第17話:王都のハイパーインフレ
王都ブランシェットの朝は、もはや希望を呼ぶものではなかった。
広場には、国防卿バルガスが新たに発行させた「新・王国金貨」が山積みにされている。かつてなら一つの街を買い取れるほどの輝きも、今の市民たちの目には、逃げ場を失ったネズミの死骸と同じように映っていた。
「……本日より、パン一個の公定価格は金貨五百枚とする! それ以下での販売、および『白磁硬貨』の使用は反逆罪として即刻処刑に処す!」
拡声魔法を使った役人の怒号が響く。だが、人々の反応は冷ややかだった。
横に立つ勇者レオンは、腰に差した「なまくら」の聖剣を光らせ、正義を誇示するように胸を張っているが、その腹の虫が鳴る音を隠すことはできない。
【判定:王国通貨の信用崩壊】
【現状:物価上昇率 前日比1200%】
【要因:バルガスの経済無知による過剰供給、および『グラナ』への資産逃避】
「……笑わせてくれる。金貨五百枚? 昨日までは五十枚だったじゃないか」
路地裏の闇市。一人の商人が、バルガスの役人に聞こえないよう低く呟いた。
彼の前には、数人の貴族たちが跪いている。彼らが差し出しているのは、家宝の宝石や、王宮から持ち出した銀食器。そして、大量の「金貨」だ。
「頼む……。これでいい、この金貨を全部やる。……だから、その『要塞硬貨』を一枚、譲ってくれないか」
貴族が涙ながらに差し出した一袋の金貨を、商人は汚物を見るような目で一瞥し、鼻で笑った。
「悪いな、旦那。今さらそんな『色付きの鉄屑』を渡されても、俺の家族は養えない。……だが、あんたが持っているその『王都北区の屋敷の権利書』なら、グラナ三枚で見積もってやるよ」
「なっ、三枚!? この屋敷は金貨一万枚の価値があるんだぞ!」
「それは昨日の話だ。……今、俺たちが欲しいのは、アルス様の要塞で『パン三個と水一リットル』に化けるあの白い魔法の石だけなんだ」
王都の「価値」が、音を立てて剥がれ落ちていく。
かつての権威も、家柄も、バルガスの傲慢な法令も、アルスが定めた「生存の法」の前では一文の価値も持たなかった。
その頃、グラナード要塞の司令室。
ミラは、水晶板に絶え間なく流れる王都の物価指数と、魔導通信網から送られてくる情報を精査していた。
「主様。王都の物価指数、演算限界を突破しました。……経済的な『死』は、一時間前に完了しています」
「……想定より三日早いな。バルガスがこれほど無能だとは、俺の見積もりにも一%の誤差が出たか」
アルスは手帳を開き、ペンを走らせる。
その傍らでは、エレーナが要塞の最新の収支報告書を、満足げに眺めていた。
「アルス様、面白い報告があります。……王都の商人たちが、自らの資産を守るために、王都の食糧庫を密かにグラナードへ『売却』し始めました。決済はもちろん、我が方の要塞硬貨です」
「……ククク。自らの国の兵糧を売ってまで、私の硬貨を欲しがるとは。……商人という生き物は、つくづく合理的でいい」
セドリックが、図面を片手に口角を上げる。彼が構築した物流網と通信網が、王都の心臓を、本人たちの手でえぐり取らせていた。
「バルガスは、金貨を刷れば刷るほど、自分の首が締まることに気づいていない。……カイル、要塞の拡張状況は?」
アルスの問いに、土にまみれた作業着姿のカイルが、モニター越しに応じる。
「バッチリだ。リックたちの守備隊が使う新しい宿舎も、逃げてくる難民用の居住区も、ガリウスの蒸気暖房を完備して完成してる。……あんなボロい壁しかない王都より、こっちの方が百倍マシだぜ」
「……よし。リック、門の警戒を強化しろ。……そろそろ、『飢えた怪物』がこちらへ向かってくる頃だ」
アルスの視線の先。
水晶板には、王都の門を破り、飢えに耐えかねて要塞へと向かって走り出す、数千、数万の民衆の姿が映し出されていた。
王都は、その中身を維持する力を、完全に失ったのだ。




