第16話:要塞硬貨の『兌換(だかん)』実演
王都ブランシェットの商人ギルド前広場は、かつては大陸中の富が流れ込む「心臓」だった。しかし今、そこにあるのは、血の巡りが止まった死体のような静寂と、鼻を突く下水の臭いだけだ。
カイルという保守の要を失った街は、清掃魔法の術式すら維持できず、急速にその美しさを失っていた。
「――道をお開けください。」
静寂を切り裂いたのは、鋭い軍靴の音だった。
現れたのは、かつて王都を守っていたはずの騎士団の一員。だが、その姿は以前とは別物だった。ガリウスの手による、鈍い銀光を放つ最新式の重装鎧。要塞の守護隊だ。
御者台から軽やかに飛び降りたのは、セドリック・ヴァンス。彼は帽子を軽く直し、不敵な笑みを浮かべて広場を見渡した。
「王都の商人諸君、ご機嫌はいかがかな? ……おっと、失礼。この様子では、機嫌も腹の具合も最悪といったところですかな」
絶望に沈んでいた商人たちが、ふらふらと立ち上がる。セドリックが荷台の覆いを跳ね除けた瞬間、彼らの視線は釘付けになった。
そこには、黄金色に輝く『古代天恵麦』で焼かれたパンの山と、水晶のように透き通った水の瓶が、朝陽を浴びて輝いていた。
「……パンだ。本物のパンだぞ!」
「あんな香ばしい匂い、半年は嗅いでない……!」
「おっと、落ち着いていただきたい。……ククク、残念ながらこれは売り物ではないのですよ。……『投資』、あるいは『交換』と呼んでいただきたい」
セドリックは懐から、一枚の白磁の硬貨を取り出し、指先で弄んだ。
「この『要塞硬貨』一枚を差し出した者にのみ、このパン三個と水一リットルを差し上げましょう。アルス様が算定した、この大陸で唯一インフレしない『絶対レート』……いわば生存の配当です」
「そんな石ころ、どこで手に入るんだよ!」
「王宮の金貨じゃダメなのか!?」
悲痛な叫びに対し、荷車の陰から一人の女性が凛とした足取りで進み出た。
財務長官、エレーナ。かつて王宮の財布を握り、バルガスの不正を暴こうとして消されたはずの彼女の姿に、商人たちは戦慄した。
「……バルガスの金貨には、もはや一グラムの裏付けもありません。彼は先ほど、また新たな金貨の増刷を命じました。それはただの『重い鉄屑』です」
エレーナの冷徹な一言が、商人たちの最後の希望を打ち砕く。
「私が保証しましょう。この白磁の要塞硬貨は、我が要塞が保有する無尽蔵の麦と水に紐付けられています。……さあ、最初の取引を始めようではありませんか」
一人の老商人が、震える手で要塞硬貨を一枚を差し出した。
セドリックはそれを受け取ると、恭しくパンと水を差し出した。
「お買い上げ……いや、賢明な判断に感謝を。あなたのその『信頼』こそが、アルス様が最も好む配当ですからな」
老商人がパンを一口齧った瞬間、周囲の商人たちの目に猛烈な光が宿った。
王宮が発行する「空虚な権威」ではなく、アルスが保証する「確実な実利」。情報の王座に座るセドリックが運んできたのは、王都の崩壊を告げる弔鐘だった。
【判定:王都内における『要塞硬貨』の信用確立】
【担保:実物資産、および財務長官エレーナの数値的保証】
【効果:王国通貨への不信を、要塞への依存へと完全に変換】
その様子を、要塞の司令室で眺めていたアルスは、手帳に新たな数値を刻んでいた。
「……ミラ。王都の『信用残高』、マイナス一億を超えたな」
「はい、主様。……人々が金貨を捨て、石ころを拾う音。……実に合理的なメロディです」
ミラの演算通り、王都の経済は今、内部から音を立てて崩壊し始めた。




