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『鑑定が遅い』と追放された見積士、寿命と原価が見えるので要塞を最強にする  作者: 霧原なぎ
広域経済圏確立編

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第43話:依存の副作用 ―― 保守点検(メンテナンス)

王都ブランシェットが「グラナポート」として産声を上げてから、三ヶ月が経過した。

瓦礫はカイルの魔法と債務騎士団デッド・ナイツの労働によって整地され、主要な通りにはガリウスが鋳造した魔導灯が規則正しく並んでいる。

かつて「遭難者」だったバドたち使節団は、今やグラナポート内に設けられた豪華な大使館を拠点とし、本国から次々と到着する商船や貨物車の対応に追われる日々を送っていた。


「……信じられん。三ヶ月前、我々はここで泥を啜る覚悟をしていたというのに」


ヴォルガ帝国の千人長バドは、大使館のバルコニーから眼下の喧騒を眺め、独りごちた。

広場には、グラナード要塞から伸びる「銀の道」を通って運ばれた物資が、白磁の硬貨「グラナ」で次々と取引されている。

ヴォルガの荒くれ者だった部下たちも、今や支給された清潔な隊服に身を包み、非番の日にはグラナポートの市場で「冷えた果実酒」や「湯気の立つ肉料理」を、当然の権利のように楽しんでいる。

この三ヶ月という月日が、彼らから「戦士の飢え」を奪い、代わりに「文明の安らぎ」を植え付けていた。

だが、その絶頂は唐突に、そしてあまりにも静かに断絶した。


――カチリ。


何かが噛み合わなくなったような、小さな乾いた音が街のどこかで響いた。

次の瞬間、グラナポートの全域を照らしていた魔導灯が一斉に立ち消えた。

「停電か?」と人々が騒ぎ始めた矢先、さらなる異変が彼らを襲う。

ゴーッという音を立てていた「蛇口」が沈黙し、溢れていた温水が止まった。

店先の魔導冷蔵庫は冷気を失い、内部に積み上げられた高価な生鮮食品が、急速に周囲の熱に侵食され始める。

そして何より、商談の現場に絶望をもたらしたのは、アルスが配置した「公認両替所」のシャッターが一斉に下ろされたことだった。


「おい、どういうことだ! この白磁貨グラナで支払うと言っているのに、店主が受け取りを拒否しているぞ!」


「『現在、この貨幣の価値は保証されていない』だと!? ふざけるな、この三ヶ月、こいつは金よりも確実だったじゃないか!」


怒号と悲鳴が渦巻く中、バドは管理局へと駆け込んだ。

そこでは、アルス・ロベントが窓の外のパニックを眺めながら、湯気の立つ紅茶を口に運んでいた。傍らでは、エレーナが落ち着いた動作で「流通停止命令」の書状を整理している。


「アルス・ロベント! 説明しろ!」


バドは剣の柄を握りしめ、荒い息を吐きながら叫んだ。


「街中の機能が死んでいるだけではない! 貴様が発行したあの白磁貨が、ただの『陶器の破片』扱いされているぞ! この三ヶ月で築いた信用を、自らドブに捨てる気か!」


アルスは、ゆっくりと紅茶を置き、バドを振り返った。

その瞳には、混乱への焦りも、申し訳なさも一切ない。


「……何を騒いでいる。ただの保守点検メンテナンスだ。システムの安全、および通貨の信用強度を維持するための、必要な工程だよ」


「メンテナンスだと!? 通貨の価値を勝手に止めて、何がメンテナンスだ! 今この瞬間も、我が国の商人は取引が止まって莫大な損失が出ているんだぞ!」


「バド。この三ヶ月、お前たちはこの街で何不自由なく過ごしてきた。冬でも温かい湯に浸かり、腐っていない肉を食べ、光の下で眠る。……その生活を支えているのが、俺の見積もった『システム』だということを忘れたのか?」


アルスは手帳をめくり、淡々と告げる。


「三ヶ月という月日は、人間から危機感を奪うには十分な時間だ。……俺には、いつ、どのタイミングで、どの機能を引き剥がし、再定義するかの全権がある。信用とは、俺が認めている間だけ存在するサービスに過ぎないんだ」


「貴様……!」


バドが激昂し、剣を抜き放とうとした。

だが、その背後で部下の一人が、青ざめた顔でバドの腕を必死に抑え込んだ。


「お、おやめください、千人長! 今、彼を斬れば……この白磁貨は本当にただの『割れた皿』になります! 帝国の商人が抱えた数百万のグラナが、一瞬でゴミに変わるんですよ! 私たちのこれまでの三ヶ月が、すべて無に帰すんです!」


バドの動きが止まった。

部下の目は、恐怖に支配されていた。

三ヶ月かけて手にしてしまった、美しく、確実な「富」。それが「無価値」になることへの恐怖が、戦士としての誇りを、経済的な依存へと完全に書き換えていた。


「理解したか、バド。……俺を殺すのは勝手だが、そうなればグラナポートの『心臓』は永遠に沈黙する。……暴徒と化した商人と、生活を奪われた民衆が、誰を真っ先に恨むか……見積もってみるがいい」


アルスは一歩、バドに歩み寄った。


「……保守点検を早めに切り上げ、優先的にヴォルガ区画の機能を復旧させ、お前たちの持つ白磁貨の『価値保証』を再開してやってもいい。だが、それには条件がある」


アルスはエレーナに合図を送る。

彼女が差し出したのは、昨日バドが「軍事上の懸念がある」と本国への報告を渋っていた、ヴォルガ帝国領内への鉄道敷設許可証だった。


「……卑怯な。これでは、商談ではなく脅迫ではないか」


「いいえ。維持管理メンテナンスの優先順位を決めているだけだ。……自分たちの首を絞めるだけの『主権』という名のプライドと、明日からお前の国に流れ込む、かつての十倍の物流。……三ヶ月前の自分に戻りたいのであれば、このままサインせずに帰るがいい」


窓の外では、暗闇の中で人々が、白磁貨を握りしめながら「アルス様!」「価値を戻してくれ!」と管理局を見上げ、祈り、叫んでいる。

彼らが救いを求めているのは、自国の王でも神でもない。

ただ、自分たちの財布の中身を「価値あるもの」へと変える権限を持つ、一人の見積士だった。


バドは、震える手でペンを取った。

この三ヶ月で覚えた「温もり」を、彼はもう捨てることができなかった。


「……点検終了だ。エレーナ、市場に『流通再開』の信号フラッグを立てろ」


アルスが短く告げると、刹那、街に光が戻った。

蛇口からは再び水が溢れ、両替所のシャッターが開き、白磁貨が再び「富」としての輝きを取り戻す。

広場からは、嗚咽のような歓喜の声が沸き上がった。


バドは、光り輝く街を見下ろしながら、絶望に近い悟りを得た。

自分たちは、繁栄を手に入れたのではない。

「アルスという男が許可しなければ、昨日までの平穏すらゴミになる檻」の中に、三ヶ月かけてどっぷりと浸かってしまったのだということを。


「……次のメンテナンスは、半年後を予定している。……それまでに、お前の国の王に『白磁の重み』をよく教えておくんだな」


アルスの冷徹な声が、明るさを取り戻したロビーに、誰の抗議も許さず響き渡った。

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