第13話:主計官エレーナの『負債』
王都ブランシェットの北壁崩壊。その激震は、王宮のさらに深い闇をも暴き出そうとしていた。
かつてアルスが前国防卿の不正を暴き、捕縛させた際、民衆は「これで国は良くなる」と信じた。だが現実は違った。空いた椅子に座ったのは、前任者以上に強欲で立ち回りの上手い男、バルガスだった。
「……数字は嘘をつかない。けれど、人は平気で嘘をつくのね」
王宮地下牢の冷たい石床で、エレーナ・ミリガンは力なく呟いた。
彼女は王立財務局の若き主計官。前国防卿の失脚後、不透明になった軍事予算の流れを調査し、バルガスによる「第二の横領」の証拠を掴んだ。だが、正義を貫こうとした彼女を待っていたのは、身に覚えのない「国家反逆罪」の汚名と、死刑判決だった。
鉄格子の向こうから、軍靴の音とは異なる、静かで規則正しい足音が近づいてきた。
「……夜分に失礼。王宮の牢獄にしては、少し管理が行き届いていないようだが」
現れたのは、見慣れない漆黒の外套を羽織った若者と、豪華な毛皮を纏った初老の男だった。
「……誰? 処刑人の迎えには早すぎるわ」
「アルスだ。あんたの価値を見積もりに来た」
アルスは手帳を開き、エレーナの瞳の奥にある「知性の輝き」を冷静に査定した。
【対象:エレーナ・ミリガン】
【現状:死刑確定の囚人(市場価値:計算不能/損失リスク:極大)】
【潜在能力:資源最適化・高度財務管理(SS級)】
【救出コスト:金貨2,000枚(バルガスへの『隠蔽協力金』名目)】
「アルス……? まさか、あの追放された見積士……」
「エレーナ。あんたがバルガスから盗み出した、あるいは『精査』した裏帳簿の控え。あれの価値は金貨2000枚どころじゃない。……王国の余命を数ヶ月単位で削る、致命的な欠陥の証拠だ」
「……気づいていたのね。でも、もう遅いわ。私は明日、この国の秩序を乱した罪で消される。証拠もすべて焼かれるわ」
「いいや、あんたは今さっき『死んだ』ことになった」
アルスの隣で、セドリックが不敵な笑みを浮かべ、重い鍵の束を弄んだ。
「バルガス卿に金貨を積みましてね。あんたを拷問死させたことにして、死体をこちらで処理する……という名目で、あんたを『買い叩いた』のですよ。彼は今頃、邪魔者が消えて懐が温まったと、上機嫌で酒を飲んでいるでしょう」
エレーナの目が驚愕に見開かれた。自分の命が、当の敵対相手によって「売却」されたのだ。
「エレーナ、あんたは今から、要塞グラナードの『財務長官』だ。俺の要塞には、ガリウスの技術、ミラの計算、セドリックの物流が集まっている。だが、それらを繋ぎ、無駄を削ぎ落とす『帳簿』がまだ完成していない。……王都で使い潰されるはずだったあんたの頭脳、俺の『聖域』で振るってみないか?」
アルスは牢獄の鍵を開け、彼女に一枚の「白磁の硬貨」を差し出した。
「あんたの知性は、こんな腐った檻の中に閉じ込めていい数字じゃない。……俺の下で、世界で最も透明で、最も『正しい』経済を構築しろ。それが、あんたを買い取った代金としての仕事だ」
エレーナは、差し出された白磁の硬貨を凝視した。
偽りの金貨にまみれた王宮で、誰もが見ようとしなかった「正しき数字」。それを、この若者は求めている。
「……ふふ、最悪の見積もりね。死んだはずの女を財務長官に据えるなんて。……でも、私の余生、高くつくわよ? アルス様」
彼女がその手を取った瞬間、王都は「壁」に続き、国家を支える「帳簿」をも完全に失った。
闇に紛れて王都を去る馬車の中、エレーナはアルスから渡された要塞の簡易帳簿を一瞥し、不敵に口角を上げた。
「……ミラさんの数式は美しいけれど、現場の『遊び』と『予備費』が足りないわ。……明日から、私がこの要塞の数字を『完璧』に書き換えてあげる」
手帳を閉じたアルスの瞳には、王都の評価がさらに一段階、冷徹に「E-」へと書き換えられていた。




