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『鑑定が遅い』と追放された見積士、寿命と原価が見えるので要塞を最強にする  作者: 霧原なぎ
広域経済圏確立編

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第45話:教育という名の投資 ―― グラナード・アカデミーの設立

旧王都ブランシェットの北区。かつて厳かな聖歌が響いていた大聖堂跡地には今、冷たい石造りの校舎が聳え立っていた。

グラナード・アカデミー。

その鉄の門扉の前には、奇妙な対照をなす列ができていた。豪奢な装飾馬車から降り立つ諸国の王子たちと、煤けた麻袋を背負い、裸足に近い格好で並ぶ市井の志願者たち。

アルスは管理局のバルコニーから、その境界線を黙って見下ろしていた。


「……溜息が聞こえてきそうだな、エレーナ」


背後を振り返らずにアルスが言うと、書類の束を抱えたエレーナが、重苦しい足取りで隣に立った。彼女は一枚の紙をアルスの視界に突き出す。


「溜息どころか、胃に穴が空きそうです。アルス様、この試算表を見てください」


エレーナの指が、真っ赤に染まった収支欄をなぞる。


「ガリウス様が『授業用』と称して運び込んだ最新の魔導旋盤、ミラ様が徹夜で書き上げた演算回路の原典。これら一式の資産価値だけで、中規模の商会が数軒買えます。……それだけではありません」


彼女は次のページをめくり、呆れたように首を振った。


「成績優秀者への奨学金、困窮世帯への生活支援。さらには、わざわざ辺境からやってきた志願者の旅費まで肩代わりする……。経理担当として申し上げますが、これは狂気の沙汰です」


エレーナはそこで言葉を切り、アルスの横顔を盗み見た。


「……冷徹な見積士を自称しておきながら、妙なところで甘いんですから」


アルスは否定も肯定もせず、眼下の広場を指差した。


「甘い、か。……あそこを見ろ」


演習室の窓越しに、一人の奨学生の少年が見えた。

彼は油にまみれながら、ガリウス製の小型魔導炉を夢中で分解している。


「……すごい、これ」


少年の震える声が、風に乗って微かに届いた。


「薪も火種もいらない。ミラ先生に教わった数式をなぞるだけで、お湯が沸く……。僕の村の古い釜とは、全然違うんだ」


少年の瞳には、新しい文明への心酔が宿っていた。

その傍らで、ガリウスが少年の頭を小突きながら「構造を理解しろ、構造を!」と怒鳴り、ミラは無表情に黒板を数式で埋め尽くしていく。


「エレーナ。彼らは今、何を学んでいると思う?」

「……最新の技術体系、でしょう?」

「いいや。彼らは今、この瞬間、『グラナード以外のやり方は不便で耐えられない』という呪いにかけられている」


アルスは手すりを指先で叩いた。


「ここで数年、この利便性に浸った彼らが母国へ帰る。そこで、煙の出る石炭炉や、詠唱に数分かかる旧式の魔法を使いこなせと言われて、納得すると思うか?」


エレーナの手が止まった。


「……彼らは、自分たちの意志で『グラナードの製品』を求めるようになる」

「そうだ。一度この『正解』を知った脳は、過去へは戻れない。彼らが故郷でグラナードの規格を広めるたび、その国の産業は、俺たちが供給する部品なしでは拍動できない体質に変わる。……教育とは、最も効率的で、最も解除不能な『依存』の植え付けだ」


エレーナは少年の輝く瞳を見つめ直し、わずかに身震いした。


「……甘いどころか、世界中に逃げられない鎖を配っているのですね。それも、感謝されながら」

「人聞きが悪いな。俺は先行投資と言っている」


バルコニーの影から、軍靴の重い音が響いた。ヴォルガ帝国の千人長バド・ザイツェフが、自嘲気味な笑みを浮かべて現れる。


「……全くだ。我が国の王子が昨日、嘆きの手紙を寄せてきたぞ。『父上の騎士団の装備は計算の誤差が大きすぎて恐ろしい。これからはグラナードの規格で統一すべきだ』とな。入学してまだ一週間だぞ。騎士の誇りよりも先に、貴様の算盤に膝を屈したわけだ」


バドの視線は、教育という名の侵略を冷徹に進めるアルスを射抜いていた。


「……バド。お前の国の王子は優秀だ。成績次第では、卒業後に俺の運営本部へスカウトしてやってもいいぞ」


「……本気か? 貴様は国だけでなく、我が帝国の『未来』そのものまで奪い取ろうというのか」


バドの低い声には、明確な敵意と、それを上回るほどの戦慄が混じっていた。自国の次代を担う中枢が、グラナードの歯車として取り込まれる。それは軍事的な敗北よりも、はるかに絶望的な「国の消失」を意味していた。

アルスはバドの視線を受け流し、冷淡な口調で答える。


「奪う? 違うな。俺は彼を、より価値の高い場所に『再配置』すると言っているだけだ」


「何だと……?」


「彼ほど優秀な個体が、旧式の帝国の慣習に埋もれるのは損失だ。彼をここで使い、さらに磨き上げる。……人に教える場を設けているのも同じ理由だ。ガリウスやミラが、学生に説くために己の技を言語化すれば、我々の技術はさらに洗練される。教える側も、教わる側も、俺にとっては等しく『研鑽中の資産』に過ぎない」


アルスは一度言葉を切り、バドの目を真っ向から見据えた。


「無駄な人間など、この帳簿には一人も載せない。……それが帝国にとっての損失か、世界にとっての利益か。お前ならどちらの収支が合うか分かるはずだ」


バドは拳を握りしめたまま、言葉を失った。

目の前の男は、個人の意志や国の主権など最初から数えていない。ただ「世界という巨大な帳簿」の数字を最適化することだけを考え、そのための最良の配置を冷徹に選んでいる。


「……貴様に見積もられれば、人も国も、ただの材料か」


「価値があるうちは、な」


アルスは手帳を開き、新しいページにペンを走らせた。


『グラナード・アカデミー:規格の輸出、および最高人材の確保。進捗率、良好』


冷たい秋風が、校舎の回廊を吹き抜けていく。

エレーナは、眼下で未来の官僚や技師たちが「グラナードの正義」を懸命にノートに写し取る姿を見て、この世界の未来が確実にアルスの手帳に書き換えられていく音を聞いた。


「……さて。入学式は終わりだ。エレーナ、次の仕事に移るぞ」


「はいはい。……次は何を『適正価格』で買い叩くおつもりですか?」


アルスの足取りは、これから訪れる冬よりも遥かに冷徹で、一点の曇りもなかった。

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