第38話:光の試験実装 ―― 不夜の誘惑
「……何が始まるというのだ、アルス・ロベント」
ヴォルガ帝国の千人長バドの声には、隠しきれない苛立ちと、それ以上の困惑が混じっていた。
彼が呼び出されたのは、王都の目抜き通りである中央広場。かつては白亜の石畳が美しく輝いていた場所だが、今はカイルの手によって掘り返され、無機質な黒い鉄の棒が一定の間隔で立ち並んでいる。
時刻は深夜。
本来であれば、魔潮の残滓や魔物が跋扈する、死の静寂が支配する時間帯である。バドの部下たちは、松明の火を頼りに、震える手で槍を握りしめていた。
「バド。お前たちは、夜というものをどう定義している?」
アルスは暗闇の中で、手帳を閉じながら静かに問いかける。
「……何を当たり前のことを。夜は闇であり、魔の刻だ。王も農奴も、等しく眠り、光を待つしかない絶望の時間だろう」
「そうか。だが、俺の見積もりでは、その絶望は『無駄』に過ぎない」
アルスが合図を送ると、傍らに立っていたガリウスが、路傍に据え付けられた無骨な金属箱の蓋を開けた。中にはミラの演算によって制御された魔導回路が、地下の「心臓」からの鼓動を待っている。
「ガリウス、始めろ」
「おう。世界を驚かせてやれ、小僧」
ガリウスが黄金のレバーを押し下げる。
その瞬間、バドの視界から「黒」が消滅した。
バチッ、という火花の弾ける音と共に、広場に立ち並ぶ鉄の棒の先端が、爆発的な白光を放ったのである。
「な……っ!? 魔法か!? 誰が発動させた!」
バドは反射的に剣を抜き、周囲を警戒する。しかし、そこには杖を掲げる魔導師も、詠唱を行う聖女の姿もない。ただ、鉄の棒に据え付けられた「魔導灯」が、太陽の欠片を閉じ込めたかのように、淡々と、しかし圧倒的な光量で街を照らし出している。
「……信じられん。魔力消費はどうなっているのだ。これほどの光を維持するなど、宮廷魔導師を数十人並べても一刻も持つまい」
バドの驚愕は当然だった。この世界において、光は「才能」や「資材(薪や油)」を消費して生み出す貴重な資源である。だが、目の前の光は、誰の疲弊も見せず、ただそこに在り続けていた。
「魔法ではない。これは『設備』だ、バド」
アルスは光の下へ歩み出し、自らの影がくっきりと石畳に落ちるのを見つめる。
「一度設置すれば、地下の『心臓』が止まらない限り、この街から夜は消える。お前たちの兵士が闇に怯えて震えている間、俺の民はこの光の下で働き、学び、語らうことができる。……これが、お前たちの国とグラナードの『時間価値』の差だ」
バドは、手にした松明を見つめた。
煌々と輝く魔導灯の下では、命を削るように燃える松明の火が、ひどく惨めで、原始的なものに見えてしまう。
「……これが、お前たちの力か」
「いいや、これはまだ『試作品』だ。……どうだ、バド。お前たちの宿舎にも、この光を引いてやろうか?」
アルスの問いかけに対し、バドは即座に答えることができなかった。
目の前で煌々と輝く魔導灯。それは、これまで人類が数千年にわたって守り続けてきた「夜は闇に従うもの」という世界の理を、暴力的なまでの白光で塗り替えていたからだ。
結局、バドはその夜、光の供給を拒んだ。
騎士としての、あるいは一国の民としての、最後の意地であったのかもしれない。
彼らが割り振られた宿舎は、かつての王都の面影を残す石造りの離れだ。しかし、一歩室内に入れば、そこには使い慣れた「旧時代の不便」が待ち受けていた。
部下たちが火打ち石を打ち鳴らし、脂臭い獣油のランプに火を灯す。パチパチと爆ぜる頼りない灯火は、壁に巨大な影を作り、室内の隅々までは届かない。
「……あの魔導灯に比べれば、なんと暗いことか」
部下の一人が、ぼそりと零した。
さっきまで白日のごとく照らされた広場にいた彼らにとって、これまでは当たり前だったランプの光が、今はひどく心細く、原始的なものに感じられてしまう。
バドは硬い寝台に横たわり、窓の外を眺めた。
自分の部屋は暗闇に沈んでいるが、広場から漏れ出る一筋の「文明の光」が、天井を白く筋のように走っている。
その光に追い立てられるように、バドは深い、しかし落ち着かない眠りに落ちていった。
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