第41話:鉄の血管 ―― 配管(パイプ)という迷宮
旧王都ブランシェットの地下は、今や巨大な「手術場」と化していた。
かつて貨物列車「グラナード・ワン」が強引に穿った粗削りなトンネルのさらに深層、湿った土と腐敗した岩盤の層において、ガリウスは猛り狂っていた。
「……クソっ、ここの地盤は腐り果ててやがる! カイル、地圧を抑えろ! 溶接したばかりの継ぎ目がひしゃげるぞ!」
ガリウスの怒号が、暗い地下通路の反響を伴って、作業員たちの鼓膜を震わせる。
彼の前には、鈍い銀光を放つ魔導合金製の「新合金パイプ」が、まるで巨大な大蛇のように横たわっている。かつての王国であれば、この資材一つで最高級の魔導杖が数本は作れただろう。だがアルスは、この貴重な資源を「熱を運ぶための管」として、数キロメートルに渡り敷設することを命じていた。
「わかってるよ! けどな、ガリウスの親父! この辺りは旧王都の排水路が複雑に入り組んでて、ミラの計算図面通りにはいかねえんだよ!」
泥にまみれ、額に汗を浮かべたカイルが、短杖を地面に突き立てる。
その周囲で、漆黒の気密装備に身を包んだ一団が、機械的な正確さで動いていた。債務騎士団。その最前線で、ひときわ巨大な鋼材を肩に担ぎ、泥水に膝まで浸かりながら壁面を固定している男がいた。
ヴォルガ帝国の千人長バド・ザイツェフは、その男の背中を見た瞬間、心臓が跳ね上がるのを感じた。
「……あ、ありえん。あの男は……ガルア聖王国のデトモルト将軍ではないか!?」
大陸最高峰の硬度を誇る白銀甲冑を纏い、五千の精鋭『白金騎士団』を率いていた勇将。かつてのバドにとっては、戦場で出会うことすら恐ろしい伝説の体現者だった。
その男が今、誇り高き白銀の鎧を剥ぎ取られ、泥にまみれた漆黒の作業着を纏い、無言で肉体労働に従事している。かつて魔導槍を振るったその手は、今や巨大な溶接機を握らされ、アルスの「見積もり」を完遂するための部品と化していた。
「デトモルト! 返事をしろ、将軍!」
バドの叫びは、防塵マスク越しに漏れる重苦しい機械的な呼吸音にかき消された。デトモルトは、かつての知己であるバドに視線すら向けない。彼らに許されているのは、アルスへ返済すべき「負債」を労働で削ることだけなのだ。
アルスは、地上と地下を繋ぐ巨大な縦坑の縁に立ち、手帳に記された「工事進捗率」を冷徹な眼差しで眺めていた。
「……ガリウス。予定より三時間遅れている。このままでは、今夜の『供給試験』に間に合わないな」
『……うるせえ小僧! 魔法使いの理論を、物理にするのがどれだけ大変か、わかって言ってんのか! こいつはただの管じゃねえ。心臓の余熱を一点の漏れもなく地上へ運ぶための、俺の魂の『血管』だ!』
通信機から響くガリウスの罵声に、アルスは眉ひとつ動かさない。
「わかっている。だからこそ、その『苦労』をバドたちに見せるんだ。これが一夜の魔法による奇跡ではなく、永続的に管理された『労働』の産物であると、彼らの脳髄に叩き込むために」
アルスは傍らで、伝説の将軍の零落した姿に戦慄しているバドを振り返った。
「……バド。お前たちは、魔法を神や天からの授かりもの、あるいは選ばれた個人の才能だと思っている。だが、俺たちは違う」
アルスは、地下から噴き上がる熱い蒸気を見下ろしながら語り続ける。
「魔法とは『資源』だ。地下から汲み上げ、加工し、導管を通じて必要な場所へ分配する。そして、それを支えるのは不確かな忠誠心ではなく、冷徹な『契約』だ。……見ろ。かつて大陸最強と謳われた騎士たちが、今や一分の狂いもなく配管を支えている。お前たちの国に、これほど大規模な『労働力』を、一分の狂いもなく統制できる指揮官がいるか?」
バドは答えられなかった。
彼が知る帝国の建設現場といえば、数千人の奴隷を鞭で打ち、数年をかけて一つの城壁を築くような、非効率の極みだ。だが、目の前の光景は、負債によって「命の価値」を買い叩かれたデット・ナイツたちが、一晩で世界の常識を書き換えていく。
「……これが、お前たちの言う『見積もり』の正体か。武力すらも資産として計上し、使い潰すというのか……」
「そうだ。俺は、魔法という曖昧な力をインフラに変え、武力という無駄なコストを労働力という『資産』に変換した。一度この血管が通れば、二度とお前たちは暗闇と寒さの時代へは戻れない。……たとえ、俺を殺したとしてもな」
アルスの言葉通り、地下では最後の溶接が完了しつつあった。
ガリウスが叫び、ミラが演算を完了させ、カイルが地盤を固め終える。
巨大なポンプが唸りを上げ、心臓の熱を帯びた「血(温水)」が、王都の地下全域へと流れ出した。
バドは、足元の地面から伝わる微かな熱と、デトモルトたちが発する「沈黙の圧力」に眩暈を覚えた。
自分たちが享受していた「利便性」の裏側には、これほどまでに強固な「管理」と、かつての英雄たちを部品に変えたアルスの底知れぬ合理性が張り巡らされている。
それは、どんなに鋭い剣で斬りつけても、決して断ち切ることのできない、文明という名の絶対的な鎖であった。
「さあ、地上に戻ろうか。……今夜は、さらに『温かい夜』になるぞ、バド」
アルスの先導で、バドはふらつく足取りで地下を後にした。
彼の脳裏には、先ほど見た漆黒のデトモルト将軍の沈黙が、まるで自分たちの国の未来を予言しているかのように焼き付いて離れなかった。
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