待てよ。
……霧?
……肌寒さ?
さっきまで、まさに夏と言わんばかりの晴天だったのに?
おかしい。
明らかにおかしい。
さっき、ここを見知らぬ場所と定義した時は、こんな霧も出ていなかった。
それ以上に、何もないことはなかった気がする。
「何なんだ? ここは、一体……?」
『教えようかぃ?』
「!?」
不意に声がした。
さっき学校で、あかりに声をかけられたのと、同じようなシチュエーション。
だが、その声に聞き覚えはない。
「だ、誰だ……?」
辺りを見渡すが、声の主はおろか、人っ子一人いない。
……空耳、か?
『いやいや、ここだよ、ここ』
声は、上から――、って、
「わぁぁぁあぁあぁ!?」
思わず、思いがけず、悲鳴をあげてしまっていた。
痩せ細ったただの骨のようなの手足。
それを隠すようにしながらも隠しきれていない白いマント。
そして、まるで、獣の面の皮を剥いで、そのまま張り付けたような仮面。
そんな化物が、空に、逆さまに立っていたのだ。
『悲鳴をあげることはないだろう? ボクだって傷つくぜ?』
生々しい白い仮面が歪に歪む。
これは傷ついているのではなく、ただ笑っているのだと何故か理解する。
何故か分かった。
『ははは、中々にいいリアクションをするねぇ』
「……」
『君、名前は?』
「……」
『いやいや、聞くまでもなかったか、天草司くん?』
「……」
『おやおや? 悲鳴の次はだんまりかい? 情緒不安定だねぇ……』
目の前で。
いや。
頭の上で、『それ』は言葉を放ち続けている。
「…………すぅ」
未だに混乱し続ける自分の脳に、酸素を取り込み、なんとか言葉を発する。
「……こ」
『んん?』
「ここは、どこで……あんたは……何だ……?」
どうにか発したその質問に、『それ』は再び口元を歪めた。
『何、ね……誰、と聞かない辺りは、中々に冷静なようだねぇ』
冷静?
そんなわけ、ないだろう。
もう一杯一杯だ。
今にも頭がパンクしそうだよ。
だが、『それ』の言葉を聞き逃さないために、俺は脳を、耳をフル稼働させる。
『……君の質問に答えよう』
『ここは、君達の世界で言う『夢』の中で……』
『ボクは、ここに、』
『『夢』に巣食う、ただの『羊』さ』
『敬意を評して、『羊様』と呼んでくれたまえ』
『……天草、司くん』
――この日、俺は出遭ってしまった。
一人の『羊』と。
『夢』の中に巣食うという一人の『羊』と。
俺の……俺達の日常と運命を変える一人の『羊』と。