第4話:死せる水脈と、泥の中の再会
要塞が再起動し、金剛霊石の微かな鼓動が地下を満たした。だが、アルスの胃袋はそれに応えることなく、空腹という冷徹な警告を発していた。
手帳を開き、周囲の環境データを再精査する。
かつてこの『旧グラナード要塞』は、数千人の兵士と職人が暮らし、独立した経済圏を築いていた。それだけの人間がいたのなら、当然、豊富な水と食糧の供給源があったはずだ。
「……不可解だな。かつての記録では、ここは北方最大の『豊穣の砦』と謳われていた。それがなぜ、今はぺんぺん草も生えない死の荒野なんだ?」
アルスは手帳の数値を、現在の地層データと照らし合わせる。
その時、一つの歪な数値が浮かび上がった。
【異常検知:要塞地下300メートルの岩盤変位】
【推論:数年前の局地的魔導地震により、水源となる帯水層が物理的に封鎖されている】
【結果:水源がせき止められ、下流の宿場町では汚濁した『残りカス』しか流れていない】
かつての栄華を支えた水脈は、消えたのではなく「監禁」されていたのだ。
この要塞の地盤が魔力を吸い込みすぎて膨張し、自らの手で水路を押し潰してしまった……。皮肉なことに、要塞の堅牢さが仇となり、ここは自らの渇きで滅びた「黄金の檻」と化していた。
「ならば、俺の仕事はその檻をこじ開けることだ」
アルスは倉庫のゴミ山から、心臓部が焼き付いた旧式の「魔導掘削機」を引きずり出した。鉄の錆びた臭いと、埃が舞う。
だが、この巨大なピストンを抑え込み、正確な魔力を流し込むには、俺一人では物理的に質量が足りない。岩盤を穿つ反動で、機械ごと俺が粉砕されるのがオチだ。
「……計算が合わないな。有能な『重し』が必要だ」
そう呟いた時、背後の暗闇から、砂利を踏む重苦しい足音が響いた。
「……おい、小僧。そんな鉄クズで、この岩盤に挑もうってのか。死に急ぐにも、もう少しマシな方法があるだろうよ」
掠れた、だが芯の通った声。
振り返ると、そこにはボロ布のような服を纏い、岩のような体躯をした巨漢が立っていた。
頬はこけ、目には生気が欠けているが、その男が立った瞬間に床が微かに軋む。アルスの視界に、瞬時に分析結果が走った。
【対象:不明(人間)】
【筋密度:特A級。僧帽筋、広背筋の異常発達を確認】
【特記:右手の掌に、特有のタコ。……王都で十年前、国防卿の汚職を告発して消された伝説の鍛冶屋に酷似】
「……水を、探しに来たのか?」
「……フン。ふもとの宿場町は地獄だ。井戸からは泥と鉄の味がする水しか出ねえ。おかげで動ける奴から順にくたばっていきやがる。……このボロ要塞なら、昔の隠し水路が死んでねえかと思ったんだが……ハッ、期待外れだったぜ」
巨漢は力なく壁に背を預けた。
アルスは腰の水筒を彼に投げ渡した。王都から持ってきた、残り少ない清浄な水だ。
「食え。……いや、飲め。あんたのその『腕力』、俺に貸せ。利息をつけて水で返してやる」
巨漢は水筒を受け取ると、一滴もこぼさず飲み干した。喉が鳴り、その瞳に職人のギラついた輝きが戻る。
「……三〇〇秒だ。俺が魔力を注入する間、この機械を地面に叩きつけておけ。反動の一切をあんたの筋力で殺せ。できるか?」
「……ケッ。俺を誰だと思ってやがる。魔道具に関しては、神様よりもこのガリウスの方が上だぜ」
巨漢――ガリウスは、錆びついたドリルを肩で強引に抑え込んだ。
二人の「追放者」が、かつての栄華を取り戻すための最初の共同作業。
アルスの精密な魔力制御がドリルの回路に「偽りの寿命」を吹き込み、ガリウスの圧倒的な制圧力が爆発的な反動を地面へと封じ込める。
ドォォォォォォンッ!!
地下室を揺らす咆哮。岩盤が悲鳴を上げ、金属の火花が散る。
100秒、200秒……限界を超えた機械が赤熱し、手の皮が焼ける臭いが漂う。
「……そこだッ!!」
アルスが叫んだ瞬間、岩盤が完全に爆ぜた。
次の瞬間、天井を突き破るほどの勢いで、水晶のように透き通った水の柱が噴き出した。
金剛霊石によって濾過され、数年間蓄えられてきた、魔力を孕んだ特級の天然水だ。
「……出た。本当に出やがった……!」
ガリウスが、泥まみれの顔で、溢れ出す水を狂ったように啜る。
「……ガリウス。あんた、食いもんはどうしてる」
アルスは冷静に、だが確実に次の課題を見据えて問いかけた。
「……広場でカビたパンの配給を待つだけさ。だが、それも明日には尽きる。水が出たところで、食うモンがなきゃ人間は終わりだぜ」
「いいや、終わりじゃない。……この要塞がかつて『豊穣の砦』だった理由を、俺が見積もってやる」
アルスは、王都でゴミ同然で買い取った「カビた麻袋」を手に取った。
水は確保した。だが、真の「自給自足」を確立するには、この死の土壌を黄金の麦畑に変えなければならない。
王都から捨てられた見積士と、干された鍛治屋。
二人が手にした一滴の水が、波紋のように荒野の運命を変えようとしていた。




