第14話:要塞財務局の誕生
グラナード要塞の一角に設けられた新しい執務室。そこには、王都の地下牢にいた時とは見違えるほど鋭い眼差しを取り戻したエレーナがいた。
彼女の目の前には、ミラが作成した膨大な魔導計算書と、セドリックが持ち込んだ物資の出納記録が山積みにされている。
「……ミラさん。あなたの数式は、一点の曇りもなく論理的だわ。けれど、これでは『人間』が動けない」
「……どういう意味? 数値に誤りはないはず」
ミラが不思議そうに首を傾げる。エレーナはペンを走らせ、数枚の書類に修正(赤字)を入れていく。
「例えばこの食糧配分。必要カロリーを最小限で算出しているけれど、これでは労働者の『士気』という減価償却を計算に入れていない。週末の配給を五%増やし、嗜好品(酒や煙草)の流通を許可する。その代わり、労働効率を八%引き上げる契約を結び直す。……これが、生きた数字の扱い方よ」
ミラはその修正案を読み、目を見開いた。
「……効率を犠牲にしているようで、トータルでは黒字幅が増えている。これが『経営』……」
アルスは、そんな二人のやり取りを背後で聞きながら、窓の外を眺めていた。要塞の街並みは、エレーナが着任してわずか数日で、より「計画的」な活気を帯び始めていた。
「アルス様。要塞の内部監査は終わりました。……次は、『攻め』の時間でしょう?」
エレーナが不敵な笑みを浮かべ、机の上に一冊の古びた帳簿を置いた。彼女が命がけで王都から持ち出した、新・国防卿バルガスの「裏帳簿」だ。
「これには、バルガスがどこの商会から軍資材を買い、どこで中抜きをしているかがすべて記されています。……今の王都は、北壁の崩壊で緊急の補修資材を求めているはず。……でも、その『購入ルート』を塞がれたら、彼らはどうなるかしら?」
アルスは手帳を開き、セドリックの方を向いた。
「セドリック。帳簿にある『マルド商会』と『鉄血ギルド』……バルガスの主要な取引先だ。こいつらを今すぐ買い叩け」
「おや、もう話がついているのかと思いましたよ」
セドリックは上機嫌で肩をすくめた。
「エレーナ殿から情報をいただいたその日に、すでに手を打ってあります。王都がこれから発注する予定の石材、および魔導触媒。……その在庫の七割を、我が商船団が『グラナ(要塞硬貨)』で先に買い占めました。今、王都の金貨を持って店に行っても、彼らが手に入れられるのは『三ヶ月待ち』の予約票だけです」
「……完璧だな」
アルスは静かに頷いた。
これまでは、アルスの「鑑定」によって価値を暴いてきた。だが、これからはエレーナの「管理」とセドリックの「実行」により、王都が欲しがる未来を先回りして買い占めることが可能になったのだ。
「……さて、バルガス。あんたが着服した金貨で、何が買えるか試してみるといい」
数日後。王都では、崩壊した北壁の修繕が全く進まないことにバルガスが激昂していた。
「金ならある! 言い値で払うと言っているだろう! なぜ石材が届かない!」
「そ、それが……市場にある資材がすべて、グラナード要塞の息がかかった商人に買い占められておりまして……。彼ら、金貨での支払いを拒否し、『白磁の硬貨』でないと売らないと言い張っているのです!」
「なんだと……!?」
金はある。だが、その金(金貨)にはもはや価値がない。
物資を持つ者がルールを決め、通貨を指定する。
王都の経済圏は、今や要塞という巨大なブラックホールに飲み込まれようとしていた。
アルスの手帳に刻まれた王都の残命期間は、さらに一ヶ月、短縮された。




