走り書き
——北街区商会帳場より 紙片
筆者不明、端書き
南から入る布がまた遅れた。
釘も足りない。油も高い。
工房の親父は怒鳴るし、倉の番頭は「もう貸せん」の一点張りだし、こっちだって毎日うまくやれるわけじゃない。
「無理です、これ以上は回りません!」
「回せ! 止めたら終わりなんだ!!」
「終わる前に金が切れるんですよっ!」
「じゃあ、あの令嬢に見せてみろ!」
「……またですか!?」
「まただ! 文句があるなら、お前がこの帳面を立て直してみやがれ!!」
伯爵令嬢エレノア・ヴァレニウス。
宮廷で男を振り回しただの、気位が高いだの、そういう話はこっちにも流れてくる。
だが帳場で名前が出るときは、別の話になる。
背は思ったより高くない。けれど帳場に立つと、妙に場所を取る人だった。別に大声を出すわけじゃない。机を叩くわけでもない。ただ帳面を開いて、数字を読んで、こちらの言い訳が通らないことを静かに証明する。きれいな手袋のまま倉に入ってきて、埃だらけの棚を見ても眉ひとつ動かさない。そのくせ、帳面の数字がひとつでも合わなければ、あの黒い目がこちらをまっすぐ見る。
あの目で見られると、嘘はつけない。
「あの方、また倉の帳面を御覧になったそうですよ」
「見るだけで済むなら楽なモンだ」
「……? じゃあ何を?」
「金の流れをひっくり返すんだよ。しかも無駄なくな。こっちが三日かけて積んだ算段を、あの人は半刻で組み直しやがる。悔しいけど、そっちのほうがよく回りやがるから質が悪ぃ」
「……あの、令嬢が、ですか?」
「だから何だってんだ。こっちは儲かりゃそれでいいんだよ」
——融資控え 余白記載
北倉への当座貸付、額を改める。
工房分は週割り。
返済猶予三週。
伯爵令嬢確認済み。
——帳場走り書き 別紙
「倉を閉めるか、融資を細く引くかです」
「――両方やれば北街区が先に死ぬわ」
「では、どうしろと?」
「北倉は開けたまま。工房への貸しは週ごとに切るの。糸が切れない程度に細くして、それでも止めないで。止めたら春に何も残らないでしょう?」
「そんなっ!? 綱渡りがすぎませんか?」
「いいから続けるのよ――春までは。春まで持たせられれば、その後のことはなんとかしておくから」
——帳場端書き 追記
北倉も工房も、いまはあの令嬢の勘定ひとつでギリギリのところを持たせている。




