第9話:逆転の買収(M&A)
城門の前に積み上がった剣と盾は、もはや武器ではなく「鉄クズ」としての価値しかなかった。
アルスは城壁から降り、泥にまみれてパンを貪る騎士たちの間を、手帳を片手に歩き始めた。
「……さて、食事の時間は終わりだ。ここからは『契約』の話をしよう」
アルスの声に、騎士たちが顔を上げる。その瞳には、敗北の屈辱よりも、アルスという男が次に何を語るのかという奇妙な期待が混じっていた。アルスは最前列にいた、体格のいい一人の重騎士の前で足を止めた。
「第三重騎士団所属、ベック。あんたは実家の農場が抱えた負債を肩代わりしてもらう条件で騎士団に入ったな。だが、王都の不況で支払いが滞り、今や実家は借金取りに囲まれている。……合っているか?」
「なっ……なぜ、それを……!」
「【判定:信用調査済み】。王都の騎士団の帳簿がいかに杜撰でも、金(負債)の流れは嘘をつかない。……ベック、俺があんたの負債をすべて買い取る。利息もゼロだ。その代わり、今日からあんたは騎士を辞め、この要塞の『資材運搬長』になれ。あんたのその筋密度と、部下をまとめる統率力。戦場(赤字)で腐らせるには惜しい『資産』だ」
ベックは震える手で地面の剣を遠ざけた。
「……実家を、救ってくれるのか。……あんたに、命を預ける。いや、俺の労働力を一生分買い叩いてくれ!」
アルスは無表情に頷き、次の男へ歩を進める。
「後方支援魔導部隊、リン。あんたの術式構築は極めて正確だが、聖女セリアの『気分』に合わないというだけで、常に最前線の盾役に回されていた。……あんたの魔力量、今の三倍に増やせるぞ」
「……そんなことが、可能なんですか?」
痩せ細った魔導師の女性が、半信半疑で問い返す。
「この要塞の魔力密度は王都の五倍だ。あんたの効率的な回路なら、寝ているだけで魔力が溜まる。俺の下で、要塞の『防衛術式』のメンテナンスを担当しろ。セリアの顔色を伺う必要はない。数値(結果)だけが、あんたの評価だ」
「……お願いします。私は、正当に評価されたかっただけなんです」
リンが深く頭を下げる。
次々と名前を呼ばれ、人生の「損益計算」を突きつけられる騎士たち。彼らにとって、アルスの言葉は救済であり、呪縛でもあった。
その時、配給列の最後尾で一人の女性を検分していたガリウスが、顔をしかめてアルスを呼んだ。
「おい、小僧。ちょっとこいつを見てくれ。さっきからパンも食わねえで、俺が据えた排気ダクトの継ぎ目ばかり指でなぞってやがる。不気味な女だ。工作員か何かか?」
アルスはその女性の前に立ち、手帳をかざす。
ボロボロの魔導衣を纏い、要塞の「廃熱」のゆらぎをじっと見つめている女性。
「……ガリウス、彼女が触っていたのは、あんたが『少し魔力が漏れるが、構造上仕方ない』と諦めた接合部だろう?」
「ああ、そうだ。それがどうした」
「彼女はそこを撫でていたんじゃない。頭の中で、その漏出をゼロにするための『術式の書き換え』を終わらせたんだ」
女性――ミラ・アストレイは、ようやく視線をアルスへと移した。その瞳には、知的好奇心の塊のような光が宿っている。
「……さすがね。私の脳内演算(見積もり)に追いつく人が、この荒野にいるなんて」
「ミラ・アストレイ。元王立図書館の副館長。……そして、王都の魔導インフラを数式一本で支えていた裏の功労者。国防卿の横領を断って、この『片道切符の遠征』に放り出された、王都で最も高価な『知性』だ。違うか?」
「……過去の話よ。でも、この要塞を見て驚いたわ。王都の数十年先を行く合理性の塊。……この回路を、もっと美しく(効率的に)したくて堪らない」
ミラは、汚れを気にする様子もなく、アルスの前に膝をついた。
「アルス・ロベント。私を、あなたの『計算機』として雇いなさい。私が加われば、この要塞の出力はあと三割は跳ね上がる」
ガリウスが驚いたようにミラを見る。
「三割だと? 俺が死ぬ気で調整したこの傑作をか?」
「ええ。あなたの『腕』は超一流だけど、魔力の『流れ』には少しだけ計算ミスがあるの。……そこを私が埋めてあげる」
アルスは、手帳に新たな主要資産の名前を書き込んだ。技術のガリウス、知性のミラ。そして、忠誠を誓った百人の精鋭。これで、要塞という「ハード」を完璧に制御する「ソフト」と「手足」が揃った。
「採用だ、ミラ。……ただし、俺の出す見積もりに、一秒の遅れも出すなよ」
「……最高の契約ね。主様」
ミラは薄く微笑み、アルスの傍らに立った。
アルスは最後に残された、完全に孤立したレオンとセリアを振り返る。
「レオン。あんたには、最後の『仕事』を与えてやる」
アルスは、一枚の「請求書」をレオンの足元に投げ捨てた。
そこには、今回の遠征を阻止するために要塞が消費したコストと、寝返った騎士たちの「移籍金」が、王国の国家予算を揺るがす額で記されていた。
「……これを王都へ持ち帰れ。そして伝えろ。今後、この要塞に触れる者は、国を丸ごと買い叩かれる覚悟をしろ、とな」
夕闇の中、かつての勇者と聖女は、何もかもを奪われ、文字通り「空っぽ」になって荒野へと消えていった。




