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誰が悪女を愛したか  作者: 十返香
恋と実務の二重奏

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10/15

殿下方のお茶会

「セドリック殿下、このタルト——」

「お口に合いましたか?」

「合うも何も……これは以前、東棟の茶会で一度だけ出たものではありませんか」

「ええ。あの時、美味しいとおっしゃったでしょう? 一度だけ、小さな声で」

「……覚えていらしたのですか」

「もちろん。あなたが食べ物を褒めるのは珍しいことでしたから、忘れられなかったのです」



——女官アデル・モーリエの日記

春告月、王宮東棟小茶室にて


 今日の茶会は小規模なもので、出席は五名ほど。

 第二王子セドリック殿下と、伯爵令嬢エレノア・ヴァレニウスがお隣同士でした。席順の都合と言えばそれまでですが、殿下がいらっしゃった時にちらりとお席を確かめるような目をされたのを、私は見てしまいました。


 茶会そのものは穏やかに進みました。

 天候の話、南街区の新しい仕立屋の話、春の園遊会の衣装の話。どれも当たり障りのない、いつもの茶会です。

 エレノア様はあまり話に加わらず、茶碗を両手で包むようにして、時折うなずくだけでした。あの方はいつもそうです。社交の場では、ご自分から話題を広げることがほとんどない。冷たいのではなく、興味がないのだろうと私は思っています。


 変わったのは、茶菓子が出た時でした。



——茶会記録 菓子控え


 本日の茶菓子。

 蜜漬け林檎の焼菓子 三種。

 干し葡萄のビスキュイ。

 胡桃と蜂蜜のタルト。


 なお、胡桃と蜂蜜のタルトは季節外れの特注。

 第二王子宮より事前に菓子師への注文あり。



——女官アデル・モーリエの日記 続き


 先ほどのやりとりは、タルトが出た時のことです。

 エレノア様がタルトを一切れ召し上がって、少しだけ手を止められた。それから、不思議そうなお顔で殿下のほうを見られました。


 エレノア様は、ほんの少し目を丸くなさいました。

 あのエレノア様が、です。

 驚いているというよりは、自分がそんなことを言ったこと自体を忘れていた、というお顔でした。


「わざわざ、菓子師に注文を?」

「大げさなことではありませんよ。ただ、あの時のあなたの表情が少しだけやわらかかったものですから、もう一度見られたらいいな、と思ってしまいまして」


 殿下はそう言って、穏やかに微笑まれました。

 あの笑い方は、殿下の一番やさしい顔です。

 エレノア様は少しの間黙って、それからタルトをもう一切れ取られました。

 何もおっしゃいませんでしたが、二切れ目を取ったということが、たぶんあの方なりの返事だったのだと思います。


 殿下はそれを見て、ずいぶん嬉しそうでいらっしゃいました。

 大きく笑うわけではないのです。ただ、目の奥がやわらかくなる。

 あの方の幸せは、いつもそういう形をしています。



——女官アデル・モーリエの日記 末尾


 茶会が終わった後のことも、書いておきます。


 エレノア様は席をお立ちになると、殿下に短く会釈をなさって、まっすぐ帳場のほうへ向かわれました。

 茶会の余韻を楽しむとか、少し立ち話をするとか、そういうことはなさらない。


 殿下は、そのお背中をしばらく見送っていらっしゃいました。

 追いかけはしませんでした。引き止めもしませんでした。

 ただ、少しだけ寂しそうなお顔をされたあと、いつもの穏やかな表情に戻られて、私のほうを振り返りました。


「アデル、あのタルト、もう少し残っていたら包んでおいてくれないか」

「殿下がお召し上がりに?」

「いや。あの方の机の上に、置いておいてもらえたら」

「……お届け先は」

「帳場だよ。あの方は今夜も遅いだろうから」


 殿下のやさしさは、いつも贈り物の形をしています。

 受け取るかどうかは相手に任せて、届けるところまでしかなさらない。

 それが報われるかどうかを、殿下はたぶん考えていません。考えないようにしているのかもしれません。


 タルトは包みました。

 帳場に届けたら、エレノア様は帳面から目を上げずに「ありがとう」とだけおっしゃったそうです。

 あの方がどう思われたのかまでは、わかりません。

 けれど、翌朝、包みは空でした。

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