第44話:情報の独占 ―― 帳簿が語る宣戦布告
グラナポートの機能が「メンテナンス」を経て復旧してから数日。街は以前にも増して活気に溢れていた。一度失いかけた繁栄を取り戻した商人たちは、その価値を再認識し、より一層「白磁貨」での取引に没頭している。
だが、その狂乱を冷徹な眼差しで見下ろす場所があった。旧王宮の最上階、グラナポート中央管理局の「演算室」である。
「……アルス様。ヴォルガ帝国領、北西部の商店街にて、不自然な数値が検出されました」
ミラの透き通った声が、青白い魔導光が明滅する室内に響く。彼女の杖から投影されているのは、膨大な数の白磁貨が、いつ、どこで、誰の手によって動いたかを示す「経済の血流図」だ。
「報告しろ」
アルスは椅子に深く腰掛けたまま、虚空に浮かぶグラフを見つめる。
「過去七十二時間以内に、ヴォルガの主要ギルドが『乾燥保存食』および『魔導触媒の触媒用鉱石』を、市場価格の三〇パーセント増しで買い占めています。……さらに奇妙なのは、これらを買っているのは商隊ではなく、帝国の軍部が管理する複数のダミー会社であることです」
傍らで帳簿を精査していたエレーナが、冷淡に補足した。
「通常、この規模の買い占めが市場に影響を及ぼすには、数週間かかります。ですが、私たちの『グラナ・システム』は全ての取引をリアルタイムで記録している。……バドたちが本国に『鉄道敷設のサインをした』という情報が届くより早く、彼らの軍部が動き出した証拠です」
そこへ、騒々しい足音と共にバド・ザイツェフが部屋に踏み込んできた。彼は昨日、鉄道延伸の合意文書にサインしたばかりで、幾分か晴れやかな顔をしていた。
「アルス・ロベント! 朗報だ。我が帝国の皇帝陛下より、グラナポートへの全面的な協力を約束する親書が届いたぞ。これで鉄道の敷設も……」
「バド。お前の国は、今から三十六時間後に隣国サンクランドの東部平原へ侵攻するつもりだな?」
アルスの静かな言葉に、バドの笑顔が凍りついた。
「……な、何を言っている? 侵攻だと? 陛下は今、和平と交易を……」
「お前の主が何を言っているかは興味がない。数字がそう言っているんだ」
アルスは立ち上がり、空中の一点を指差した。
「この三日間で、ヴォルガ国内の『馬の蹄鉄』の流通が止まり、逆に『止血剤』の需要が跳ね上がった。……そして今朝、お前たちの商店街で、大量の白磁貨が『サンクランド産の地図』に換えられた。……バド、お前たちは剣を抜く前に、すでに俺の帳簿の上で宣戦布告を済ませているんだよ」
バドは戦慄した。
軍事機密中の機密であるはずの行軍計画が、戦場の斥候からではなく、自分たちの民がパンや薬を買うという日常の「取引データ」から、数千キロ離れたこの場所で丸裸にされている。
「……馬鹿な。そんなことが……」
「これが『情報の独占』だ。バド、お前たちはグラナを使い、鉄道に乗ることで、自分たちの『意志』を全て俺にさらけ出している。……王が命令を下すより早く、俺は『未来の見積もり』を完了させているんだ」
アルスはエレーナに視線を送る。
「エレーナ、ヴォルガ帝国に関連する全ての白磁貨の『購買力』を、サンクランド領内に限って五〇パーセント切り下げろ。……それと、サンクランドの防衛司令部へ、ヴォルガ軍が狙っている補給路の座標を匿名で送っておけ。……もちろん、情報の『提供料』は彼らの口座から引き落としてな」
「了解いたしました、アルス様」
エレーナの指先が、魔導端末の上で無慈悲に踊る。
それは、数万の軍勢を正面から迎え撃つよりも遥かに致命的な、「経済による空爆」だった。
「待て! やめろ! そんなことをすれば、我が国の軍は……!」
「軍? ……ああ、明日には食料も調達できず、給料として渡した白磁貨がただの陶器片に変わったことを知って、略奪者に成り下がる連中のことか」
アルスはバドのすぐそばまで歩み寄り、その耳元で囁いた。
「バド。お前たちには二つの選択肢がある。……一つはこのまま侵攻を強行し、無価値な紙屑を抱えて飢え死にするか。……もう一つは、今すぐ軍を退かせ、俺に『迷惑料』としての賠償金をグラナで支払い、大人しく鉄道の枕木を運ぶか」
バドは、足の震えを止めることができなかった。
目の前にいるのは、勇者でも魔王でもない。だが、たった一冊の帳簿で、一国の興亡を指先一つで操る「世界の管理者」だった。
「……アルス・ロベント。貴様は、神にでもなったつもりか」
「神? 笑わせるな」
アルスは窓の外、白磁の硬貨が太陽に反射してキラキラと輝く街を見下ろした。
「俺はただの『見積士』だ。……世界が適正な価格で、効率的に動いているか。……それを管理しているだけに過ぎない」
この日、大陸で最も強力な軍隊を持つヴォルガ帝国は、一滴の血も流すことなく、ただ「数字」によってその牙を折られた。
情報の独占。
それは、いかなる城壁よりも高く、いかなる魔導兵器よりも冷徹な、アルスの新たな「武器」であった。
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