兄と弟
「兄上」
「なんだ、セドリック」
「夜会の席次、また変えられたそうですね」
「誰から聞いた」
「誰からも聞いていません。見ればわかります」
——第二王子宮侍従エミール・ハザック私信
姉宛、秋季夜会の翌日付
姉上、少し気になることがあったので書きます。
昨夜の夜会のあと、殿下方がお二人きりで話しておられる場に、たまたま出くわしてしまいました。
廊下の角を曲がったところでお声が聞こえて、立ち止まるしかなかったのです。
並んで立つと、殿下方の違いがよく出ます。
王太子アレクシス殿下は背が高く、金のお髪が燭台の明かりに映えて、遠くからでも一目でわかる。広間ではいつも周りに人垣ができるお方です。
うちのセドリック殿下は、兄君より少しだけ肩が狭くて、栗色の髪が柔らかい。陽と影というと語弊がありますが、お二人が並ぶと、そういう対のように見える瞬間があります。
あの夜、お二人の間にあった空気は、いつもとは少し違いました。
——再構成会話
王宮西廊下にて
「……目ざとい弟だ」
「エレノア嬢を近くに置きたかったのですか?」
「置きたかった、とは随分な言い方だ」
「では、何とお呼びすれば」
「席を直しただけだ」
「三度も?」
「……おまえ、本当に口が減らないな」
一拍、間が空いたという。
「兄上はエレノア嬢を、どうなさるおつもりですか」
「おまえに関係のあることか、セドリック」
「関係があるかどうかを聞いているのではありません。聞いているのは、兄上のお気持ちです」
「気持ちの話をするつもりはない」
「では、お気持ちはある、と」
「……」
「黙るということは——」
「セドリック」
王太子殿下の声が低くなった、とだけ記録にはあります。
怒りではなかったようです。けれど、冗談で済ませる声でもなかった。
「あの女は厄介だぞ。笑わないし、靡かないし、こちらが手を伸ばしても自分から近づかない。それでも目を離せないのだ。離せないから席を直す。三度直しても、まだ遠い気がする。……俺はたぶん、こういう駆け引きが下手なんだろうな」
それから、少し間を置いて。
「おまえも、あの女を気にしているのだろう?」
「……ええ。気にかけております」
「気にかけている、か。便利な物言いだ」
「便利な言い方でしか申し上げられないから、そう言っています」
「正直者め」
「兄上のほうこそ」
「俺は何も言っていないだろう?」
「言わないことが、いちばん雄弁になることもあるのですよ。兄上」
——エミール・ハザック私信 続き
立ち聞きのつもりはなかったのですが、足が動かなかったのです。
あの兄弟がエレノア嬢のことで言葉を交わすのを、私は初めて聞きました。
驚いたのは、お互いに知っていたということです。
兄上が伯爵令嬢を見ていること。弟君が伯爵令嬢を気にかけていること。どちらも、もうとっくに気づいていた。
なのに、それまで一度も口にしなかった。
兄弟の間に、あの令嬢の名だけが妙に重く置かれていた——と言えば伝わるでしょうか。
お二人とも、その名前の重さを知っているからこそ、触れずにいたのだと思います。
昨夜は、それが初めて指先だけ触れた夜でした。
姉上に一つだけ聞いてほしいのですが、あの時いちばん怖かったのは、お二人が声を荒らげなかったことです。怒鳴り合うならまだわかりやすい。けれどお二人とも、穏やかな声のまま、踏み込んではいけない場所をぎりぎりまで踏んでいました。
あの令嬢がこのことをご存じかは、わかりません。
たぶん、知らないのではないかと思います。
けれど知らないままで済むかどうかも、正直なところわからないのです。




